「商工とやま」H15年12月号

誌上講演会

とやま再発見〜明日を拓く北陸人

富山県文化行政推進顧問 吉崎四郎氏


 雄大な自然、キトキトのお魚、おいしいお米・お酒など、富山には全国に誇ることができる資源が沢山あります。
 去る10月2日(木)富山第一ホテルで開催されたベストウィズクラブ(※)富山視察では、全国から集まった商工会議所の専務理事や事務局長などの皆さんに富山や北陸の良さを紹介するため、富山県文化行政推進顧問の吉崎四郎先生をお招きして記念講演会を開催しました。ついては、その概要をご紹介します。(文責は編集部)
※商工会議所共済制度を推進・普及するため、全国の商工会議所等で組織するもので、毎年各地で研修会や視察会を実施している。


 長年住み慣れたところの良さは、なかなかわからないもの。あの日本画家の東山魁夷氏も、日本の美をスウェーデンでスケッチしている時に気づいたと話しています。


■話題豊富な富山県

 NHKの「お〜い、ニッポン 今日はとことん○○県」というBS番組がありますが、平成10年に始まった第1回が富山県でした。大変驚き、当時のNHK富山放送局長にその理由を聞いたところ「富山は最近何かと話題が多いからですよ」とのこと。確かに当時は五箇山の合掌造りが世界遺産に登録されたこと、高岡の瑞龍寺が国宝に指定されたこと、小矢部の桜町遺跡で縄文式土器が多数発掘されたこと、電脳村・山田村が注目を集めたことなどが全国に向けて発信していました。
 それらとともに「ジャパンエキスポ富山’92」、「まなびピアとやま’94」、「国民文化祭とやま’96」、「食祭とやま’98」、「2000年とやま国体」と2年おきに富山で全国規模のイベントが開かれ全て成功していたことも、NHKが目をつけた理由であったことが分かりました。


■罪つくりな芭蕉の句 「荒海や…」

 富山に転勤してきた支社(店)長は「富山に行ったら、弁当忘れても、傘忘れるな」とよく言われるそうです。これは松尾芭蕉に原因があると思われます。奥の細道の有名な句「荒海や佐渡によこたふ天の河」が北陸地域は年中雨や霙が降っていて、天候が悪いというイメージを強く与えているからだと思い、新潟の教育委員会に聞いてみると「佐渡の海が荒れているときに、星が輝くようなことはありえない」とのことでした。この句のせいで佐渡オケサをPRしても、海が荒れているのではないかという問い合わせが結構あり、イベントが盛り上がらない、と佐渡の観光関係者は嘆いていました。
 日本海は言わば湖のようなもので、太平洋と比べても非常に穏やかな海です。それを寒ぶりが獲れる真冬に吹く「あいの風」ばかりが強調され、富山は年中天候が悪いところだと思い込まれているのです。


■「豊かさ指標」上位の北陸

 さて、富山が全国的にクローズアップされた理由のひとつに、当時の経済企画庁が発表していた新国民生活指標(いわゆる「豊かさ指標」)があります。これは、客観的な数値を取り出して、47都道府県を1位から47位まで順番にしたものです(同指標は平成11年から非公表)。
 「豊かさ指標」(表1参照)を見ると富山、石川、福井の北陸三県が上位にランクしていることがわかります。住むでは「富山」、学ぶでは「石川」、癒すでは「福井」が上位にランクされています。また、雑誌「THE21」(PHP研究所発行)の「47都道府県生活大国度ランキング」(表2参照)を見ても、北陸三県の生活水準が高いことが分かります。

■表1 新国民生活指標(豊かさ指標)活動領域別ランキング
住む遊ぶ学ぶ働く癒す費やす交わる育てる
富山東京石川長野福井東京山梨北海道
鳥取富山富山富山熊本愛知滋賀岩手
福井長野東京鳥取島根香川長野秋田
山形大分福井東京宮崎山梨島根徳島
秋田北海道長野石川石川茨城福井島根

