会報「商工とやま」平成28年8・9月号

シリーズ 老舗企業に学ぶ26
現代の暮らしに合った、新しい表具を 有限会社晩翠堂


 富山市中心部の三番町にお店を構えるのは、105年にわたって表具店を営む有限会社晩翠堂です。
 表装・額装だけでなく、日本画などの美術工芸品も取り扱い、県内外の多くの書家や画家などとも交流の深い老舗です。三代目で代表取締役の杉谷満さんに同社の歴史についてお話を伺いました。


明治44年に創業 多くの日本画家を紹介


 有限会社晩翠堂は、初代の杉谷八十郎さんが明治44年に創業したのが始まりです。当初は、八人町小学校下にお店があったそうですが、昭和の初め頃に現在の三番町に移転しました。
 八十郎さんは、明治25年生まれで杉谷家の長男で一人っ子。弟子入りした表具屋から19歳の頃に独立して店を営みました。八十郎さんは特に絵画など美術作品の販売に力を入れ、商才を発揮した人でした。八十郎さんの孫で、代表取締役の杉谷満さんは次のように振り返ります。
 「表具屋というのは、昔から絵描きさんとの付き合いが密にあり、お客さまに絵描きさんを紹介することはよくありました。祖父はそれを大きな規模でやった人でした。
 お客さまを集め、画家にまとめて作品を発注することで、お客さまには安く絵を提供することができました。また、支払いも『たのもし』という、いまの月賦販売のようなもので、毎月いくらかずついただくという仕組みでした。
 祖父は日本画家の堂本印象や、旧小杉町出身で富山でも人気が高い郷倉千靱など、京都や東京など中央の画壇のトップクラスの日本画家を富山で紹介する、画商のようなことをやっていたのです」
 堂本印象と八十郎さんは同年代でもあり親交が深く、八十郎さんが80歳を越えてヨーロッパ旅行をする際に、堂本印象が八十郎さん宛に書いた手紙がいまも残っています。
 「祖父はとても弁が立ち、外に積極的に出る明朗な人で、商才がありました。表具職人としての仕事はもちろんきちっとやっていましたが、人脈も広く商売の方も得意としていましたね」


創業60年には大規模な展覧会を開催


 そんな八十郎さんの長年の仕事の集大成とも言えるのが、昭和44年に富山県民会館で開催された、「創業60年 晩翠堂展」です。日本のトップクラスから若手に至るまで、日本画家60人の作品を集めて展示販売するという、実に大規模なものでした。
 明治・大正・昭和と激動の時代を駆け抜けた同社の歴史を記念するとともに、お客さまに感謝の気持ちを伝える展覧会でもありました。そのときの記念誌には、当時の富山県知事吉田実氏の祝辞も掲載されています。また、八十郎さんから続く人脈や顧客を引き継ぎ、住友生命ビル(旧名鉄トヤマホテル地下の名店街)で、約25年にわたりギャラリーを営んでいたそうです。


八十郎さんが伝えたこととは


 「祖父から言われたことは、大切な品物をお客さまからお預かりする仕事ですから、お客さまとのコミュニケーションを密にすること。そして、表具は主ではなく、作品をいかに良く見せるかが大事だということは、一番言われたことですね」
 富山県表具師文化協会の初代会長も務めた八十郎さんは80代後半まで仕事を続け、それが元気の源だったとか。永年の功績から、勲章も受章されています。


