会報「商工とやま」平成22年2・3月号

特集2 平成21年度創業100年企業顕彰 その(4) 一部一部を大切に、これからも地域の皆さまに、価値ある新聞をお届けしたい。
北日本新聞東岩瀬販売店大村新聞舗


 東岩瀬で新聞販売店を営み100年の歴史を刻む大村新聞舗。現在営業している北日本新聞の販売店の中では最も古い老舗です。どんな日にも必ず新聞を配達するという使命のもと、日々、営まれる販売店という仕事。そこにはどんなご苦労があり、思いがあるのか、4代目店主の大村正英さんにお話を伺いました。


北陸タイムスを販売した創業時


 歴史ある街並の整備が進む岩瀬大町・新川町通り。通りに面し、風情ある町家風の佇まいを見せているのが大村新聞舗です。市の助成を受けて最近改築されたという現在のお店ですが、その歴史は古く、創業は明治42年。北日本新聞の前身の一つである『北陸タイムス』の販売を、正英さんの祖父の正彰さんが手掛けたのが始まりでした。

 「昭和2年に、北陸タイムスから感謝状をいただいており、その賞状から正確な創業年を知ることができたんです」

 正彰さんは昭和4年に亡くなり、祖母のカノさんが事業を引き継ぎました。昭和26年には戦争から帰っていた正英さんの父の清英さんが販売店の仕事を手伝うようになります。そして、昭和36年にカノさんが70歳で亡くなると、清英さんが3代目店主となりました。現在87歳の清英さんは今もとてもお元気で、金庫番として経理面などで、しっかりと店を支え続けていらっしゃいます。


東京から帰郷し後継者に


 4代目の店主である正英さんは、昭和28年生まれ。高校卒業後は東京の大学に進学し、横浜でサラリーマン生活を送っていました。そんな正英さんが帰郷し販売店の仕事を継ぐ決意をしたのは、昭和56年のことでした。

 「最初は商売を継ぐつもりはなかったのですが、私は長男でもあり、父から相談がありました。父は当時60歳で、そろそろ体力的にも大変になってきたし、お前は将来どうするつもりなのかと。お前が販売店をやるんだったら、もう少し頑張る、と。言わば父から最後通告されたんです。

 私はその頃、毎朝6時に家を出て、夜中の11時に帰ってくるような毎日でした。どうしてもラッシュの人ごみにも慣れませんでした。将来、転勤や単身赴任が避けられないことや、住まいのことなどを考えた結果、やはり水がおいしくて、ゆったりとした自然豊かな富山に帰ってこようと決意したんです」

 その後、正英さんが正式に事業を引継いだのは平成12年。祖父・祖母・父と続く新聞販売店の4代目店主となりました。


大雪で新聞が届かない


 正英さんがいまでも忘れられない出来事が起きたのは、帰郷して2年後の昭和58年の12月15日のこと。市内で一晩に約70センチもの雪が積もり、配送のトラックが途中で動けなくなった時のことです。

 「当店では通常2時半頃には新聞が届きます。でも、その日は大雪で蓮町でトラックが動けなくなったんです。当時は融雪装置も無く、携帯も無い時代。運転手からは公衆電話で連絡がありましたが、こちらも店の車が出せない程の大雪でした。近所で四駆のジープを借りてようやく配送のトラックに辿り着き、ジープに新聞を積めるだけ積んで、各支所に配ってまわったんです」

 配達スタッフの中には、出勤前のアルバイトとして兼業で働いている方も多く、到着時間の遅れで配達できない人が続出する事態に。その分も正英さんが配達しなければならなくなり、雪をかき分けての配達で、いつもの何倍もの時間がかかったそうです。

 「全部配達し終えた時には、もうお昼になっていましたね。新聞が来ないと、私たちはどうすることもできない商売です。あの日の出来事は、今でも本当に忘れられません」


使命と責任感。地道な積み重ねで100年に


 配達の仕事はたとえ大雨や大雪、台風の日でも、雨や雪が止むまで、風がおさまるまで待つことはできません。毎日、ほぼ決まった時間に新聞を各家庭に届けなくてはなりません。

