天正11年(1583)越中国主となった佐々成政は翌年、浜松の徳川家康に豊臣秀吉討伐を勧めるため、 厳寒の積雪期に家臣らを引き連れて北アルプス(立山連峰・後立山連峰)を踏破した。いわゆる「さらさら越え」である。 芦峅寺から3000m級の立山連峰・後立山連峰を越え、長野県大町を経て家康の居城・浜松城に到着するまで約1カ月を要した。 残念ながら家康を動かすことはできなかったが、わが国最大の冬山集団登山として登山歴史上に残る壮挙であった。

佐々成政
(写真提供:富山市郷土博物館)

◇富山商工会議所機関紙「商工とやま」

「佐々成政と富山」(H14.1月号)
「早百合姫と黒百合」(H14.2・3月号)
「民衆を愛した佐々成政」(H14.4月号)
「佐々成政と肥後国衆一揆」(H14.5月号)
「佐々成政隊がゆく(1) 佐々堤」(H14.6月号)
「佐々成政隊がゆく(2) 一夜泊稲荷神社」(H14.7月号)
「佐々成政隊がゆく(3) 早百合伝説と一本榎」(H14.8・9月号)
「佐々成政隊がゆく(4) 富山城址」(H14.10月号)
「佐々成政隊がゆく(5) 成政征伐の拠点「白鳥城」(H14.11月号)
「佐々成政隊がゆく(6) 安養坊道心塚・佐々成政剃髪阯(H14.12月号)
「佐々成政隊がゆく(7) 成政と“はる” (H15.1月号)

◇その他

「佐々氏」


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