「商工とやま」H16年1月号

特別寄稿
当所米国産業経済視察報告

水辺空間を生かした街づくり
〜水と緑、商業空間を見事に調和させた都市・サンアントニオ市〜


 当所が派遣した米国産業経済視察団(団長/八嶋健三会頭)は、10月25日から9日間、サンアントニオ、ニューヨーク両市のウォーターフロント開発を視察し、11月2日に無事帰国しました。
 この度、団員として参加しましたので、その概要を報告します。
富山商工会議所 産業振興部 副部長 土肥 龍夫

 

 10月25日(土)成田を出発し、ヒューストンを経由して、最初の訪問地テキサス州サンアントニオ市に到着した。

◆サンアントニオ市◆

▼素晴らしい水辺空間
 初日(25日)の宿泊先となったヒルトン・パセル・デル・リオ・ホテルは、1968年、サンアントニオ市で開かれた世界万国博覧会(へミスフェア)に合わせて建築されたホテルでサンアントニオ川沿いの美しい自然と商業空間が見事に調和し、リバー・ウオーク(水辺の散歩道)の理念が体感できる建物である。
 到着後、リバー・ウオークを見ての団員の方々の第一声が「松川と似ている。川幅も変わらない」という言葉であった。

▼世界的な観光・コンベンション都市
 1718年に誕生したサンアントニオ市は中南米への交易拠点として栄えたが、現在は、約2万5千人を収容できるコンベンションセンターや約6万5千席のドーム型多目的スポーツ施設、大型ホテルなどを備え、年間1千万人以上の来街者が訪れる全米でも有数の国際観光・コンベンション都市になっている。人口は約120万人を擁し(全米第9位)、歴史と伝統、そして多様な文化が息づき、1年のうち300日以上が晴天、年間平均気温20℃という温暖な気候など自然にも恵まれている。
 観光スポットとしては、アラモ砦のほか、サンアントニオ川を利用して開発された「リバー・ウォーク」があり、治水と緑、そして商業空間を見事に調和させた都市計画のお手本として世界的に有名である。

▼リチャード・ハード氏と再会
 ホテル地階の遊覧船乗り場で、同市公園管理者リチャード・ハード氏と落ち合う。同氏は、昨年(平成15年)9月19日に富山市で開催された「リバーフェスタinとやま2003」(当所も後援)の「川と街づくり国際フォーラム」の講師として来富されており、再会した八嶋健三団長(当所会頭)と固い握手を交わした。
 ハード氏から「リバー・ウォーク」の誕生と歴史、公園の運営管理や景観、河川改修に関わるコンセプト等について、レクチャーを受ける。

▼サンアントニオ川の直線化工事
 松川(富山市)とサンアントニオ川は、川幅がほぼ同じで道路下約3〜5mのところに流れていること、形状が馬蹄形(U字)であったため、度々洪水の被害を受けていたこと、そこをショートカット(直線化)しバイパスを設け、洪水防止策を実施したことなど多くの共通点がある。
 1921年9月9日にサンアントニオ市を襲った集中豪雨は、市街地を水浸しにし、50名の死者と約1千万ドルの被害をもたらした。このため住民の要求を受けて市当局は現在のオルムス・ダムを建設し(1927年に完成)、さらに都心部河川のU字部分を埋め立てて、新しく道路を建設する計画を打ち出した。このとき、これに賛成するビジネス界と、自然を保護しつつ街を再開発しようとする地元住民との間で、大論争が起こったそうである。
 1929年、地元建築家のロバート・ハグマンの登場が大きくこの街の将来を変えた。彼は、スペインの古い街並みをコンセプトとして、商店やレストラン、アパートなど河川の両岸に沿って再開発をする「リバー・ウォーク」構想を市の都市計画委員会に提案したが、折からの不況と財政難から実現には至らなかった。
 10年後、ようやくハグマンはサンアントニオ川景観改修事業の設計者として採用され、リバー・ウォークの建設が始まった。現在もあるリバー劇場の建造、湾曲部での水量・水位調節施設の設置などを行い、1941年に総費用43万ドルの全事業は終了したが、第2次世界大戦を機に市民のリバー・ウォークへの関心が薄れ、むしろ危険で汚い場所に変貌していった。

