会報「商工とやま」平成23年1月号

新春特別寄稿
 元気がでる12のメッセージ【第3部】生きていく力をつける



家庭の食卓が育むコミュニケーション力   「食育研究会 いただきます!」代表 澤井 保子


 かつて、ある会社の社長室で交わしたちょっとした会話を時折思い出します。真新しい社長室には豪華な応接セットが置いてあり、思わず私は、「この立派なソファーで、きっと社長から叱咤激励される社員さんもいらっしゃるのでしょうね」と口にしました。その時、社長さんは「いや、怒るときはみんなの前で怒りますよ。ここに通すのは社員を褒めるときですよ」と、社員教育に関する持論を話されました。私は企業の厳しさと、皆の前で叱られる社員の気持ちをおもんぱかりながら、叱ること、褒めることの難しさを改めて考えてしまいました。そして思ったのは、社員を育てるのも、子を育てるのも、同じはずなのに、会社と家庭ではなぜこのように違うのだろうかということでした。


◆食卓を囲みながら教わったこと

 さて、人は食べなければ生きていけません。「食は命」です。古来、家族にとって最も重要なことは家族総出で行う食糧の調達であったと思います。昔は子供も貴重な戦力だったのです。毎日、家族が団結して、わいわいとコミュニケーションをとりながら共同作業を行い、家族揃って食べ、日々の生活の中で家族のつながりを強固なものにしていました。きっと子供達もそうしたコミュニケーションの中で、いろいろなことを見聞きしながら学んだことでしょう。

 私が物心ついた昭和30年代の我が家の食卓は、今の感覚からすれば質素な食事そのものでした。それでも砂利だらけの田舎道を裸足で駈けずりまわり、川で泳ぎ、田んぼで泥だらけになって野球をしたり、農作業の手伝いをしたりと、結構元気一杯でした。そして、よく祖父母、親から叱られ、兄弟喧嘩をする中で、気持ちは強くつながっていたような気がします。時々思い出すのは、食卓を囲みながら、祖父母、親からいろいろ教えられたことです。時には反発して、父親に川へ投げられそうにもなりましたが、今気付くことは、その当時聞き流していたことも、今では何気なく日常生活の中で実行していることであり、教えられたことの大切さです。


◆家庭でのコミュニケーション不足で人間力や生活力に欠ける子供達

 今はお金さえ出せば、いつでも、どこででも、なんでも好き放題に買って食べられる時代となりました。その結果、健康的な食生活がしにくい環境になったとも言えます。そして、今は食卓の横にはテレビがどんと置いてあり、家族は会話をするでもなく、テレビを観ながら食べ、食べ終わったら子供は自分の部屋でテレビゲーム。ある時は子供だけで食事したり、朝ご飯がなかったりする家庭が増えるなど、家族の団欒が少なくなってきました。その結果、家族間の縦、横のつながりが希薄になってきていると思います。そして、家庭でのコミュニケーションが不足し、体験を通して学ぶ人間力や生活力が身に付かず、そして愛に飢えた孤独な子供達が増えたような気がします。社会の最小単位である家族間でさえ、愛し愛される関係を築けず、心の拠り所を失った結果、社会に順応できずに心をコントロール出来なくなった子供達、青年達が凶悪な犯罪に走っているのではないでしょうか。


◆団欒は心を作る
 団欒とは単に集うことではなく、楽しい心の触れ合いのある集いを指します。「家庭の食卓にのる食は体を作り、団欒は心を作る」と思います。この団欒を通して、子供達の心を広く深く、柔軟に開くことはとても大切なことであり、そして心に響いたものはしっかりと刻みこまれるはずです。

