会報「商工とやま」平成22年7月号

特集1
平成22年度創業100年企業顕彰その1
これからもお客様と取引先に信頼される「きもの専門店」でありたい
呉服の岡本



 市電通りに面した富山市上本町に店を構え、多くの顧客や取引先の信頼を得る「呉服の岡本」。100年という長きにわたり、同店が地域で愛され続けた秘密とは。また、そこにはどんな家族の物語があったのか。2代目で代表取締役の岡本正さん、慶子さんご夫妻にお話を伺いました。


魚津市より富山市へ


 呉服の岡本は、明治43年に現社長の岡本正さんの父である岡本長次郎さんが出身地の魚津市橋場町で創業した岡本商店が始まりです。長次郎さんは明治22年、魚津生まれ、水橋の松井呉服店で丁稚奉公し、21歳で独立しました。当時はメリヤス肌着、傘、帽子、衣料呉服全般を扱って店は繁盛し、新川地区では一番店にまで成長。戦前、戦後を通じて、下新川郡繊維小売業協同組合の理事長も務めました。

 しかし、昭和31年の魚津大火で店をほぼ焼失。富山市小泉町に移転し、外商中心の営業を再開しました。

 昭和44年、大手町にて新店舗を開店。店舗が市民病院のすぐ隣(現在は市民プラザ)にあり、病院職員の方や見舞客、患者さんが憩いのひとときを求めて来店され、まるでサロンのようでした。

 「ありがたいことに、当時のお客様には、今でもご愛顧いただいている方が多いんですよ」と慶子さんは振り返ります。


オイルショックで絹物が大高騰


 まもなく、オイルショックが起こり、呉服店も大きな嵐に巻き込まれていきました。

 当時、白生地も無くなるという風評が広まり、値段も高騰していきました。岡本にも固定客はもちろん、新規のお客様も高い価格でもいいから、と多くの方が来店。しかし、当時85歳の長次郎さんは、「日本からきものがなくなることはあり得ない。この熱が冷めるまでもう少し待ってください。必ず落ち着きます」と断言し、商品を一切販売しなかったのです。


信念を貫いて厚い信頼を獲得


 岡本家では、長次郎さんの一言は絶対でした。ご夫妻は当時の思いを次のように語ります。

 「高い値段でも飛ぶように商品が売れている他店の噂を耳にし、正直うらやましかったですね」

 しかし、やがてパニックも収まり商品が従来の価格に戻ってお客様が平常心を取り戻した時、岡本の対応が高い評価を受け、厚い信頼を獲得することができたのです。

 「当時の対応は本当にすばらしかったと思いますし、今でも父を尊敬しています。父はお客様、取引先の身になれと口癖のように言っていました。父が貫いた、流行に惑わされない考え方が、現在の岡本の基盤になっているのです」


徹底した質素倹約ぶり


 長次郎さんは質素倹約を旨とし、家族にもそれを徹底させました。昭和38年に慶子さんが嫁いだ当時、普及が進んでいた冷蔵庫やガス台もなく、七輪で食事の用意をしていました。短くて持てなくなった鉛筆は二本を紐で縛って長くして使っていたといいます。

 また、長次郎さんの妻のヒロさんも、七百日「しっちゃくにち」のニックネームがつくほどの働き者でした。年中無休で、睡眠時間もわずか。正さんを40歳で出産するその朝まで働いていたそうです。また、長次郎さん同様、短い紐一本も、端切れ一枚も、決して捨てなかったそうです。旬のものは贅沢だと食べることもありませんでした。

 「明治生まれの人は皆『もったいない』という感覚を持っていましたが、なかでも父は、突出した倹約家でした」と正さんは振り返ります。


取引先への決済が信用の礎


 当時呉服業界は「ある時払いの催促無し」と言われ、お盆と暮れの年2回払いが普通の時代でした。しかし長次郎さんは、全ての取引先への支払いを、月末締めの翌月現金払いにしていたのです。

 「米びつ空でも問屋に支払え」、「問屋さんが真っ先に一番良い品を見せてくれる店になれ、その為には決済が何より大事だ」が長次郎さんの口癖だったそうです。

 「月末締めの翌月現金払い」は、岡本の商売の基礎となり、現在でも続いています。


良い品物を安く提供できる訳


 呉服業界には「浮貸し」と言って商品を一定期間問屋さんから借りて、必要がなくなったら返却する、というシステムがありますが、岡本では商品を問屋さんから現金で買い切り、自社の在庫にしています。

