会報「商工とやま」平成24年5月号  【 特 集 】

特集2
平成24年度創業100年企業顕彰その1

歴史ある木材店で受け継がれる日々の努力、進取の精神

新村木材店


 当所は会員企業を対象に毎年創業100年企業顕彰を行っています。

 今年度は新村木材店と(株)佐伯治一郎商店が申請され、7月10日(火)、当所通常議員総会に先立って顕彰式を行いました。今回より順にご紹介します。

 富山市新川原町。すぐ近くに、いたち川が流れる市の中心部で、142年の歴史を誇る新村木材店。同店六代目で代表の新村和久さんと母の喜美江さんに、お店の歴史や現在のお仕事、そして受け継がれた精神についてお話を伺いました。


明治3年創業


 初代の新村藤右エ門さんが現在の場所で明治3年(1870)に創業した新村木材店。現在は六代目で代表の新村和久さんが経営を受け継ぎ、木材や住宅設備資材の卸売や、新築住宅の設計施工、リフォームなどを手掛けています。

 和久さんによると、昔は船で木材を運搬したため、いたち川が流れるこの町内には材木屋さんや製材所が多かったと言います。時代の変遷とともに郊外に工場などを移転する店や会社が多いなかにあって、いまでも街なかの川沿いで木材店を営み、昔からの歴史を受け継ぐ貴重な存在となっています。


銘木から木材や建材の卸へ


 新村木材店は、元々は座敷の床柱や床框、床板などに使う黒檀、黒柿、紫檀、欅などの銘木を加工して大工さんに卸す仕事を主としていました。

 「叔父の話によると、戦後復興期の建築ラッシュによる需要増に伴い、建築用材としての木材や建材の拡販に移行していったようです。混乱が治まった後には装飾材である銘木の需要も回復しましたが、時代の流れのなかで住宅に使われる素材も、家に対する意識もだんだん変化しました。最近では銘木の利用がめっきり減ったように感じます」と和久さんは話します。


サイドカーで木材を配達


 和久さんの母の喜美江さんは昭和8年生まれ。和久さんの父、啓吉さんに嫁いだ昭和31年当時は、木材は飛騨古川や能登穴水、笹津などから薪のトラックや馬車で運んできたものだとか。昭和35年生まれの娘さんが、2歳の頃に馬にニンジンをやっていたのを覚えているそうです。

 また、啓吉さんは木材の配達には大八車やサイドカーを使っていました。

 「サイドカーという自転車の横に荷台をつけたもので材木を運んでいました。木は重く、一度に運べる量も限られていたでしょうが、一所懸命運んだものです」と喜美江さんは振り返ります。


啓吉さんの急死。そして六代目へ。


 和久さんは昭和40年生まれ。東京理科大学建築学科で学び、卒業後はTOTOでシステムキッチンの開発設計に携わっていました。

 平成6年頃に父の啓吉さんから店を継いでほしいと言われ、平成8年にTOTOを退職。富山に帰り、啓吉さんのもとで仕事を始めます。しかし、それからわずか2年後の平成10年に啓吉さんが病気で突然亡くなります。まだ69歳の若さでした。

 「この仕事を始めて間もない頃に急に父が亡くなったため、様々な苦労もありました。まだ結婚前でしたし、経理をしていた母とともに、六代目としてこの家をなんとか守っていこうという一念で仕事に取り組みましたね。でも、父が亡くなった後もお世話になっていた大工さんには継続してお付き合いさせていただくことができ、本当にありがたかったと思います。また、古くから働いている野尻さんにも随分助けられました」と和久さんは振り返ります。


自分に力をつけろ


 啓吉さんはとても真面目で、石橋を叩いて割るほどの慎重派で、材木屋一筋の日々を送っていました。店に出入りする業者のあいだでは、新人が入ると必ず「新村木材へ行ってこい」と言うほどに、啓吉さんは知識も経験も豊富で、多くの人に頼りにされ、慕われる存在でした。