 子供は「おぎゃー」と産まれた時は、何が良くて、悪いかは分からない状態です。幼い子供に、大人の考えを押し付けても分かるはずもなく、子供は戸惑うばかりでしょう。親は、愛情を持って、心を通わせながら、根気強く、子供に良い知識・智恵を授ける必要があります。そして褒めて育てることが大事だと思います。頭ごなしに怒るのではなく、ましてや人前で怒るのではなく、まず良いことを見つけて褒めることでお互いの気持ちを柔らかくして、そしてやんわりと怒り、諭すのが良いのではないでしょうか。

 厳しい競争の中で利益を追求する会社では、先の社長さんのような怒り方、褒め方も必要かもしれません。しかし、心と体を育てる家庭にあっては、怒るときは二人きりで冷静に、そして褒めるときは人前で高らかに。そうした親の姿勢はきっと、子供の心に染み入るのではないでしょうか。まずは、ご自分の家庭での団欒を見直してみませんか。お子さん、お孫さんと楽しいコミュニケーションをしていらっしゃいますか。

●澤井保子(さわい・やすこ)
昭和24年富山生まれ。富山大学教育学部中学校教員養成課程(家庭科)卒業。米国ピッツバーグ大学医学部研究助手、国立東京医科歯科大学医学部附属難治疾患研究所勤務(文部教官助手)、明治乳業(株)ヘルスサイエンス研究所課長研究員を経て、7年前に富山に戻り「食育研究会 いただきます!」を設立、代表を務める。平成22年から富山市医師会看護専門学校講師(栄養学)を務める。
医学博士、中医薬膳指導員、食育学会会員。
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親から子へ…婚活へ導くためにできること 「ほっとサロン チャーチャー」代表 東堂 美香


 わが子がなかなか結婚しようとしない…と嘆いていらっしゃる親御さんは結構いらっしゃるようです。
 最近はすっかり晩婚化してきており、30代前半での未婚率は男性で47%、女性で32%です(平成17年調査)。
 親御さんたちの世代とは結婚観もずいぶん変わってきていることを理解しなければなりません。まだ結婚の意思を見せないお子さんに向かってつい焦って「なんで結婚ぐらいできないの」とか「この歳なんだから早く結婚相手ぐらい見つけないと」などと言ってしまうことはありませんか?
 またはなかなか結婚しようとしないお子さんのことを「子育てを間違った」などと嘆いたりしていないでしょうか。


◆親ができることは

 そんな親御さんたちがお子さんに対し、できることは実はとても限られます。まず大事なのは親自身の結婚に対する意識改革をすることです。親世代の常識を押し付けないこと。

 これだけ世の中が不景気になっているのにもかかわらず、『男は仕事、女は家庭』といったことにこだわっていると経済力が落ちている現代ではなかなか結婚にいたりません。今は女性も働いて、共に家計を支えるくらいの意識でいないとなかなか生活が難しくなっています。しかも女性の方が稼ぎ力のある『逆転夫婦』だって珍しくはなくなっています。

 さらに男性も家事力が求められています。今は「家事メン」、「育メン」という言葉がよく聞かれるようになりました。育児休暇を取る男性も少しずつではありますが増えてきているようです。仕事だけがんばっていても結婚相手としては不足ということになりますね。

 また、いつまでも子がパラサイトしていると、経済力、家事力というものも身につかなくなります。結婚を促すのなら早いうちにお子さんの独立心を持たせることが大事です。

 「子供がそばにいてくれたら安心」などと言って、親がいい大人になった子をいつまでも実家に住まわせると、居心地の良い環境から抜け出せず、自分自身の力で生活することに臆病になってしまいます。ある程度の不便さも経験です。一人での生活、寂しさをも経験することで結婚したいという気持ちも芽生えます。

 つまりお子さんの将来を思うならば、親御さん自身の子離れが必要なのです。


◆結婚に夢をもてるような見本に

 そしてもう一つ挙げるなら、親自身の結婚生活のこと。子にとって夢を持てるような関係を見せてきたでしょうか。親は一番身近な見本です。その親が子に向かって「あんな人と結婚なんかするんじゃなかった」などという言葉を聞かせ続けていたとしたらどうでしょうか。結婚に対して消極的になってしまうのも仕方がないことではないでしょうか。

