「商工とやま」H15年11月号

特集
神通川馳越線工事完成から100年

「水恵・水景」とやまに向けて、川を生かした街づくりを考える。


 かつて、神通川は富山市磯部のあたりで大きく東側に湾曲しており、そのため富山市は頻繁に洪水の被害を受けていました。明治になってから、それを食い止めるため、湾曲した部分を直線化したのが「馳越線工事(※)」で、今年はその完成からちょうど100年目にあたります。これを記念し、去る9月19日〜23日には、川を生かした街づくりを考えるイベント「リバーフェスタinとやま2003」(以下「リバーフェスタ」という)が開催され、国際フォーラムやライブ、散策ツアーなどに多くの人々が参加しました。
 富山市は、佐々成政の頃からも洪水と闘い続けてきた街ですが、一方では水の恵みも受けて発展してきた街でもあります。この100周年の節目を機に、川と人との関わりや、川を生かした産業の活性化について考えてみませんか?
(※「馳越」とは「山から馳せてきた川の水が堤防を越すところ」という意味。)

 

今年は馳越線工事から100周年

◆暴れ川を治めた明治の大事業

 神通川の大きな改修工事は、明治の半ばから昭和の初めにかけて3度行われましたが、このうち2回目に行われた明治34年〜36年の馳越線工事は明治期を代表する大規模な治水事業でした。
 それ以前も神通川が氾濫した際、一部の流れは堤防を越して北上していましたが(これを馳越線と呼んでいました)、その馳越線の中央部に、幅2m、深さ1・5mの流路を作り、洪水の際の水の勢いを利用して、次第に河道を拡げていきました。川は馳越線完成後もしばらくは旧川筋が併存していましたが、大正3年の大洪水を機に、馳越線(現在の河道)が本流になりました。


◆富山の街づくりの基点は馳越線工事

 旧川筋の周辺には、約170haにおよぶ荒地(「廃川地」)が残され、街づくりの障害になっていましたが、昭和の初め、この廃川地は、都市計画事業の決定により富岩運河を掘った土砂で埋め立てられました。やがて街路などの都市基盤が整備され、県庁や市役所、電気ビルなどのオフィスビルや学校、住宅が建ち、今日のような富山の中心市街地として発展していきました。このように、100年前の神通川の馳越線工事は、水害の克服だけではなく、富山の都市計画、街づくりの基点になったといえます。


◆サン・アントニオ市、リバーウォークの魅力

 この富山市と同じような川の歴史をもち、華やかな観光・コンベンション都市に発展した街がアメリカにあります。先月、開催された「リバーフェスタ」の「川と街づくり国際フォーラム」で紹介された米・テキサス州のサン・アントニオ市です。
 その中心部を流れるサン・アントニオ川は、かつては神通川のように大きく蛇行しており、洪水の度に氾濫して街を破壊し、多くの犠牲者を出していました。そこで1920年代、建築家のロバート・ハグマン氏が川周辺の都市計画を提案。サン・アントニオ川を直線化するバイパス工事が行われ、その後、川辺を活用したリバーフロント開発が推進されました。現在は年間1400万人が訪れる観光・コンベンション都市に発展しています。
 この街の最大の魅力は、地上より4〜5m低い川面にそって整備された遊歩道「リバーウォーク」。その脇にはホテルやレストラン、コンベンションセンター、劇場などが建ち並び、橋や照明を効果的に使うなど観光客を楽しませる演出がなされています。また、川の清掃や植栽の手入れ、水質の保全なども行き届き、訪れる人は皆、豊かな水と緑に心癒されるのです。


◆年間1400万人が訪れる都市

「リバーフェスタ」で基調講演を行ったサンアントニオ市公園管理者のリチャード・ハード氏は、川のバイパス工事から観光開発までの経緯を説明したほか、遊園地や水族館などテーマパークを作ったり、多彩なイベントを企画し、年間を通して観光・コンベンション客を誘致している事例などを紹介しました。また、「常に住民は街に対する愛情を持っています。基金を集めてメンテナンスなどに活用し、市民のボランティア・スタッフとして大勢参加しています。市民が活発な議論を重ね、ビジョンを描いて、一つ一つ実現してきたのです。結局、市民に喜ばれる計画であれば、お金は後からついてくるものです」と、興味深い報告もありました。

 

