会報「商工とやま」平成28年6月号

シリーズ 老舗企業に学ぶ24
普段から楽しみたい、あらたな着物の魅力 染ときもの秋吉屋


 富山市大手町の富山市民プラザ前で、143年にわたり、染物と呉服を扱う「染ときもの秋吉屋」。同店の歩みと特長について、代表の秋吉克彦さんにお話を伺いました。


明治6年に創業


 秋吉屋は、初代の秋吉松太郎さんが明治6年に、現在もお店を構える富山市大手町で京染店を創業したのが始まりです。
 「江戸時代は富山市の秋吉で農業をしていたようで、そこから出たので秋吉と名乗ったと聞いています。また、元々は呉服店ではなく、京染店として長くこの地で店を営んできました。昔の着物は色見本や柄見本、また、別注で染めや柄を起こすところから注文を受けるのが一般的で、それが染物屋の仕事だったそうです。百貨店の起源は呉服屋さんで、誰でも買いやすいように店頭販売されるようになっていますが、以前は、着物は一点一点、染物屋さんで注文するものだったようですね」



大きく発展した大正時代


 その後、二代目の林蔵さんが経営にあたった大正期には、店は大いに発展します。大正9年に、店頭で夜に撮影された写真が残っています。
 「これは、夜間に店に照明を当てて撮影したものですが、この頃は従業員をたくさん雇い、お店もとても大きかったそうです。41号線が無かった戦前までは、店の後ろから東別院までの間に広い敷地があり、そこには、主に無地染めをする染め場があったとか。林蔵はとてもやり手で、体格も大きく、格好のいい人だったと聞いています」
 写真には、当時初めて実施された国勢調査や店の商品についてなど、時流や季節に合わせたうたい文句が書かれた看板が写っています。林蔵さんは、とてもモダンで優れた経営感覚を持った人だったということが、よくわかります。



戦災を乗り越えて


 三代目の鉄腸さんは明治40年生まれで、現代表の克彦さんの祖父にあたります。
 「祖父はとても実直で真面目な人でした。戦地から無事帰還しましたが、富山大空襲で店を失い、2人の子供も亡くしています。祖父が元気だった私が子供の頃は、まだ多くの方が着物を着ておられた時代。染め替えや洗い張りなどの仕事もたくさんあり、反物が段ボールでたくさん積んであったものでしたね」
 鉄腸さんは焼け野原から店を再建し、まちの復興にも尽力されました。昭和61年に79歳で亡くなりました。



闇市の歴史を現代にも引き継いで


 四代目で克彦さんの父の光雄さんは昭和11年生まれ。戦後をたくましく生き抜き、子供の頃から商売のセンスを発揮していました。
 「父は社交的なタイプでしたね。焼け野原になったあと、復興の闇市が始まったのが大手通りだったそうです。9歳か10歳だった父は四方まで乾物や珍味を仕入れに行って、それを闇市で売るとかなり売れたそうですよ。
 でも、最初は店を継ぐのが嫌で、当時、おかきが売れると考え、高校卒業後は新潟の米菓会社に就職を決めていました。しかし、店を継いで欲しいと母親に言われて帰ってきたそうです。父も自分で考え、何か新しいことをやろうという思いがあったようですね」
 克彦さんは、大手モールで毎月開催され、賑わいを見せる「とやま*まちなかバザール越中大手市場」実行委員会の会長でもあります。
 「戦後の闇市の歴史があるこの通りで、15年前から中心市街地の活性化を目指して開催してきました。いまではお店も増えて、毎回とても盛り上がっています。続けてきて本当に良かったなと思いますね」
 克彦さんも商売のセンスを受け継ぎ、地域の歴史を活かしながら、まちの活性化に貢献しています。