 例えシングル家庭であったとしても、お子さんには「それでも私は結婚してあなたを産めたことは幸せなことだ」などと伝えてあげてほしいと思います。

 出来るだけ結婚に対して、前向きな言葉で話すこと。結婚した未来が明るく、幸せなものになるという想像ができるように親自身の気持ちとして話してほしいと思います。

 唯一、親御さんがかかわれる婚活としては、(あくまで子の承諾を得た上で)周りの人に「うちの子が婚活中なのでどなたかいらしたらよろしくお願いします」などと親御さんの人脈を使ってアピールしておくことです。ただし、父親が表に出るとうまくいかないことが多いそう。できるだけ母親が動いた方がいいのかもしれません。

 最近では子に代わって親同士がお見合いをするパーティもよく聞かれます(ただし成功率はそんなに高くはないそうですが…)。

 今はライフスタイルも様々で、考え方もそれぞれです。結婚の形が自由になっている分、迷いも多いのかもしれません。お子さんの結婚に対する想いを無理やり引き出すのではなく、さりげなく前向きな言葉で会話できる雰囲気を作るのも大事なことではないでしょうか。きっと本当は、結婚を含む将来に対して一番不安を感じているのはお子さん自身なのですから…。何かあれば力になるよ、と伝えておくのは心強いことだと思います。

●東堂美香(とうどう・みか)
「ほっとサロン チャーチャー」代表。銀座コーチングスクール認定コーチ。日本リフレクソロジー協会認定セラピスト。恋愛・婚活・男女コミュニケーション等のコーチング、セミナーにて活動中。
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映画から学んだこと    富山国際大学国際教養学部 准教授 永井 広克


 中学生の頃からよく映画を見ているが、その習慣は還暦を過ぎた今でも変わらない。ひと頃、富山市から映画館がほとんどなくなったが、今は総曲輪の旧wizシネマがフォルツァ総曲輪として復活したし、郊外にシネコンが生まれ映画館がずいぶん増えたので、かえって若い頃よりも頻繁に見ている。


◆中央通りのたから劇場で

 中学生の頃は、旧新湊市の堀岡駅から旧射水線に乗って富山市中心街に出かけ、中央通りの東端にあったたから劇場でよく見た。洋画の専門館で70ミリの大画面が売り物だった。時おりフランスやイタリア映画も上映するが、大部分はアメリカ映画だった。

 中学生の頃見た映画では「アラモ」がいちばん心に残っている。ジョン・ウエインが主演・監督した映画で、テキサスのアラモ砦に立てこもる2百人足らずの義勇兵が、数千人のメキシコ軍の攻撃を受けて、全員討ち死にする話に涙を流した。

 中学3年の時、「ウエストサイド物語」が年末から上映されたが、高校入試の受験勉強中だったので、すぐにでも見たい気持ちを必死に抑えた。そして3月中旬、2日間の入試が終わるやいなや、たから劇場に駆けつけた。序曲に続き、ニューヨークの上空からカメラが一気に地上のバスケットコーナーにズームし、バスケットに興じる若者たちに画面が変わり、ついでジョージ・チャキリスを中心に3人の若者が軽やかな音楽に合わせて、長い足を思い切り上げて、路上をダンスする。それから3時間近く70ミリの大画面に炸裂する、イタリア系とプエルトリコ系の若者たちの対立と和解の躍動感溢れる物語に感激した。

 今から思えば、たかが15歳のガキに「ロメオとジュリエット」を下敷きにした悲恋物語がよくわかったものである。その時の感激が忘れられず、高校入試の合格発表後、当時では大金だった千数百円をはたいてサントラ盤のLPレコードを買い求め、しょっちゅう「トゥナイト」や「マリア」などにうっとりと耳を傾けていた。