■表2 生活大国度ランキング
経済生活家庭生活社会生活
福井福井富山
富山石川東京
石川富山神奈川
長野鳥取宮城
岐阜島根群馬


■住んでみて分かるその地の良さ

 しかし、北陸で実際に生活する人が高水準の生活をしていると自覚しているでしょうか。
 昭和55年当時、池田弥三郎という慶応義塾大学の国文学の先生が魚津市に住み、当時の魚津短期大学で教鞭をとっておられたころ「魚津に住んで、初めて魚津の良さが分かった」と話されていましたが、県外から移って来られた方々のほうが、むしろ富山の良さを理解しているのではないしょうか。


■越中売薬の精神

 全国を歩き回る売薬さんに仕事をする上で重要なことは何かと聞いたところ「自慢しないことだ」と話してくれました。知らない家に行って、そこに薬を置かせてもらって商売をするわけですから、玄関で嫌われたら話しにならない。初めて訪問する家では「ここはいいところですね」とまず当地を褒めてから、自分の住んでいる富山を卑下して話すと、相手は同情して「じゃ薬を置いていきなさい」と家に入れてもらえるとのことでした。
 昨年12月にノーベル化学賞を受賞した富山市出身の田中耕一さんの人気が高い理由の一つは、自分のことを自慢しないからです。受賞が決まった時も「それは僕だけではありません、皆さんです」と、まるで越中売薬の精神を受け継いでいるのではないかと思えるくらい謙虚な言い方をしていました。


■富山のイメージはグリーン

 富山に来られた方に、富山の良さについて聴いたところ「街の並木が美しい」という意見が多数ありました。言われてみれば、富山市中心部は電線が地中化され、街路には樹木が立ち並び、また、樹木の間から見える立山連峰は非常に美しいものがあります。講演活動などで、日本中を旅している木村尚三郎先生(東京大学名誉教授)も、富山のように街路樹が多い街は日本中どこを探してもない、と指摘されています。
 また、富山の色を聞いたところ、以前は「グレー」という回答が80%を占めていましたが、県の施策・PRが進んだことにより、今では「グリーン」がトップで60%になっており、人間の気持ちというものは、やり方しだいで変わっていくものだということを実感しました。
 私は富山に来られた方が受けた印象というものを素直に受け取り、これからの県づくりに役立てていくべきだと強く感じました。


■連携の時代

 北陸三県が生活大国と呼ばれる理由として、産学官の連携が強いということが関係していると思われます。
 北陸の産業界は北陸電力を中心に、非常によくまとまっています。また、大学では新たな産業の開発に関する研究が盛んに行われています。因みに大学の合併に関して言えば、30年程前、富山県に医大を新設しようとした際、西洋医学と東洋医学を結び付けてはどうかと言う意見から、当時富山大学にあった薬学部を分離し、新設の医大に結び付け、現在の富山医科薬科大学ができたという経緯があります。
 重要なことは、お互いに話し合い、連携することで、今まで1+1=2だったものが、3にでも4にでもなると思います。こういう時代にあっては、皆さんのように「ウィズクラブ」の精神で取り組むことが必要だと思います。


■郷土愛が強い

 また、北陸は生涯学習が盛んです。学習意欲が高いということと同時に郷土愛が強い。特にこの富山県においてその傾向が強く、全国47都道府県に28の県人会組織が存在します。全国的に見て、ほかにないと思います。これは、県外に富山県に縁りのある方が大勢いるということを意味し、富山県から、売薬さんだけでなく、いろいろな人が、どんどん外に出て行った経緯があります。どうしてでしょう。