▼万博の開催を契機に変身
 60年代に入り、市や商工会議所、関係機関などがリバー・ウォークへの関心と再生を呼びかけ、全米建築学会サンアントニオ支部にリバー・ウォーク整備のマスタープランの立案を要請、その結果「パセル・デル・リオ(スペイン語で川の遊歩道)」構想を市が承認し、街の再生に向け、動き出した。そして、68年の万博の開催を機に、リバー・ウォークを中心とした多くのプロジェクトが実施に移され、水路の景観とデザインは見事に完成されたとのことであった。
 現在、リバー・ウォークは森林公園として、またホテル、レストラン、カフェテラスなどがサンアントニオ川に向かって建設されている。また、リバー劇場では連日ショーが開催され、市が民間企業に運航を委託している遊覧船では結婚式も行われているとのこと。
 建物の改修や建造については、市民で構成する保全審議会の承認が必要で、水辺からの圧迫感を防ぐため、川に面した方を3階建てとし、道路側を高層階にしているホテルもある。植栽や川面、川岸の清掃などの維持管理費は年間約150万ドルで、管理会社に委託している。まさに民間と公共とのバランスのとれた街づくりが進められている。

▼観光・コンベンションの誘致広報予算
 観光・コンベンションの誘致は成功し、現在も大型コンベンションは10年先まで予約が入っているとのことである。
 ここでのコンベンション開催の理由として、街の中心部に会議場やホテルなどの宿泊施設が集中していること、交通手段も整っていることのほか、「ビジネス+バケーション(楽しむ出張)」−のんびりとリバー・ウォークを歩き、飲食をしながら街を楽しむこと−が高く評価されているとのことであった。そのほか、家族旅行、アドベンチャー、ロマンスなど、全ての旅行者の目的を満たす要件も揃っている。
 これらをPRするため、市では年間640万ドル、コンベンションビューローでは1千万ドルを予算化しており、特にフィルム部門では年間600万ドルの予算でTVドラマや映画の誘致を働きかけている。なお、クリスマス頃、封切予定のディズニー映画「アラモ」の撮影舞台ともなっている(日本での上映は平成16年4月頃の予定)。

▼商工会議所を表敬訪問し懇談
 グレーター・サンアントニオ商工会議所を表敬訪問し、ジョン・ウエア専務理事と懇談する。
 同専務理事から「当商工会議所は、街やリバー・ウォークの発展を常に願い、努力している。また、今年、トヨタ自動車の当市進出が決まり、日本との更なる交流を期待するとともに、この訪問を機に富山との交流を促進したい」との歓迎の挨拶があり、八嶋団長からは「富山市は北陸新幹線開通を10年後に控え、これから都市間競争が激化する。そのために、街なかの河川や自然を有効に活用し、国際的な観光・コンベンション都市となった御市を訪問し、研究をすることによって、富山市が今後目指すべき方向性を探り、都市再生と都市観光形成の一助としたい」と挨拶し、懇談した。
 1954年、連邦政府と連携して街の南側の川の直線化工事やダムの建設などを行ったが、小さな洪水が度々起こった。そこで70年代後半に街と美しい川並を守ろうと100年洪水(100年に1度の大洪水)に耐え得る一大プロジェクト−川の上流と下流約3マイルにも及ぶ地下トンネルを掘り、川の水を下流に流すという壮大な計画−に着手した。住民の要望で、景観を考慮し、自然を損なわないよう配慮したものになったが、このトンネル工事は日本の大林組が受注し、98年に完成した。