川との関係は克服から共生へ

◆松川にもリバーウォークを

 佐々成政は、富山城に入城した直後、洪水で悲惨な目にあっている住民の姿を見て、常願寺川や神通川の洪水対策を実施しました。今から120年前、当時の石川県から富山県が分離独立したのも、洪水対策への関心の深さに違いがあったからです。このように、これまでの富山の歴史は洪水と闘いが中心でしたが、一方で川や水の恵みも受けて発展してきた歴史もあります。
 昭和60年からは、県の事業として水公園プランが推進され、富岩運河環水公園が整備されるなど、川や水に対する姿勢は大きく変わりました。私たちにとって川は「克服の対象」から「親水・共生の関係」へと転換したのです。
 では、もっと川を感じ、親しむには、どんな環境整備が考えられるでしょう。森雅志富山市長は、リバーフェスタに寄せたメッセージで「サン・アントニオ市のリバーウォークのように、水辺を散策できる散策路を整備すれば、松川〜いたち川〜環水公園〜中島閘門まで散策できるようになり、水辺を歩くことの心地よさが実感できる」と話していました。


◆川辺を歩く楽しさの仕掛け

 松川の川面付近には現在も歩くことができる路面がありますが、橋の部分では分断されている状態。これがつながれば、「リバーウォーク」としての利用価値が高まり、いつもと違う目線で川や街並みを眺めることができるでしょう。
 「リバーフェスタ」で行われたパネルディスカッションでは、パネラーの吉友嘉久子氏が「リバーウォークにギャラリーやカフェを開いたりしては?」と提案していましたが、人が集まる仕掛けづくりも課題です。
 もちろんこうした環境整備には、松川の浄化が大前提にあります。現在、流入している生活廃水を抑制したり、神通川の水を導入することで、松川は見違えるほどきれいになります。また、川や周辺が美化され、愛着が増していけば、周辺住民の自主的な清掃活動も期待できると思います。

◆船の道の整備とイベントの企画

 人が歩く道だけでなく、船の道も整備できないでしょうか。サン・アントニオ市では、遊覧船が川を行き交い、ホテルやコンベンションセンターを結んでいます。現在の松川の遊覧船が、いたち川〜牛島閘門〜富岩運河〜中島閘門まで往き来できるようになれば、水辺空間の賑わいが広範囲に広がります。国際会議場や県民会館などが駅北の体育館や自遊館などと結ばれ、大きな観光資源になるでしょう。
 パネルディスカッションでは「富岩運河近くに駐車場や休憩施設、住宅や店舗を整備して、人が集まり、交流できる仕掛けが必要」といった意見がありましたが、川や水辺空間を活用した多彩なイベントを企画していくことも人を呼び込む手段です。

 

水恵・水景を産業の活性化に

◆都市型観光・コンベンションの拠点に

 現在、富山市では、21世紀の産業の柱の1つとして、観光・コンベンション産業の振興とその誘致に取り組んでいますが、市の中心を流れる松川やいたち川も貴重な観光資源と捉えることができます。また、水そのものも重要な価値資源です。
 富山の観光地といえば、立山黒部アルペンルートや五箇山、宇奈月・黒部峡谷などが全国的に知られていますが、富山市はその通過点になっているのが現状です。もっと多くの来県者を富山市にとどめるには観光の目玉やコンベンションの誘致が必要です。松川やいたち川、さらには水の恵みをもっと活用し、都市型観光の核にしていく工夫とアイデアが求められていると言えるでしょう。


◆水を生かした商品開発

 さて、富山の水が美味しいのはご存知の通り。環境庁の名水100選に、県内から「黒部扇状地の湧水」や「穴の谷の霊水」など4ヶ所がランクインしていますし、一般家庭の上水道でも十分に美味しい水が供給されています。
 こうした水の良さを生かした商品開発にも産業振興の可能性があります。例えば日本酒。県内の多くの酒蔵は、井戸水(河川の伏流水)を仕込み水に使っていますが、富山市のある酒蔵では水道水をそのまま使った「おらっちゃのとやま」という日本酒を醸造し、水の良さをアピールしています。
 日本酒だけでなく、身近な食品にも川の水を使えないでしょうか。例えば、いたち川にある延命地蔵の水を使った和菓子やアイスクリーム、水産加工品など。「いたち川の水」というラベルがついた商品の開発は、街や産業の活性化にも貢献できると思います。