■蓮如上人と北陸

 北陸三県は、浄土真宗八代蓮如上人(1415〜1499)の影響が非常に強い地域です。当時の北陸は食べ物がおいしい、水がおいしい、空気がおいしいなど住む魅力があり、人口も非常に多かったことから、蓮如上人は北陸に浄土真宗を布教しようとしました。そして、もうひとつ大切なのは、蓮如上人は間引きを禁止したことです。当時は子供が沢山生まれるとご飯を食べさせなくてはならず、また、労働力になるまでには暇とお金がかかるため、間引きが行われていましたが、蓮如上人の教えでは“仏の使い来たらぬ間、殺生は沙汰の限り”で、そのため、北陸の女性たちは身籠った子供を必ず産んで育てました。子供たちは、一生懸命に働く親の背中を見ながら、自分たちも早く働いて親孝行しなければならないと思い、成長してから、出稼ぎに出ました。江戸は火の見櫓の番や風呂屋の三助、大工・左官、仲居・女中など人手不足で、田舎からの出稼ぎは大歓迎でした。


■活躍する富山県人

 富山県の人口は112万人で、日本の人口(約1億2千万人)の約1%に相当します。全国比較の場合は1%が基準になります。
 東京では、都外で生まれて東京に住む人のことを「都外人」と言うそうですが、一番多いのが新潟県で、次いで富山県だそうです。霞ヶ関で働く富山県出身者は200名、都庁に至っては300名も勤務しており、いずれも平均の数倍になります。
 ここで、富山が生んだ著名人をご紹介したいのですが、その数の多さにびっくりさせられます(表3参照)。

■表3 富山県が生んだ著名人(・は故人)
 男  性女 性
政治・行政 米澤紋三郎・佐伯宗義 ・松村謙三・住栄作・綿貫民輔・中沖豊 坂東真理子・室谷千英・高橋はるみ
産業・経済 ・安田善次郎・佐藤助九郎・浅野総一郎・金岡又左衛門・黒田善太郎・大谷米太郎・河合良成・山田昌作・水野豊造・吉田忠雄・酒井光雄・瀬島龍三・若狭得治・伊勢彦信 馬場はる
情報・経営 林忠正・翁久允・正力松太郎・角川源義 高野悦子・志麻愛子
学術・文学 ・高峰譲吉・南日恒太郎・山田孝雄・滝口修造・川原田政太郎・堀田善衛・源氏鶏太・岩倉政治・田中耕一・木村剛 木崎さと子・辺見じゅん・遠藤和子・大宅昌
芸術・芸能 ・谷口藹山・木村立獄・石崎光瑶・郷倉千靱・小坂勝人・篁牛人・前田常作・清原啓一・佐々木大樹・松村外次郎・丸根賛太郎・滝田洋二郎・本木克英 野際陽子・剣みゆき・左幸子・室井滋・柴田理恵・風吹ジュン


■一見矛盾する創造力と協調性

 東京のある研究所が毎年、全国の企業を対象に「どのような人材を求めているか」というアンケート調査を実施しています。それを見ると1番多いのは創造力、2番目が協調性、3番目が責任感となっており、日本の企業は「創造的で且つ協調性があって責任感が強い人材」を求めていることが分かります。
 以前にアメリカのハーバード大学で取材調査した時に、このことについてどう思うか聞いてみたところ、取材に応じてくれた教授は困惑した様子で「創造性があって協調性もある人間なんて存在しうるのか。アメリカではありえない」と答えて、首をひねりました。


