「商工とやま」平成18年1月号

呉羽丘陵を語る

■その6 呉羽丘陵 私の夢

 連載はこれで終わりだと思い、前回、「呉羽丘陵の未来」と題した小文を書いた。その後、編集担当のSさんから「えーっ、園長。もう一回ありますよ」と言われ、のけぞってしまった。連載が一回飛んだのを忘れてしまっていたのだ。
 何を書こうか迷ってしまった。もう「未来」を書いてしまったのだ。「そのまた未来」と続けるわけにはいかない。まさか「過去」を書くわけにもいかない…。
 しかたがない。私の夢でも披露しよう。


○山との出会い

 私は25年あまりにわたり、呉羽丘陵や県内全域の山や森を歩いてきた。主な目的は登山と動物観察だ。

 そもそも山に興味を持ち始めたのは、45年前にさかのぼる。小学生のころからキスリングを担いで一人で近くの山に出かけた。目的はキャンプ。山に登ることそのものよりも、テントを張る所を探し、かまどを掘り、薪を探し、飯ごうで飯を炊き、たき火に当たり、流れ星を見、冷えた体に朝日を浴びることが楽しみだった。
 自分の判断と行動で。一人自然の中で生きていることに快感を感じる変な少年であったようだ。

 ところが身ひとつで山に暮らし続ける動物たちに出会い、その生命力のすごさに驚嘆した。笑われるかもしれないが、「彼らはザックをしょってない」ことに気がついたとき、本当にショックだった。
 少しばかりの期間を山で過ごすだけなのに、町から装備や食料を持ってこなければ山で生きて行けない自分の情けなさを実感したのだ。
 それが登山に、山に住む動物に、総じて、山というものに関心を抱くことになったのだろう。


○最近の山

 昨年、クマが県内の各地に出没して社会問題にもなった。私は改めて富山の各地の中山間地を間近に見て歩いた。

 山村のどの集落にも朽ち果てた空き家が目立つ。庭は荒れ、放棄された周囲の田畑との区別は、生い茂る草の間から見える石垣がかろうじて教えてくれるだけだ。裏山からは鬱蒼とした暗い杉林が崩れた瓦屋根に覆いかぶさっている。
 かつて多くの車が行き来したであろうアスファルト道路には苔が生え、道端から草木がはみ出してきている。
 高齢化や過疎化の波は堰を切ったように激しさを増した。そして猛烈な勢いで山から人がいなくなっていくのを私は実感した。

 数千年以上にわたり、日本人の祖先が営々と手を入れてきた里山が、この数十年の間に一挙に瓦解していく姿は、見るに耐えない。


○夢

 前回にも書いたように、里山の荒廃は、自然の荒廃ではない。人と自然が折り合う姿から自然へ復古する過程の姿だ。しようがないと言えばしようがない。

 しかし、私たちの心に流れる桜、紅葉、渓流を愛でる美意識は、自然の力を借り、昔人(むかしびと)が作り上げた里山の美である。そこに、田園が広がり、草を焼く煙がたなびく生活の香りは、私たちを癒してくれるかけがえのない財産、文化なのである。
 歴史をみても山河荒れた地に都市は繁栄しない。現在の日本の都市は、ふるさとの山河を荒れるにまかせ、外国に依存してなんとか成り立っているにすぎない。
 生活様式が変わっても、里山は、文化として後世に残す意味はあるはずである。
 里山は、行政や国が作るものではない。人の生活があってこそ、住まい、暮らしがあってこそ、里山は成立する。
 でも今から昔の暮らし方に戻るのは無理だ。
 定住―職業を問わず、内に住む人々の存在。それが里山再生のキーワードだろう。
 住めば都なのである。山に人がいれば自然とのせめぎあいを折り合いにできる。皆で方法を考えればできないことではないと思う。

 呉羽丘陵から人の生活の匂いが消えて久しい。そのうち、生活の匂いのする煙がたなびく日を夢みて、この連載を閉じることにしたい。



 昨年7月号から始まった「呉羽丘陵を語る」は今回が最終回です。ご愛読いただきありがとうございました。
 豊富な自然や歴史、観光施設など呉羽丘陵は富山の価値資源の一つであります。皆さんもこの連載を機に呉羽丘陵について大いに語り合っていただければと思います。


■お問い合わせ先
 (財)富山市ファミリーパーク公社 TEL 076-434-1234


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