 「時には危険と隣り合わせのこともあります。でもお客様が待っていて下さることを考えると、責任感、使命感が湧いてきます。スタッフ皆にそのような気持ちがあると思います。この仕事は、富山県人、あるいは、日本人の真面目な気質に支えられているのかもしれませんね」

 新聞の休刊日は現在は1年間でわずか10日間。1年355日、毎日、新聞を配達して下さる皆さんがいます。さらに、その販売店の仕事を100年間にわたって続けてこられたご家族がいることに、本当に頭が下がります。

 「新聞の一番の価値は、情報はもちろんですが、戸別配達にあると思います。日本の新聞は宅配に支えられている面が大きいんです。朝起きたら、新聞が届いているというあたり前のことを守るのが私たちの仕事。派手なパフォーマンスはないですが、何があろうときちんと配達することが使命なんです。私たちはお客様の見えないところで動いている、完全な黒子。長く続けてこられたのは、お客様はもちろん、配達さんや従業員のお陰です。一人では絶対にできない仕事ですから、そのことはいつも肝に命じています。そして、まさに『継続は力なり』ですね。一日一日の積み重ねで、いつの間にかこうして100年続けてこられたことは、皆様のお陰だと感謝しています」

 時折、お客様から「ありがとう」と声を掛けられたりすると、とてもうれしいと話す正英さん。長く信頼を維持することのご苦労を語って下さいました。

新聞の価値をもっと高め、その良さを知って欲しい


 活字離れが進む昨今。次代を担う若者たちに、いかに新聞の価値を伝えていくかということは大きな課題です。そんな中、NIE(Newspaper in Education)の取り組みでは、教育界と新聞界が協力して、社会性豊かな青少年の育成や活字文化などの発展を目的に掲げ、さまざまな事業を展開しています。

 また、北日本新聞では今年からあらたに、『webun』というインターネットでのサービスがスタート(http://webun.jp)。2月からは購読者専用となり、内容もこれまで以上に充実したものになりました。

 「新聞がお客様にとっていかに必要なものかをPRしていかなければなりません。そのためには、新聞の価値をさらに高め、その良さを知ってもらうことが必要です。現在、販売店では共同で毎月ミニコミ紙を発行するなど様々なサービスを行っていますが、若い世代や子どもたちに、もっと新聞を好きになってもらい、必要性を感じてもらうことが大切だと考えています」


地域の子どもやお年寄りを見守る


 北日本新聞販売店では、「子ども見守り隊」や「愛のひと声運動」など地域でのボランティア活動も行っています。「愛のひと声運動」では、新聞受けに新聞がたまっていて、お年寄りの急病を発見した例もあるとのこと。毎日、家庭に届けられる新聞の特性を生かした活動として、新聞とともに地域に安心を届けています。

 「地元紙を届ける私たちにとって大切なことは、地域の皆さんに愛される店であるということ。地域の力になれるよう、これからも積極的に活動に取り組んでいきます」


地道に、まじめに、新聞の価値を伝えていきたい


 「祖父の代から一部一部を大切に、地道に積み重ねてきたことが、今につながっています。新聞販売は何割も急に売り上げを伸ばせる商売ではありません。これからも、地道にまじめに正直に、仕事に取り組んでいきたいですね。そして、新聞の価値やその良さを、もっと広く、伝えていけたらと考えています」

 新聞販売店の仕事は、長年の読者でもなかなか知る機会はありません。今回の取材を通して、販売店の皆さんの手で、強い思いで大切に届けられている新聞の良さ、温かさを改めて感じ取ることができました。人と人がつなぐ、地域ならではの情報媒体として、今後の発展に期待を寄せたいものです。



北日本新聞東岩瀬販売店  大村新聞舗
  富山市東岩瀬町287/TEL:076-437-9546/FAX:076-437-9719

●主な社歴   明治42年(1909) 東岩瀬で初代・大村正彰さんが創業『北陸タイムス』を販売開始
  昭和4年(1929) 正彰さんの死後、妻のカノさんが2代目として事業継承
  昭和36年(1961) 清英さんが3代目として事業継承
  平成12年(2000) 正英さんが4代目として事業継承
  平成21年(2009) 創業100周年

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