会報「商工とやま」表紙
平成19年度「越中売薬が培った印刷・デザイン」シリーズ
 江戸時代以来300年以上の伝統をもつ越中売薬は、富山県を代表する産業です。全国に市場をもつ売薬商人、薬種商の資本は、多くの関連産業を派生させました。その一つが印刷業です。
 越中売薬の魅力である「進物(おまけ)」には売薬版画をはじめ、チラシ、引札などがあり、薬袋や預袋などを含めた数々の印刷物が制作されました。富山の印刷やデザインの技術が早期に発展した背景には越中売薬があるのです。
 そこで、本誌(表紙)は、「越中売薬が培った印刷・デザイン」と題し、売薬版画を中心にシリーズで紹介していきます。


売薬版画(10) 4月号 売薬版画「福神花見図」
会報表紙 (竹翁画、高見版、明治時代初期)

 長い冬が終わると木々は芽吹き、春を迎えます。花も咲き始めて、人々の心も浮き立ちます。さあ、お花見です! この作品では花見に興じる福の神たちを面白おかしく描いています。花見の楽しさは、人間も神様も変わらないでしょう。恵比寿と大黒天は踊り、福禄寿と毘沙門天は首引きをして遊んでいます。そこには、弁財天が弾く琵琶の音色が流れ、花見の宴は、まさに佳境を迎えています。桜は満開!まさに、「めでた尽し」の宴会です。

所蔵:富山市売薬資料館
文:富山市郷土博物館
主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(9) 2・3月号 売薬版画「新板いろはたとゑ尽」
会報表紙 (応真斎守美画、江戸時代末期)


 切り貼りしたり組み立てるなど、子供たちが工夫して遊ぶための版画を「おもちゃ絵」と呼んでいます。その種類は大変多く、豆本、めんこ、双六、着せ替え人形など、多彩なものがあります。中でも、「〜尽(づくし)」、「〜揃(ぞろい)」などと題され、あるテーマに添ってたくさんのものを並べた作品を、「づくし絵」と呼んでいます。今回の作品は、いろは歌がテーマとなっており、「石の上にも三年」や「笑う門に福来る」などのように、今でもなじみのある言葉が見られます。これらは、絵札と文字札を切り離してカルタとして遊びました。

所蔵:富山市売薬資料館
文:富山市郷土博物館
主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(8) 1月号 売薬版画「七福神酒宴之図」
会報表紙 (尾竹竹坡画、小泉版、明治時代中期)

 この作品は、人々に福を授ける神様である七福神たちの酒宴を描いています。画面上方、瓢箪に入った酒をすすめているのが寿老人、すすめられているのが福禄寿、横からのぞいているのは恵比寿で、彼らを横目でにらみつつ毘沙門天は一人で呑んでいます。また、画面左下、酒を注いでいるのが紅一点の弁財天、その酒を受けているのが布袋、その横で大黒天は、自分にも注いでくれよと言いたげです。福の神のめでたさ以上に、楽しさや笑いにあふれた作品となっています。

所蔵:富山市売薬資料館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(7) 12月号 売薬版画「忠臣蔵、七段目」
会報表紙 (尾竹国一画、熊本版、明治25年)

 歌舞伎の数ある演目の中でも、赤穂浪士の仇討ちに取材した『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』は、最も有名なものの一つです。今回の作品では、七段目の祇園一力茶屋(ぎおんいちりきちゃや)の場面を取り上げていますが、画中では男が女に刀を振り上げています。これには一体どのような事情があるのか、あら筋を見てみましょう。主人公の大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)のもとに、亡き主君の正室顔世御前(かおよごぜん)から密書が届きますが、遊女おかるに盗み読まれてしまいます。このため、おかるの兄寺岡平右衛門(へいえもん)は、秘密を守るとともに、その功績によって仇討ちの同志に加えてもらうため、おかるを殺そうとしたのです。このように、歌舞伎ならではの尋常ならざる場面を描いているのです。

所蔵:富山県立図書館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(6) 11月号 売薬版画「福神金成木」
会報表紙 (応真斎守美画、江戸時代末期頃)

 「金(かね)の成(な)る木(き)」とは、金が実るといわれる想像上の樹木です。この作品では、福の神の代表である恵比寿さま、大黒さまとともに、盆栽のような「金の成る木」がいくつも描かれています。また、それぞれの木には「正直」や「朝起き」、「思惟深き」などの言葉が掲げられています。このような日々の心構えを守っていけば、金が成る(財産を築くことができる)ということを示しているのでしょう。

