天正11年(1583)越中国主となった佐々成政は翌年、浜松の徳川家康に豊臣秀吉討伐を勧めるため、 厳寒の積雪期に家臣らを引き連れて北アルプス(立山連峰・後立山連峰)を踏破した。いわゆる「さらさら越え」である。 芦峅寺から3000m級の立山連峰・後立山連峰を越え、長野県大町を経て家康の居城・浜松城に到着するまで約1カ月を要した。 残念ながら家康を動かすことはできなかったが、わが国最大の冬山集団登山として登山歴史上に残る壮挙であった。