◆官民一体となった街づくりを

 富山商工会議所では現在、「富山市価値創造プロジェクト」に取り組んでおり、そのテーマの一つに「水恵・水景」を生かした街づくりがあります。
 街の資源である川(水)の恵み、川(水)のある風景は、まず、そこに住む私たち自身が再発見・再認識し、それらを共有し、自信と誇りをもって情報発信していくことが重要です。街づくりの活力は、こうした川(水)に対する感謝や愛着からも生まれてくるのです。
 これからは官民が一体となって街づくりを考えていく時代です。様々な課題もありますが、まずは「自分たちの街をこうしたい」という気持ちを持つこと、それを語り合うこと、そして出来ることから実行していくことが重要です。
 みなさんの知恵と行動力で、水の恵みを感じることができる富山市にしていきたいと思います。


「リバーフェスタ  とやま2003」を終えて

 「誰がこんなに美しいリバーウォークを作ろうと思い付いたのか」。これが私の最初の印象でした。サン・アントニオ市は、川をうまく活用したリバーフロント開発の成功例として世界的に有名ですが、街の中心部のリバーウォーク沿いにはホテル、コンベンションセンター、オープンカフェなどが並び、それらを結ぶ遊覧船からは美しい街並みやクルージングなどを楽しむことができます。観光客を楽しませる工夫も見られ、心地よい環境が保たれています。富山市のこれからの街づくりを考えるうえで、サン・アントニオ市に学ぶことが多いと思います。
「川と街づくり国際フォーラム」 実行委員会 事務局長 中村 孝一

水辺空間を生かした街づくりへ

 「リバーフェスタ in とやま2003」では「川と街づくり」をテーマにパネルディスカッションが開かれ、「水の都・とやま」の今後の可能性や具体的な提案について様々な意見が交換されました。ついてはその概要をご紹介します。

●司会者  渡邊 明次氏(関東学院大学教授)
●パネラー 白井 芳樹氏((財)道路空間高度化機構常務理事、元富山県土木部長)
        吉友 嘉久子((財)砂防・地すべり技術センター理事)
        松井 幹夫氏((株)まちづくりとやま副社長)


渡邊●川と親しむためには「歩く街」をもう一度取り戻す話し合いが必要だと思いますが、皆さんの意見を頂きたいと思います。
白井●富山にとって川はずっと克服の対象でしたが、これからは共生へ。水に対する姿勢を大きく転換する時代になっていると思います。
吉友●川はとても身近な存在。松川の桜だけでなく、年間を通した感動の仕掛けがあればいいと思います。
松井●「水恵・水景」をキーワードに、市民の声を反映した街づくりを進めたいと思っています。今後は運河の環境整備や水辺のイベントなどに取り組んでいきたいですね。
渡邊●21世紀は官民が協力して街づくりに取り組む時代。サン・アントニオ市のように誰もが自由にアクセスできる川辺になるといいですね。
白井●川辺に遊歩道を整備してずっと歩けるようなったらいいと思います。また牛島閘門、中島閘門まで船で往来できるようになれば親しみも湧きます。
吉友●遊歩道にタイルをデザインするとか、木のチップを敷くという工夫があると歩くのが楽しくなるでしょう。松川から立山が眺められる橋をつくるのも、富山らしいと思います。街づくりは自然との共存が一番大事ですから。
松井●富岩運河の周辺をもっと整備して街の駅をつくるのはどうでしょう。具体化するには課題もありますが、いいと思ったことは言い続けることが大事。そうやって協力をもらって、みんなを巻き込んでいけば実現の可能性も高まっていくと思います。
吉友●何事も積極的に参加して、感じること、話し合うことが街づくりの第一歩になると思います。

 

リバーフェスタ in とやま2003

 神通川馳越線工事100周年を記念し、9月19日から9月23日まで城址公園・松川周辺で「リバーフェスタ in とやま2003」が行われました。
 9月19日、富山国際会議場では「川と街づくり国際フォーラム」が開催され、アメリカテキサス州サン・アントニオ市公園管理者のリチャード・ハード氏が「夢のリバーウォークはこうして誕生した」と題して基調講演したあと、「川と街づくり」をテーマにパネルディスカッションが行われました。概要については5nをご覧ください。
 また、期間中、城址公園や松川周辺では川・水に親しむ様々なイベントが展開されましたので、その様子を写真でご紹介します。


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