高度経済成長の波に乗って


 父の光雄さん、母の温子さんが店の経営にあたった高度経済成長は、高級品がよく売れた時代でした。その頃から、染めの仕事も受けながら、作家物など逸品呉服も扱う店へと業態を転換していきました。そして、昭和40年には克彦さんが誕生しました。
 「戦争で疲弊していた時代の反動もあり、高級品を買い揃える方が一気に増えた時代でした。しかし、利益は上がる一方で、生活に密着した着物というものがどんどん無くなってしまった時代でもありました。
 太物と言われる実用呉服は、洋服に変わり、それを扱うお店も無くなっていきました。日常着としての着物が無くなり、着物というと高いというマイナスのイメージができてしまった頃でもありましたね」



センス良くカジュアルな着物も


 そして、五代目の克彦さん、妻の智恵美さんが経営にあたる現在では、高級品ばかりではなく、木綿やウールなどの素材で、日常のちょっとした機会に着物を楽しめる手頃な商品を数多く取り揃えています。店内にはシンプルなデザインでセンスのあるカジュアルな着物や小物がディスプレイされています。
 「ちょっとしたパーティーやお出かけなどで、着物を楽しまれる方が増えています。現代の暮らしのなかでファッションとして成立しつつも、しっかりとした伝統技術が施されている、そんなバランスの良い商品が多くの方に好まれていますね。
 そして、皆さん、とても感受性豊かな方が多いです。和の文化などを、遊びながら、一緒に学ぶ機会も設けています。和服を着た町巡りツアーでは、TOYAMAキラリや千石町のお茶屋さん、昆布屋さんを訪ねたり。カジュアルなお茶会も開きましたが、とても好評でした」
 今後もさまざまな企画を実施していきたいとのことです。



シンプルに、着る人を引き立てる


 「いいものはモダンなものが多い」と話す克彦さん。取材時に見せていただいた京友禅の付け下げは、ピンクのちりめんの生地に、見事な染め、刺繍、金箔などが施され、現代的な美しさ、華やかさがある逸品です。
 「当店では、シンプルでありながら存在感があり、工芸品としての美しさを感じていただける商品をご提案しています。その方が着る人の個性を引き立ててくれますし、シンプルであればあるほど、上質さが求められます。見事な工芸品を着て楽しんでいただけるのも、着物ならではの魅力だと思いますね」
 シンプルな着物は、帯締めなどの小物の色合いひとつでも、がらりと印象が変わり、多彩なコーディネイトを楽しむことができます。手頃なものでは、木綿の反物で1万8千円、仕立てても4万円程の商品もあるとか。着物初心者の方でも、秋吉屋さんに相談すれば、気軽にあらたなお洒落を楽しむことができます。



着付け教室も開催る


 タンスに着物が眠ったままの方も多いと思いますが「まずは着てみてほしい」と話す克彦さん。秋吉屋さんでは、仕立て直しやコーディネイトの相談にも乗ってもらえるほか、智恵美さんによる着付けの個人レッスンも開催しています。一回2千円と手軽な料金で、好きな時間に習うことができるとあって好評です。克彦さん、智恵美さん自身も、普段からできるだけ着物を着ることで、着物の良さを日常のなかで伝えていきたいと語ります。
 新幹線開業後は、東京のお店などで買う方もいらっしゃるそうですが、「当店では、品物や対応についても、都会のお店にもまったく引けを取らないものをご提供しています」と、克彦さんは胸を張ります。
 富山城の目の前の大手町という歴史ある地から、着物のあたらしい魅力や和の文化のすばらしさを伝えている秋吉屋さん。フェイスブックでも多彩な情報を発信中です。気軽に着られるお洒落な着物を、日常の中に取り入れてみませんか。


染ときもの秋吉屋
富山市大手町4-21(市民プラザ前)
TEL:076−421−5169

●主な歴史
明治6年に初代、秋吉松太郎さんが富山市大手町で京染店を創業
大正期に、二代目林造さんが継承
昭和に入り三代目の鉄腸さんが継承。戦災で店舗・住居を焼失
昭和60年頃に光雄さんが継承
平成23年より、五代目の克彦さんが代表に就任