◆「アラビアのロレンス」の魅力

 進学先は富山中部高校だったが、土曜日になると決まって県庁の食堂で昼食を食べ、それから映画館に出かけた。高校1年の時、1963年だったが、やはりたから劇場の70ミリの大画面で「アラビアのロレンス」を見た。これまで半世紀近く、数え切れないほどの映画を見たが、いまだに「アラビアのロレンス」が私にとってベストワンである。70ミリの大画面に映し出される広大な砂漠に魅せられたが、なんといっても地平線上で揺らめく黒い点が、近づくにつれてラクダに乗った人影となるあの場面が白眉である。

 それ以来何回も見たが、いちばん最近はTOHOシネマズ富山の「午前十時の映画祭」で昨年再会した。見るたびに新しい魅力に気がつくが、今回は砂漠の美しさや勇壮な戦闘場面だけでなく、ロレンスの内面の揺らぎが、きめ細かく描写されていることに気がついた。また大砲が海に向けられているアカバを、灼熱のネフド砂漠を横断して攻略する決意を固めた時の「運命とは自分で切り開くものだ」というせりふが、今回も心に染みた。

 「アラビアのロレンス」と並んで黒澤明の「七人の侍」も心に深く残っている。初めて見たのは大学生の頃で、たしか東京の新宿あたりの映画館だった。「アラビアのロレンス」とは対称的に白黒スタンダードの映画だが、その地味な小さな画面で繰り広げられる、野武士に対する農民と七人の侍の戦いに釘付けになった。七人の侍の個性もそれぞれきわだっているが、やはり勘兵衛役の志村喬と菊千代役の三船敏郎が出色である。

 その志村喬が農民の頼みをついに受け入れる時、農民が持ってきた湯気の上がるどんぶり飯を片手に掲げ、「この飯、おろそかに食わんぞ」と発する。そのせりふに身につまされたのは、肉体労働をしながら大学院に通っていた頃だった。


◆映画から学んだこと

 最近の映画ではやはり「劔岳 点の記」が素晴らしい。CG全盛でどんな場面でも作れるが、画面にコクがなくなり、薄っぺらな映像が氾濫する咋今、すべて実写で撮ったこの映画はとても貴重である。エンドロールに「仲間たち」という文字に続いて、監督、役者、裏方の名前がわけ隔てなく、順番に右から左へ流れていく。彼らが一人残らず一致団結してこの映画を作り上げたという心意気が感じられる。

 そんな風に考えると「星の王子さま」の有名なせりふ「本当に大事なものは目に見えないんだよ。心で感じるものなんだよ」が思い浮かび、長次郎の「誰かが行かねば、道はできんちゃ」がロレンスの「運命とは自分で切り開くものだ」と重なって聞こえた。

●永井広克(ながい・ひろかつ)
昭和22年富山生まれ。早稲田大学商学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。現在、富山国際大学国際教養学部准教授。社会学専攻。
趣味は年間約180本の映画鑑賞と毎日3キロの水泳。
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そろばんの効用 日本珠算連盟富山支部    副支部長 瀬戸 高則


 12月4日から全国公開された映画「武士の家計簿」は、刀ではなく、そろばんで一家を守った「加賀藩御算用者」の物語です。著者の磯田先生によれば、江戸時代になって兵農分離が進み、農民が家族経営を始めるようになると、年貢を納める上でそろばん力が必須になったそうです。また、「江戸時代の一般庶民の計算能力の高さは世界最高レベルで、日本が列強に侵略されず、今日経済大国でいられるのは、江戸時代の庶民のそろばん力が高かったからだ」とも述べられています。