■故郷愛から生まれたベースボール

 さて、サッカーは世界で最も盛んなスポーツですが、アメリカの学校ではプレーしないし、オリンピックのあらゆる競技で圧倒的な力を見せるアメリカもサッカーではすぐ負けてしまい、マスコミも記事にはしない。生徒に尋ねると「意地悪に悩まされ、時間をかけて苦労するわりに得点できない」と言うし、先生たちも「サッカーは貧民窟で生まれた賤しいスポーツで、教育的に良くないし、豊かなアメリカにはふさわしくない」と答えます。それでルールを変えてアメリカン・フットボールというスポーツを創ったそうです。
 19世紀の終わりごろ、ダブルディという偉い軍人が「大西洋を渡って来た者は溌剌として創造力には富んでいるが、新世紀にアメリカが世界をリードするためには協調する心を身につけねばならない。これは学校教育の倫理学で教えるだけでなく、協調性をコンセプトにしたスポーツを創り出して、みんなで楽しみたいものだ」と提案しました。
 確かに騎馬民や遊牧民はクリエィティブ(創造的)で、山の彼方の空遠く幸を求めて挑んでいくが、農耕民が常に抱いているコーポレーション(協調性)は欠けている。これは故郷を愛する心が足りないからだということで、ホームベースをふるさとに見立て、一塁・二塁・三塁を回ってホームに仲間が帰った時にはみんなで手を叩いて喜ぶ。仲間をホームに迎えるためには自分が死ぬ(バンドやスクイズ)ことだってあるというルールを設けたのが“ベースボール”なのです。
 ハーバード大学の教授は「ヨーロッパはこのベースボールを受け入れなかったが、農耕民のアジアはさすがに興味を示した。ただ、中国は棒球と訳す一方で、日本が“野球”としたのは、その本質をつかんでいる証拠だ」と感心していました。


■野球の影響を受けた西田哲学

 名付け親は当時の一高生だった中馬庚ですが、この野球の影響を受けたのが、石川県が生んだ哲学者・西田幾多郎です。
 晩年の名著「自覚に於ける直感と反省」を彩る「絶対矛盾の自己同一」というキーワードは、当時哲学を愛した旧制高校生の合い言葉になりました。
 西田幾多郎は「われわれ人間というものは、顔も違うようにみんな違う。一人ひとりが矛盾しているが、一緒(ウィズ)になることで、全体として大きな価値を作り出すことができる」と強く主張しています。野球は、内野手は内野手の仕事、外野手は外野手の仕事というように一人ひとりの仕事は違いますが、それらが一つにまとまって勝利をつかむことで野球というスポーツが成り立っています。
 私たちも野球のように一人ひとりの役割は違いますが、一つにまとまって全体として大きな価値を生み出すことが重要だと思います。


■北陸人に備わる「和」の精神

 日本ペンクラブの会長を務めた梅原猛先生は「創造力がある者は人の顔色を伺うようなことはしないし、人の顔色ばかりを伺っている者からは妙案は出てこない、ということが常識だと思われがちだが、日本人は必ずしもそうではない。日本人は創造力もあるし協調性もある。これは聖徳太子の頃から伝わっている『和』の精神があるからだ」と言っています。また、この「和」の精神について梅原先生は「海岸から山手にかけて、自ら知恵を出して逞しく生きる縄文人が生活していた。そこに穀物を作る農耕技術を持った弥生人が朝鮮半島を経て、渡来してきたが、彼らは、人の『和』を重んじた。まさに、弥生人がもたらした稲作は、籾播きから始まり、田植え、稲刈りなど一人で行えるものではなく、共同で行うものであり、『和』がなければ不可能だ。この縄文人と弥生人がうまく結び合って、今日の日本人が出来た。その血筋を引くものが特にこの北陸に多い、いわば縄魂弥才とも言うべきか」と指摘されています。


■「和」の精神で明日の日本を拓く

 これからの世界情勢を考えると、「和を以って貴しとなす」という精神を持つ日本人に大きな期待が寄せられており、日本の中央部に位置する北陸の人々が中心になり、お互いに協力し合いながら明日の日本を拓いていかなければならないと思います。

 

≪講師のプロフィール≫
吉崎 四郎氏
 昭和4年富山市生まれ。京都大学文学部卒業。高校教諭、富山県教育委員会文化課主事、同生涯学習室長、同生涯学習センター所長兼富山県知事公室参事を経て、昭和63年に富山県民生涯学習カレッジ初代学長に就任。平成5年から現職。著書に『越中人のこころ』、『この人に聴く(上・下)』、『人生を語る』などがある。日本ペンクラブ会員、富山県文化審議会委員。



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