会報「商工とやま」平成27年7月号

シリーズ/おじゃましま〜す
 当所都市基盤整備委員会委員長 酒 井 正 人 氏 
(当所常議員・富士商事株式会社代表取締役)


 富山商工会議所の活動を支えていただいている委員長の皆さんを訪ね、時には仕事を離れて、ご自身のこれまでの歩みや明日への期待などについてお話を伺った。


福岡町の造り酒屋から


 生まれは、現在高岡市になっている旧福岡町です。家業は造り酒屋で、「仁寿」というお酒を伏木の港から北海道にまで出荷していたそうです。
 私は3人兄弟の次男で、家業を継ぐことは全然考えていませんでした。むしろ、海外での仕事に憧れた時もありました。
 しかし、大学生時代に欧米流の価値観や宗教観などに触れる機会があり、自分の肌には合わないことを実感したのです。これによって、海外勤務への憧れは大きく後退し、全く違う世界へ飛び込むこととなりました。


大学卒業後は現場から


 実家の造り酒屋は終戦後やめてしまい、父は酒の卸や商社などの事業を手掛けていました。大学卒業後、福岡町に戻り、父が経営する今の「富士商事株式会社」に入社しました。建設資材などを扱う関係から、工事現場でいろいろな仕事を経験した後、金沢勤務では営業担当になりました。
 結婚を機に富山市内に転居したのですが、高校までは福岡町で、大学も県外でしたから、富山市での人的ネットワークに大きな不安がありました。そこで助けられたのが、富山青年会議所へ入会したことでした。この頃の先輩の皆さんには親しく指導していただき、また、様々な活動は今ではよき思い出となっています。


香港の青年会議所と姉妹提携


 1980年に富山青年会議所の理事長を務めた時、3Kを活動のテーマに掲げました。3Kといえば、嫌われる職種の頭文字ですが、私が掲げた3Kとは、@国際化、A高齢化、B高度情報化です。
 中でも国際化については、先輩からいろいろなご縁をいただいた中で、香港の大平山青年会議所と姉妹提携を結んだことが、特に印象に残っています。右も左も分からないながらも香港へ何回も行って、向こうからも来てもらい、ようやく姉妹提携が実現できたときは、感慨ひとしおでした。
 この他にも、ロータリークラブや銀行にお世話いただく交流会などへの参加を通じて、多くの人脈を得ることができましたし、勉強もたくさんさせてもらいました。


環境変化が激しい業界での生き残り


 コンクリートは、社会の安全・安心に大きな役割を果たしています。主な原料のセメント、骨材は、重量物で、生コンは固まるまでは半製品との特性から、ローカルな事業で、公共工事に依存しています。県内の生コン需要は、ピーク時には250万?ありましたが、100万?まで減少しているのです。
 北陸新幹線が開通して、再開発事業など民需に期待しています。公共事業は、予算が厳しい中で工夫され、重点的な投資がなされているので、財政の動向については、注視していかねばと思っています。


富山の大学に土木系の学部が必要


 都市基盤整備委員会の委員長を務めているのですが、そこで感じているのは、富山県内で富山の都市整備や富山のコンクリート構造物が研究できる環境が必要だと思います。地元の大学に土木系の学部新設の動きがあるそうで、実現することを望んでいる一人です。(談)



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