▼行政と民間の連携
 サンアントニオ市は、遊歩道や植物の管理、歴史的な遺構の管理、交通安全管理など各機関と連携して、事業構想を進めているが、特に重要なのは「オーバーライト・コミュニティ」である。一般市民と民間企業の代表者22名から成るこの機関は、人と自然、そして水とが一体となった地域社会の形成や将来のあるべき姿等について検討している。
 今新たなプロジェクトが進行中で、河川沿いの歴史を活かして自然環境を向上させる開発と、リバー・ウォークを郊外に延伸し、そこに博物館や公園等を建設、多くの人たちに価値ある生活を提供しようとするものである。
 この街でビジネスをしようとした場合、リバー・ウォークを冠に付けるだけで、商売の成功は間違いない。リバー・ウォークが出来る前、サンアントニオ川は、被害をもたらす大変迷惑な川として誰もが背を向けてきたが、今では、このリバー・ウォークは初期投資の10倍、100倍もの利益をもたらすため、同市に進出しようとするデベロッパーは、必ずと言っていいほど、リバー・ウォークに隣接することを求めてくる。

▼維持管理のための賦課金を徴収
 サンアントニオ中心地区振興組合の会員は約2・5q四方のエリアに545事業者おり、固定資産税に一定の率を掛けた賦課金を徴収しており(100ドルに対して約12セント)、年間約120万ドルの収入がある。
 この振興組合の主な業務は、(1)メンテナンス業務(美しいリバー・ウォークや街並みを維持するため、落書き消しやゴミの清掃などの業務)、(2)アンバサドール業務(観光客の多いところを巡回し、観光客のみならず市民の質問やイベント開催、同市の歴史等を案内説明する観光大使としての業務)、(3)景観維持向上業務(街なかの自然景観を維持向上させるための植樹、植栽のほか電灯などの維持管理業務)であるが、歩行者を中心としたニーズには積極的に応えていくとのことで、最近の事例としては、障害者がリバー・ウォークを車椅子で歩けるようにエレベータや障害者用車椅子の階段なども、市と連携して取り付けている。
 なお、朝夕に街なかや川沿いで、清掃をしている係員を何人も見たが、こういったところにも雇用機会の創出の一端が窺えた。


◆ニューヨーク市◆

 10月30日、サンアントニオ市に別れを告げて、次の訪問地ニューヨークに向かった。

▼自由の女神像と移民の国
 サードアベニューにある北陸銀行ニューヨーク駐在事務所で、藤原一郎所長から「最近の米国景気動向」についてレクチャーを受けた後、再開発が進められているバッテリーパークを訪れ、リバティ島の自由の女神を眺望する。近くに20世紀初頭にヨーロッパ移民の受け入れを審査した移民管理局の建物があり、自由と希望を抱きながら、米国のこの地に第一歩を踏み出した移民に思いを馳せた。
 そのあと、サウスストリート・シーポート・ミュージアムを訪れた。この地域は、ウォール街のビジネスパーソンらの貴重なオープンスペースとして、また観光客にとって水辺の風景や昔風の港の雰囲気など、観光スポットとして大変魅力的なエリアである。

▼ウォーターフロントの再開発
 同ミュージアムの広報担当ヒラリー・エディ女史からレクチャーを受ける。
 このミュージアムは、1956年に非営利団体として地域の有力者や見識者、港を愛する人達によって組織された団体であり、現在では、100年程前に建造された2隻の帆船を購入し、学校の生徒や家族連れに、港を中心として発展してきたニューヨークの歴史や当時の様子等を体験しながら学んでもらっている。
 また、近年、営利部門を設立して、昔の倉庫群や倉庫跡地にショッピングセンターやテナントを誘致して再開発を進めているほか、絵画や写真などの展示会、コンサート、各種パーティなども開催している。この地域は、連邦政府の保存地域に指定されており、歴史的建物を勝手に建替えることはできないため、店舗ファサード(前面)部分はそのまま残し、店内を改修・改装する賃貸住宅が多い。環境が整備されてくると、人が人を呼ぶ相乗効果で、さらにこのエリアの住宅需要は高くなると予想している。