二代目の一雄さん


 二代目の杉谷一雄さんは大正10年に八十郎さんの4人の子どもの長男として誕生し、尋常高等小学校を卒業後、家業を継ぎました。一雄さんは、とてももの静かな人で、後ろで八十郎さんをしっかりと支えていたそうです。
 「私は父からは叱られた記憶がないですね。また、戦前は表具の取り扱いだけでしたが、戦後、富山の復興とともに、父は建具の製造販売も一所懸命やっていました。
 戦争中は小杉に疎開するなど、家族は皆無事でしたが、父は満州に行ってその後、シベリアへ抑留されました。しかし、ひと冬か、ふた冬で日本に帰ってくることができたのです。『自分は、とても運が良かった』と言っていましたね」
 昭和24年には有限会社に法人化。そして、昭和25年には、長男の満さんが誕生しました。
 「私が幼い頃には、建具と表具の住み込みの職人が4人程いました。仕事場が遊び場のようなものでしたね。昭和30年代だと思いますが、旧富山市立図書館の建物で電気シェードの展示会をしたことを憶えています。建具と表具の技術を生かして、プラスチックを熱で曲げた電気シェードなどもつくっていたんですよ」
 かつてはクロス張りなど、現在のインテリアと言われる分野に関する仕事も表具屋さんの領域で、後に分業化されていきました。一雄さんが平成7年に亡くなる4〜5年前までは建具の仕事をしていたそうです。


表具の仕事とは?


 三代目の満さんは高校を卒業後、東京の専門学校でインテリアや色彩について勉強。その後、家業の表具の道へ進みました。色彩などを勉強したこともあり、軸の布地の選び方や額装などの際には、そのセンスの良さを大いに発揮。また、一雄さんに代わって表に出ることも多く、外で人脈を広げつつ、確かな仕事で顧客からも信頼を得ていきました。
 表具の仕事とは、実はとても幅広いのだと語る満さん。軸・額・屏風・襖・障子など、多岐にわたります。特に和室空間においては無くてはならない仕事の一つです。
 「最近では家の造りの変化もあり、建具なども統一規格で、コストも手間もかけない簡単なものになり、建具屋さんですべて手がけることも増えています。本来、襖を貼るときには、実は3段階ほどに分けて、下貼りから、上貼りをしていくのですが、最近は簡略化したものも多いですね。パッと見た目はわかりませんが、叩いてみると音でわかるものなんですよ」
 かつては料亭や旅館などの襖や障子の貼りかえ、腰貼り、軸の表具の直しなどの仕事も多かったそうですが、市内の料亭自体が無くなり、そういった仕事は減っているそうです。


作品と空間を引き立てるものを


 書や絵画などは展覧会の会場で華やかに目立っていても、実際に自宅に飾るとなると、空間に合わない表装・額装であることも少なくありません。
 「表装や額装をする際には、まず、作品を見て、壁の色、床の高さなども聞いてから色や素材などを決めていきます。その際に大事なのは、いかに作品を良く見せるか、部屋に合っているかということ。それは祖父から受け継いだことでもあります。
 また、できるだけいいものを見て、目を肥やすことですね。やはり、『いいものには、いい服』が着せてあります。そうでなければ、作品の価値は上がらないのです」
書道展の作品の軸装・額装なども数多く手がけ、多くの書家から頼りにされている満さん。自分の好みだけではなく、プロならではのセンスを取り入れることで、作品をより良いものにすることができるのです。


現代の暮らしに合った表具を


 現在では息子の明芳さんが、伝統の技を受け継ぐべく家業を手伝っています。そして、満さんは、明芳さん、妻の優子さん、職人さんらとともに、現代の暮らしに合った新しい表具も提案しています。
 「昔の着物の柄を活用した屏風やタペストリー、額など、また、マグネットで簡単に短冊や小色紙をとめられる商品もあります。玄関や部屋に何か一つ小さなものでも飾ることで、入ったときの雰囲気も気分も全く違ったものになります。
 しかし、現代の暮らしでは、心のゆとりが無くなっているように感じます。それは、お金の問題だけでは無いように思います。伝統の表具の技を基本にしながらも、お客さまに新しい価値を見い出していただけるような仕事を、今後、目指していきたいですね」
 家にある着物、軸や額も眠ったままの方も多いのでは。晩翠堂さんでは暮らしに合った新しい活用方法や、シミ抜き、修繕などの相談にも対応してもらえます。季節感を大切に、住空間を美しく設えるという、心の余裕を大切にしたいものです。


有限会社晩翠堂
富山市三番町3−3
TEL:076−421−3302

●主な歴史
明治44年に初代、八十郎さんが富山市内で創業
昭和61年、二代目一雄さんが継承
平成7年、三代目満さんが継承