会報「商工とやま」平成25年6月号

特集2 シリーズ/老舗企業に学ぶ4
富山市西町で歩みつづけて140年
 高野紙店


 富山市で明治6年に創業し、以来、140年にわたって紙店を営む高野紙店。現在の当主である四代目の健治さんの妻で、嫁いで以来約60年間、店を守り続けてきた範子さんにお話を伺いました。

売薬さんの進物用品を販売


 高野紙店は明治6年に、富山市太田口通りで創業。初代は、高野栄次郎さんで、元々は売薬業を営んでおり、21歳で高野紙店を開いたそうです。創業時は、主に、売薬さんが使う進物用品の卸業を営んでいました。

 「売薬さんが各家庭や得意先に配り歩く、紙風船や塗り箸、紙袋、箱など、さまざまな商品を取り扱っていました。当店では県内一円にお得意先がありましたから、売薬業が盛んな頃は、店員も10名ほど雇い、大変忙しい毎日でした」と語る範子さん。

 例えば紙袋は印刷屋の手配から、袋にして売薬さんに売るまでを手掛け、塗り箸や桐箱などは会津などから取り寄せたものを扱っていました。

 紙についても、古くは、八尾や五箇山の和紙などがよく使われていたそうです。

 「義父からは、八尾に紙を仕入れに行くときは、夜中にかけて荷車で行き、神通川の堤防で一休みしてから帰ってきたものだったと聞いています」

 その後、売薬業を取り巻く時代の変化もあり、いまでは売薬さんの進物用品はほとんど扱われなくなっています。


多彩な紙製品を多数揃えて


 現在の店内には、障子紙、和紙、色紙、高級花紙、着物文庫(たとう紙)など、大小さまざまな紙製品が所狭しと置かれています。

 県内でもここにしかないという貴重な紙製品もあり、連日、多くの問い合わせや来客があります。

 「いまでは紙店の数も減り、まちなかの貴重な一軒となりました。お陰さまで、多くのお客さまが当店を頼りに来店くださっています。例えば、ここにある花紙などは、昔はスーパーにも置いてありましたが、いまはありませんよね。花紙とは高級なちり紙のことです。薄くて丈夫、しかもホコリがつかない特殊なちり紙なのですが、この商品を求めて、わざわざ遠いところから買いに来られる方もいらっしゃいます。汗を拭くときにもハンカチ替わりに使えますし、ちょっとおしゃれな方は、お出かけのときに持って行かれますよ」

 料理屋などでは、塗り物のお椀などを重ねるときにも、この花紙が使われているそうです。

 また、最近は、俳句や切り絵、貼り絵など、趣味の教室などに通う方が多く、色紙や短冊などの需要が以前より増えたと言います。

 「大小、さまざまなカタチのものがあり、お客さまの方が商品に詳しく、みなさんこだわっていらっしゃいますね。これが無いとは言えませんので、お客さまから勉強させていただいて、品数も多く取り揃えています」


水戸から富山へ


 範子さんは、茨城県水戸市生まれ。女学校のときに、技術者だった父親の仕事の関係で富山に転居し、県内の県立高校を卒業しました。

 その後、昭和29年に、四代目の健治さんと結婚。水戸時代とは、言葉も文化も風習もすべて違う富山で、しかも老舗紙店でのあたらしい生活が始まりました。健治さんは会社勤務だったため、商売については、三代目の義父正則さんとお姑さんの下で一から学んでいきました。

 「嫁いで来た頃は、西町界隈は大変賑わっていて、夜9時まで店を開けていたものです。私は、サラリーマン家庭で育っていますから、最初は『ありがとうございます』もさらさらと言えなかったほどでした。

 紙屋はどちらかというと封建的な商売でしたし、大変なことも色々とありました。全国に旅に出ている売薬さんから注文を受けては、また全国に商品を送るという仕事も多く、とても忙しかったですね」

 当時の西町周辺の商家のほとんどは、店と住まいを兼ねていたため、買物客の賑わいとともに、多くの住人がいる街の活気がありました。

 また、昭和10年に亡くなった二代目の健次郎さんの葬儀の写真が残っており、盛大な葬列と併せて、その頃の商店街の様子も垣間見ることができます。高野家は昔ながらの間口が狭い2階建ての店構えにも見えますが、実は3階建てで奥には大きな土蔵もあり、健次郎さんが病気の時には専属の看護婦さんがいたとか。当時の繁栄振りが窺えます。


各地の紙産地などへ旅行


 健治さんは、現在87歳。65歳まで親戚の会社で常務取締役も務めていました。車の運転が大好きで、定年までの17年間、白山市にある会社へ車で毎日通勤するほど。また、範子さんの仕入れやあたらしい和紙の勉強を兼ねて、各地の紙の産地や取引先などへ、よく夫婦や家族で長距離ドライブに出掛けていたそうです。

 「2年半前頃までは、よく出掛けていましたね。京都、大阪、越前和紙の産地の今立などにも仕入れに行ったり。長野は軽井沢、善光寺でお参りしたり。五箇山から白川郷、帰りは高山と、行き先によってだいたいコースが決まっていましたね。高速道路を走ると面白くないと言うので、行きは一般道で行ったものです。勉強半分、楽しみ半分で、風景や食も満喫していました。現在、主人は自宅で病気療養中ですが、楽しい思い出ですね」


お客さまから元気をもらい、自分からも元気をあげる


 「いまは、ご覧の通りの年寄りの小さな商売ですが、おかげさまで借金をせずにこの場所に居られるのは幸せなこと。何より、お客さまへの感謝ですね。お陰さまで長男、長女とも家庭を持つまでに育て上げることができましたから、ありがたいことです」と語る範子さんは今年80歳。紙はとても重く体力のいる仕事ですが、足腰には何の問題もなく、自身の健康のためにも、商売は続けていきたいと語ります。

 「好きな言葉は忍耐と努力。儲けは二の次と言うと変ですが、商売をしていればこの地に居られて、お客さまとお話ができます。お話しているうちに、お客さまから元気をもらったり、こちらからも元気をあげたりできますね。

 いいことも悪いことも、自分だけではない。みんないっしょだと思うと、大らかな気持ちになります。健康ですし、これこそ最高で、ありがたいことですね」


感謝の気持ちで、これからも


 店内には100年前の商品棚などが、いまも大切に使われています。お子さんたちは違う職業に就いているため、紙屋としての商売は、範子さんの代で終わりとのことですが、この地を離れず、西町でずっと仕事を続けていきたいと語ります。

 現在は、ご主人の看病のため、お店は午後1時半から5時頃まで開けています。

 西町の歴史とともに歩み続けてきた高野紙店。かつて売薬さんをされていたお客さまも、範子さんを訪ねてこられることがあると言います。

 店を取り巻く環境は大きく変わっても、一人ひとりのお客様を大事にしてきた、そのつながりこそが一番の財産なのかもしれません。


高野紙店
富山市西町3-6
TEL:076-421-3403
●主な社歴
 明治6年 初代の高野栄次郎さんが、太田口通りで売薬用品卸商を創業。
 明治40年 西町の現在の場所に移転し、以来、紙商を営む。
 二代目 高野健次郎さん(明治7年生まれ、昭和10年没)
 三代目 高野正則さん (明治27年生まれ、昭和52年没)
 四代目 高野健治さん (大正15年生まれ、現在に至る)