◆尼崎市で小学生の学力が向上

 戦後、電卓・コンピューターが登場したことで、そろばんは、時代遅れの計算道具といわれるようになり、学校教育の場からそろばんが消えてしまいました。その影響もあってか、ここ数年前から小中学生の算数や数学の能力が諸外国と比較して低下してきていることが取りざたされ、教育界に於いても教育改革が叫ばれるようになりました。兵庫県尼崎市では「計算(そろばん)特区」を申請し、平成16年より杭瀬小学校で計算科として年間50時間のそろばんの授業を実施した結果、計算力だけでなく、集中力が養われ、学力向上にもつながることが明らかになりました。平成21年度からは尼崎市全校の43校が取り組んでいます。


◆そろばんの6つの効果

 そろばんをやることで、次の6つの能力アップに驚異的な効果をあげることができます。

@「集中する力」そろばんの検定試験は制限時間に規定問題数を正解しなければなりません。1級のかけ算1問では、計算過程で100回以上指先操作し、かけ算九九を30回唱え、11桁(100億)の答えを記入します。これを20問繰り返すと指先の動きは、なんと2000回以上を数えます。

A「イメージやヒラメキの力」日本医科大学の河野貴美子先生の研究発表で、有段者の珠算式暗算は右脳を使用していることが判りました。問題解決・発明などのヒラメキは右脳から発生すると言われており、問題解決の思考回路を最短距離で結ぶ「脳力」が開発されます。

B「記憶する力」暗算には珠算式(右脳使用)と算数式(左脳使用)とがあります。珠算式は右脳で処理した答えのパターン記憶を行い、直観像として長く記憶にとどまります。一般的に試験などで使用される記憶方法(左脳使用)は短期間で忘れてしまうことが多いが、珠算式記憶法は長期間失われません。

C「注意深く観察する力」ミスが許されないトレーニングを繰り返していると、集中力と同時に、数字を注意深く読みとる能力が高まってきます。一般社会における「会社分析」などは全て「数字を読む」ことから始まります。

D「情報を処理する力」コンピューターの発達で膨大な情報量が社会を行き交っている中、必要な情報を、いち早くキャッチし超速で処理する「脳力」は21世紀の必須能力のひとつです。そろばん・暗算トレーニングでは、数字をミスなしに速く読みとり、右脳で秒速処理を行い、左脳で正確な数字情報に変換します。この「脳力」は学力と並び大切な武器となります。

E「速く聴き・速く読む力」そろばんトレーニングの中に「読上算」という種目があります。これは、読み手が読み上げる問題を即座に聴き取り、正しく処理するトレーニングを指します。前近代的な学習法に見えますが、実は、「速く聴き取る力」をトレーニングしています。また、数字をブロックごとに速く読み取り処理する学習法は、「速く読む力」をトレーニングしています。

 その他の効用として、昨今は高齢社会が進み、老々介護や認知症などが社会問題になっていますが、そろばんはお年寄りの老化、認知症の予防につながると、脳科学者の研究発表があり、「60歳からのそろばん教室」を開く老人福祉施設も現れました。今やそろばんは、単なる計算道具ではなく、教育や医療の分野まで活用の範囲が広まっています。


◆富山でのそろばん教育

 日本珠算連盟富山支部では、小学校珠算講師派遣事業として8年前より富山市教育委員会にそろばん指導の協力を申し出し、昨年度は市内の17校に珠算講師を派遣しています。また、富山商工会議所が実施する珠算能力検定試験の協力や、日本珠算連盟主催の珠算・暗算検定試験、全国そろばんコンクール、全国あんざんコンクール、富山支部・富山県珠算連盟連合会の珠算競技大会の実施など、多くの事業を通してそろばんの普及に努めています。

 会員一同は、これからも活動を通して珠算技術の振興と発展を図り、社会貢献していきたいと考えています。

●瀬戸高則(せと・たかのり)
日本珠算連盟富山支部副支部長、富山県珠算連盟連合会理事、日本珠算連盟珠算中央振興委員を務める。瀬戸珠算教室代表。M池田模範堂取締役経営支援部長。
ボーイスカウト富山連盟魚津第2団カブ隊副長。
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