▼過去と現代が同居
 9・11テロ以降、連邦政府もマンハッタンの再開発プロジェクトには、かなりの補助金を拠出している。疲弊したこの地域が2060年の完成を目指して一歩一歩確実に歩き始めているように感じた。
 道路のデコボコのレンガに何度もつまずきそうになったため、ヒラリー女史に「この道路は舗装し直さないのか」と聞くと、「昔の風情をそのままにするため道路改修はしない」とのこと。また、古い建物と建物の間から、近代的な高層ビルが遠くに見え、そのアンバランスさから過去と現代を同時に感じることができた。
 ヒラリー女史の話を聞いて、長い年数をかけてでも、愛するこの街を蘇生、再生させようとする強い意思と行動力、またそれらを支えるニューヨーク市民、企業、行政の支援と連携の強さを痛感した。

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▼「価値創造」運動の継続を
 サンアントニオ、ニューヨークの両市を視察して感じたことは、市民や行政、関係機関などの情熱と行動力、そして夢を必ず実現させるという強い意志である。
 その主役は行政ではなく、起業家や市民(民間企業も含む)である。
 両市とも、洪水被害をもたらす厄介な川や、荒廃し忘れ去られた地域であろうが、その地域の知恵と財産というものを結合させ、もう一度評価し、再創造して未来に繋げていく、そして継続した行動力と情熱で、現在の素晴らしい街を築いたり、また、将来に向けて造ろうとしたりしている。まさにこれが「価値創造」運動であろう。
 当所でも「富山市価値創造プロジェクト」の一環として、「水恵・水景」を活かした街づくりを提唱しており、そのためには、水の恵みと風景を私達一人ひとりが自覚し語り合い、自信と誇り、そして責任を持って「これからの富山市」を創造していかなくてはならないと思う。


■タイミングと決断力、行動力が夢を実現する
 グレーター・サンアントニオ商工会議所の前会頭のウエストオーバー・ヒルズ氏(写真右側)との懇談(要旨)

 今回の視察で「リバー・ウォーク開発のきっかけは万博」という言葉を何度も耳にされたと思うが、万博のようなイベントが必要な訳では決してない。
 大切なのはタイミングと決断力、そして行動力である。この3つが同時に重なってこそ、富山市リバー・ウォーク開発計画の第一歩を歩み出せることと確信している。
 現在の富山市には、昨年(2002年)就任された森市長がおられ、強いリーダーシップで街づくりを進められていることからも、タイミングとしては最高ではないかと思う。
 また将来、10年後には新幹線が来るということも、いま行動を起こすべき大きな要因であるように思える。加えて今回このような商工会議所のビジネス・リーダーの皆さんが視察団として訪米されたことは、決断力と行動力の現れであろう。
 ここで重要なのは、地元経済を担っておられる商工会議所の皆様が、行政より先に現場視察に来られた事実である。これが逆ではリバー・ウォーク開発のようなプロジェクトは成功しない。市民が行政に引きずられる形になってしまうからだ。行政は往々にして、短期間で物を見る傾向がある。我々ビジネスマンは短期・長期を振り分けて物事を捉える。これはビジネスをする上で必須の条件だ。
 私たちビジネス・リーダーは市民であり、街を支える納税者である。納税者として自分達の街、ひいては会社の利益に繋がる計画に声を大にして、叫ぶ権利を持っている。
 都市開発というのは一種の投資で、価値のあるプロジェクトには惜しげなく投資すべきであると考える。そうした投資が、我々や我々の子供たち、孫たちに財産として残されるからだ。
 皆様方の情熱によって、富山に近い将来「夢のリバー・ウォーク」が完成することを願っている。そのために私たちはいつでも協力し、支援する用意がある。