所蔵:富山市売薬資料館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(5) 10月号「チラシ各種」
会報表紙 (左)「トンプク・六神丸ほか、最新家庭常備薬、喰合せ表付」(大正時代頃)
(右)「登山するには富山の薬…、富山模範売薬本舗」(大正時代初期頃)

今回は、大正時代頃に配られた売薬のチラシを紹介します。左のチラシには、懐かしい喰合せ表があしらわれています。中には「たにし」のように、今ではポピュラーとは言えない食品もあり、時代が感じられます。他方、右のチラシには、当時、新しい乗り物であった自動車、電車、飛行機が描かれています。また、その頃盛んになってきた登山も取り上げられるなど、新しさが強調されています。

所蔵:富山市売薬資料館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(4) 8・9月号「高輪月乃景(たかなわつきのけい)」
会報表紙 (応真斎守美(おうしんさいもりよし)画、寉棲堂(かくせいどう)版、江戸時代末期)

 若い女性が、茶屋の2階から月を見ています。柱に身をもたせ、着くずした胸元に手を添えた姿は、かなり色っぽく描かれています。売薬版画としては珍しく、美人画の要素を強く打ち出した作品といえるでしょう。
 この作品の舞台となった高輪(東京都港区)は、遠くに房総半島を望む景勝の地で、海岸沿いには茶屋が並び、江戸名所の一つとなっていました。また、この作品にも描かれているように月見の名所としても名高く、二十六夜待や仲秋の名月の際には、大勢の人々でにぎわいました。

所蔵:富山市売薬資料館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(3) 7月号「薬袋各種」
会報表紙 本方反こん丹、人参入熊胆丸、正気湯風薬(江戸時代)
健胃剤ピルス、薬王丸(明治時代)
毘爾斯、快通丸(明治時代末〜昭和戦前期)
錠剤かぜ、ハトポッポ(昭和戦後期)

 今回は、各時代の薬袋を紹介します。薬袋には、薬品名、効能、製造者名などが記されています。江戸時代は、文字だけのものも多く見られますが、中には図柄が入ったものもあります。熊胆が処方された薬には熊が、また風邪薬には鐘馗が描かれるように、効能が分かりやすいようになっています。明治時代以降のデザインは、西洋の影響を受けるとともに、商品の新しさなどの要素も強調されるようになりました。

所蔵:富山市郷土博物館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(2) 6月号「静閑翁」(尾竹国一画、笹倉版、明治時代中期)
会報表紙  富山売薬の代表的な薬である反魂丹の伝来については様々な伝説に包まれており、曖昧模糊とした点も多くあります。ただ、備前岡山の医師万代常閑が所持していた処方が伝えられたことにより、富山でも作られるようになったことは確かなようです。

 題名の「静閑翁」とは、その常閑のことで、画中にも「富山名産反魂丹之元祖」とあります。まるで歌舞伎役者のようにキリリとした顔立ちで、背景には、医薬の神様である神農さんの掛軸や薬箪笥(くすりだんす)も描かれています。売薬さんは、この作品を得意先に配る際、あわせて「反魂丹伝説」を語ることで、富山の薬の宣伝に努めたのでしょう。

所蔵:富山市郷土博物館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩


売薬版画(1) 5月号「合薬売弘所、御免調合・反魂丹」(寉棲堂版、江戸時代末期)
会報表紙  お客さんの「少々値段が高くても良く効く薬をおくれ」、「金の貯まる薬があればおくれ」という注文に、大黒様や恵比寿様が「ハイハイ良く効くのをあげます」、「金銀財宝が沢山になる薬をあげます」と答えています。まるで、現代のマンガのようです。

 しかし、この版画が作られた目的は別にあります。画面上の文章には、「薬種などの仕入れ価格が上がり、特に旅に出る商売であることから雑費なども増えている。このため、薬の値段を見直したい」という内容が記されています。要は、値上げの案内チラシなのです。当然、得意先は良い顔をしませんが、マンガ仕立ての絵で、その顔を笑わせようとしたのでしょう。売薬さんの苦労がしのばれる一枚となっています。

所蔵:富山市郷土博物館
文:富山市郷土博物館 主査学芸員 坂森幹浩氏


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