会報「商工とやま」平成27年11月号

シリーズ/おじゃましま〜す
 当所観光・コンベンション委員会委員長 吉 田 栄 一氏  
(当所常議員・有限会社月世界本舗取締役社長)


 富山商工会議所の活動を支えていただいている委員長の皆さんを訪ね、時には仕事を離れて、ご自身のこれまでの歩みや明日への期待などについてお話を伺った。


野球少年でした


 明治33年に初代栄吉が富山市内で菓子店の吉田栄吉商店を創業。その後、3年ほどで現在地の上本町(当時は西三番町)に移転しました。以来、銘菓「月世界」を主力商品として、115年の伝統を繋いできました。創業者の栄吉は私の祖父になり、自分が3代目です。
 生まれは上本町で、その後もずっと上本町です。他で暮らしたことがありません。
 現在の上本町は、少子化が進み子供も少なくなりましたが、私が小学生の頃は、たくさんの小学生がいたものです。  当時、学校が終わると友達と日が暮れるまで野球をして遊んでました。町内だけで、野球チームができるくらい、子どもがたくさんいましたから。
 今では、健康のため40歳代から始めたソフトテニスを小学6年生の孫の指導がてら一緒に楽しんでます。

商工会議所青年部を創設


 中学を卒業すると、すぐに祖父から菓子職人になるべく、菓子作りの基本を仕込まれました。職人気質の祖父の考えから、進学よりも若いうちに手に職を仕込むことが優先でした。
 それでも、後には高校の通信制に入ることができ、週1回のスクーリングで親しくなった仲間とのつながりが、今でも続いています。
 また、25歳で青年会議所に入会して、15年間も在籍した会員はそう多くはないと思います。その間、多くの仲間もできましたが、そうした仲間と一緒に富山商工会議所の青年部創設に奔走したことは、忘れられません。
 初代会長は橋本さん、2代が尾山さん、そして第3代会長を私が務めることになり、おらっちゃまつりをはじめ、活気ある事業をいくつも立ち上げていきました。何事にも熱く燃えていた頃で、本当に懐かしい思い出です。

委員会を設けて、観光振興に注力


 今、富山商工会議所の常議員であり、観光・コンベンション委員長を務めていますが、実は青年部を創設した時も観光委員会を設けて、当時からすでに観光振興に奮闘してきたのです。
 その後、私が富山商工会議所の議員になって以降、行政が観光振興に消極的な時期があり、商工会議所にお願いして「観光・物流委員会」を設置してもらい、行政にも積極的に観光振興を働きかける基盤を作ってきました。この委員会は、その後「観光・コンベンション委員会」と改称し、私が初代委員長を務めることになろうとは、感慨もひとしおです。

産業観光で富山にリピート


 今年3月に北陸新幹線が開業して、観光客の入り込み数では関東圏からの終着駅がある金沢市が圧倒的との報道もありますが、私はそれも一時的だと思っています。知名度や歴史遺産では金沢が優位ですが、金沢には無い観光資源が富山県内には数多くあり、リピートも期待できると思うのです。
 例えば、富山商工会議所では、ビジネス客をターゲットに産業観光にスポットを当て、ものづくり県であり、薬の富山ならではの産業観光情報を発信して、各地から注目されていると聞きます。

中心商店街地区の変貌は進行中


 また、せっかく富山駅に降り立った県外客も、なかなか中心商店街地区にまで流れてきておらず、まち中に活気がないように思います。この地区では、再開発事業が切れ間なく続いており、まちが進行形で変貌しています。青年部などからもどしどし提案を募って、活気ある賑わいを取り戻して欲しいと思うのです。
 これは自分だけの思いつきですが、グランドプラザから南方を見ると、日枝神社の赤い鳥居が見える道筋があります。山王まつりの時には、露店がびっしりと並ぶ通りですが、それ以外の日はごく普通の生活道路です。
 この通りを日枝神社への西参道として、若い人たちが中心商店街地区を回遊する起爆剤にできないものかと密かに策を練っているんです。(談)



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