 問屋さんの立場で考えると、買ってもらえるかどうかわからない店と商売をするより、その場で買ってもらえて、決済が確実な店と商売する方が良い訳です。ほとんどの問屋さんが「岡本さんならこの値段で良いです」と値段を下げられるのだそうです。高品質な品物が低価格でお客様に提供ができるのは、取引先との厚い信用にあるからです。


品質とオリジナリティ


 昨今、「きもの」を単なる商材とする企画会社が、全国で呉服屋さんの名前を借りて宣伝広告をし、展示会を開催しています。ほとんどは海外で大量生産される企画商品で、今週の土日はA店、来週の土日はB店と、同じ商品が売り子さんと共に全国を回っているそうです。

 問屋さんも「企画商品」と「買い切り商品」を分けて商品作りをしているのだとか。

 それに対して岡本では、お客様が本物志向の方ばかりですから、企画商品は扱いません。なにより商品を買い切っているので、企画会社に頼る必要もないわけです。

 岡本のきものは質の高い生地と品の良い繊細な色合いと柄が特徴で、「新作」や「売れ筋」などにまどわされず、「品質」と「オリジナリティ」を大切にしています。仮に高品質な商品であっても、岡本の好みに合わなければ決して仕入れないこだわりを持っています。


ローン販売や多角経営はしない


 岡本では、古くからの呉服店としての手法を守り、ローン販売はしていません。お客様の家に集金に伺えば、お茶を頂いたり家族の話をしたりして、深いお付き合いができます。家族四代にわたっておつきあいしているお客様も少なくありません。

 また、呉服に関連しない商品には手をつけず、一貫してきもの専門店として商売を続けています。「多角経営に走った同業者や取引先が、バブル崩壊後に破綻するのを数多く見てきたことも理由のひとつですが、何よりも専門性をより高めて、お客様に貢献したい気持ちが強かった」と慶子さんは語ります。


人間国宝の作品を多数保有


 同店では、皇室の儀式用装束で知られる人間国宝の喜多川俵二氏や、大阪芸術大学名誉教授吉岡常雄氏(故人)など、人間国宝や著名な伝統工芸作家の作品を多数保有しています。平成14年には「喜多川平朗・俵二有職展」を開催。個人の呉服店としては大変画期的なことでした。

 人間国宝の作品であっても岡本では適正価格で販売しているため、「他店はもっと高い。偽物ではないか」という問い合わせもあったほどです。前述の喜多川氏は「たとえ人間国宝の作品でも、お客様の手の届かない価格では意味がない。全ての呉服屋さんが岡本さんのような価格で販売してくれれば嬉しい」と語ったそうです。


きものの良さを再認識する時代へ


 呉服業界を取り巻く環境は年々厳しくなっています。その一方で若い世代でも浴衣をはじめ、きものへの関心が再び高まってきていることも事実です。

 お子さんの入学式などにきものを着る若いお母さんも増えていて、聞くと「きものを着ると子供が喜ぶ」「去年買ったスーツが着られない。きものは多少太っても問題なく着られる」「きものを着て食事にいくと、お店で大切に扱われる」など、きものだからこそ得られる嬉しい体験やエピソードが数多くあります。


頼もしい2人の後継者


 現在、貴子さんと倫子さんの2人が勉強中です。貴子さんは全日空で客室乗務員として15年間勤務。倫子さんもディズニーランドや高級ブランド等で勤務し、一流のサービスや接客を身につけてきました。そのスキルや経験、人脈を家業にも活かそうと、帰郷後も2人は様々な活動に積極的に取り組んでいます。

 二人の活躍を楽しみにしていると語る岡本さんご夫妻。今年の創業100周年記念事業開催に向けて家族全員が精力的な日々を過ごしています。

 そして、これからも独自の家訓を守り続ける「きもの専門店」として、呉服の岡本は新しい歴史を刻もうとしています。



株式会社岡本「呉服の岡本」
富山市上本町7-12
TEL:076-425-1714
●主な沿革
明治43年(1910) 魚津橋場町で初代長次郎氏が岡本商店創業
昭和26年(1951) 有限会社岡本商店設立
昭和34年(1959) 富山市小泉町に移転
昭和44年(1969) 富山市大手町に新店舗開店
昭和56年(1981) 現住所 富山市上本町に新店舗開店
平成4年(1992) 株式会社岡本「呉服の岡本」設立
平成14年(2002) 重要無形文化財保持者(人間国宝)喜多川俵二氏来場のもと、喜多川平朗・俵二有職展を富山第一ホテルにて開催

▼機関紙「商工とやま」TOP