会報「商工とやま」平成27年2・3月号

シリーズ/おじゃましま〜す
 当所副会頭 金尾 雅行 氏 (富山港湾運送株式会社取締役社長)


 富山商工会議所の活動を支えていただいている副会頭の皆さんを訪ね、時には仕事を離れて、ご自身のこれまでの歩みや明日への期待などについてお話を伺った。


広場で会社の人たちと凧揚げ


 生まれは富山市岩瀬で、5歳くらいまで岩瀬で育ちました。冬は雪深く、ブリ起こしのピカドン≠ェ怖かったことをよく覚えてます。その後、父親が九州でも港湾荷役の仕事をしていた関係から、高校卒業まで大分県佐伯市で過ごしました。
 「小さい頃は、親父の会社の人たちが遊び相手をしてくれて、会社の事務所に入り込んだり、港を望む広大な空き地で凧揚げなんかしてましたね。良き時代でした」。


船の進水式で海の仕事に憧れ


 小学校のあたりから、「将来は跡を継がなきゃね」と周りの人たちからの思いを感じることもありましたが、それを苦痛に感じたことは無かったです。船の進水式を幾度も見ることがあって、子ども心に海の仕事への憧れもありました。
 ですから、ごく自然に将来、父親の仕事をやっていくことになるだろうという思いがずっとありました。高校生のとき、小説家もいいかなと思ったことがありましたが、大学はやはり将来のことを考えて経済学部を選びました。


父親の急逝で突然社長に


 港湾荷役の仕事は、戦時中は一つの港につき1社に集約されていたのが、終戦後は自由化され、昭和23年、地元の有志や取引先の皆様によって当社が設立されました。共同で代表を務めたり、短い間隔で代表者が交替した関係で、取締役で参画していた私の父親が7代目の社長で、私が8代目となります。しかし、いわゆる金尾家とすれば2代目の社長ということです。
 大学を卒業してすぐに父親の会社に入社後、会社に籍をおいたまま、東京の取引先に出向しました。2年ほどで戻ったあとも東京支店勤務が続いたので、富山への行き来はあったものの、生活基盤はずっと県外でした。
 それが、平成4年12月に父親が急逝して社長を引き継ぐことになったために、富山へ生活の拠点を移すことになりました。社業の方は、富山の社員たちがしっかり支えてくれたので、おかげさまで比較的順調にやってこられたと思いますが、地元地域や富山の経済界は、よく知らない世界だったので、とても気を遣いました。


基本原則を守ることが信頼を生む


 社員たちには、「社長になったからには、全力を尽くし、そして誠実に努めていく」ことをまず伝えました。その上で、「夢がなければ働きがいも生まれないから、夢のある企業を目指そう」とも。
 そして、「原理原則を踏み外さないこと。原理原則を踏み外すと、元の道に戻るのに大きな労力が必要なる。絶対にやらないように」と今でもいつも話しています。
 社業の原則として「安全で確実、迅速な輸送と、従業員の安全」を掲げてます。お客様からお預かりしている荷物を安全に輸送して、保管してお届けする。それに法令順守を加えて、これらが基本原則です。比較的危険な現場もあるだけに、基本原則を守ることではじめて、お客様からの信頼を得ることができると思うのです。

当事者意識を持ってほしい


 また、「当事者意識をもって仕事に取り組んで欲しい。経営者と同じ意識を持つことは難しいけれども、そういう考え方で日々の仕事の中に新しく変えていけるもの、展開していけるものがないかと関心を持つことが、次の仕事につながっていく。それを大事にしてもらいたい」と社員たちに話してます。

現状維持ほど恐ろしいものはない


 若い人たちには、いろいろなことに前向きな姿勢で取り組んでいる方が多いと思うけど、「現状維持ほど恐ろしいものはない」ということを肝に銘じて欲しい。
 どんな業種にも共通していることだと思いますが、現状維持は後退と同じであり、常に前向きな姿勢をもつことが重要だと、胸に刻み込んで欲しいのです。
 常に将来に向けて備えることが如何に大事かを最近強く思います。業種によっては、次を読むことが難しいこともあると思いますが、何らかの芽が必ずある。それを見逃さないように次の展開を考えていくことが、とても大事だと思いますね。(談)


▼機関紙「商工とやま」TOP