 啓吉さんは、平日は大工さんなど、お客さまの対応で忙しいため、休日に銘木づくりの作業をしていたそうです。特徴ある木目を出してきれいに仕上げるためにはいくつもの工程があり、とても手間がかかります。和久さんは子供の頃から、父の地道な作業をいつもそばで見ていました。

 「この仕事に就いてからも、短い期間でしたが、父から必要な基礎知識は教わりました。でも、いま思うと、それ以上に材木屋として私に伝えたかったことが、本当はもっとあったでしょうね。

 父がよく言っていたことで思い出すのは、『自分に力をつけろ』ということ。日々努力して力をつければ、自ずと人が寄ってくるということです。姑息に何かをするのではなく、日々努力して自分を鍛えなさいと常々言っていましたね」


木材は自然のままに大事に扱う


 もう一つ、啓吉さんが話していたことは、木は生えていたときと同じように立てて保管しておくことだと言います。

 「立てて置くことは木にとって自然な状態ですし、乾燥し易く、木のまがりやねじれも少なくなります。人工乾燥の木材が当たり前になった今日でも、街なかに店があり、場所が限られるという事情もありますが、手間をかけても自然な状態で木を保管して、木を大事に扱うことは、昔から変わらず、ずっと続けていることですね」


一級建築士、福祉住環境コーディネーターとして


 和久さんは平成9年には一級建築士の資格を取得し、以来、一般住宅の新築・リフォームを手掛けています。同店では大工さんへの木材や建材の卸売主体から、エンドユーザーへの住空間の提案へと仕事の内容も流れも大きく変わってきています。

 住宅建築やリフォームにあたっては、木材のことを知りつくした材木屋として、また、TOTOでの開発者という経験も存分に生かされています。多方面から住まいを考えられる貴重なプロフェッショナルとして、様々なアイデアで、あたらしい住空間を生み出しています。

 「設計にあたっては、住む人それぞれの暮らし方のシーンを具体的に思い浮かべながらのご提案を心がけています。

 また、福祉住環境コーディネーターとして、介護を必要とするご家族のリフォームを手掛けることも多いですね。一例を挙げると、TOTOの押入トイレユニット(左の写真)を、介護用トイレとして利用しながら、半透明の扉の外側に、プライバシーに配慮した建具を設置して一般の方も使用可能にするなどの工夫をしています。ちょっとしたことですが、私自身の介護経験をもとにご提案できる部分もありますね」

 メーカーの既製品でも、組み合わせや工夫次第で、より快適に暮らせるようになるのです。和久さんは毎年、TOTOのリモデルコンテストで受賞を重ね、評価されています。


木の特性を生かし、適材適所に使う


 家を支える木材ですから、産地や生育場所によって異なる特性を生かすことを心がけ、使う場所を吟味する和久さん。その一方で、最近は幅広い世代の方々に銘木の味わいを楽しんでもらおうと、リビングや玄関の吹き抜けのアクセントとして使うことを提案しています。

 「私たちは、木材店としてはもちろん、木の知識や、仕口などの加工技術も豊富な、信頼できる大工さんとの長いお付き合いがあります。お客さまには、新築・リフォームを問わず、木材や、システムキッチンなどの住設機器のプロとしての当店ならではのメリットを様々な場面で感じていただけるのではないかと思いますね。

 一軒の家づくりには木のことはもちろん、建築設計、設備、家具、照明など、実に様々な知識が必要ですが、当店の歴史や私自身の経験を生かし、ご家族の暮らしに合った独自のご提案をこれからも心がけていきたいと考えています。そして何より、お客さまに喜んでいただきたいですね」

 142年続く木材店の六代目として、また、建築士であり、大手メーカーの開発者としての経験もある和久さん。今後も時代に合わせた柔軟な発想で、木を大切にしながら、一人ひとりの暮らしに寄り添う、あたたかで快適な空間が生み出されてゆきます。


新村木材店 URL
富山市新川原町5-5
TEL:076-432-6841
FAX:076-432-6852

●主な社歴
明治3年(1870)創業
初 代 新村藤右エ門
二代目 新村  藤蔵
三代目 新村 義一郎
四代目 新村  健蔵
五代目 新村  啓吉
六代目 新村  和久



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