会報「商工とやま」平成29年1月号

シリーズ 老舗企業に学ぶ29
「大切な方にお渡しする」という気持ちが大切 杢目羊羹本舗 鈴木亭


 創業151年目を迎えた杢目羊羹本舗 鈴木亭。立山杉の年輪から意匠を得た美しい杢目羊羹は富山を代表する和菓子の一つです。職人が時代を超えて技と味を継承できた理由とは? 老舗を守る責任と情熱について五代目当主の鈴木孝さんにお話を伺いました。


お客様が目を見張る羊羹を


 創業者の茂助さんが富山の地に鈴木亭を開業したのは、慶応2年(1866年)。幕末の頃のことです。
 わずか13歳のときに江戸へ向かい、幕府御用菓子司である名店「鈴木越後」で修業を始めました。当時、鈴木越後の菓子は高価で、羊羹はきめが細かく絶品と評判だったそうです。
 「10代の少年がたった1人で上京し、修業に励んだ日々は厳しかったことでしょう。茂助は15年間、黙々と技を磨いて師匠のお墨付きをいただき、故郷に店を開くことができました。修業明けの祝いにと、『鈴木亭』の屋号と『三つ鱗の商紋』を賜っています」
 茂助から受け継がれる杢目羊羹は、鈴木越後の流れを汲む生粋の江戸煉羊羹です。鈴木越後は明治以降に廃業しており、杢目羊羹は伝統に培われた味を伝える貴重な存在です。
 茂助は開業にあたり、お客様が目を見張るような羊羹を作りたいと考えたそうです。そこで浮かんだアイデアは、富山の自然を菓子で表現すること。「立山杉の木目模様を羊羹に取り込めないものか」と試行錯誤して生み出したものが、杢目羊羹なのです。


杢目羊羹の製法特許を取得


 杢目羊羹の製法は、門外不出であり、特許を取得されています。どこを切っても美しい年輪が現れ、年輪が縁起物という印象を与えるので人気が高く、ファンがたくさんおられます。無理を承知で、孝さんに製法の秘密について聞いてみました。
 「赤みがかった茶色の部分は小豆、白っぽいのは白いんげんです。2つの鍋に糸寒天を熱して溶かして砂糖を入れ、それぞれに小豆と白いんげんのこしあんを加え、水あめを入れて混ぜます。これら2種類の材料を熱いうちに容器へ充填していくのです。時間がかかりすぎると白い部分が黄土色になるのでとても難しいです」
 季節によって微妙に温度を変えたり、防腐剤を使用しないなど、
鈴木亭の羊羹にはさまざまなこだわりがあります。見た目をまね、『木目』羊羹を販売した業者も現れましたが、伝統の技と味には及ばず、うまくいかなかったようです。


時には遠回りも必要


 鈴木亭は茂助に始まり、二代目・米次郎、三代目・吉之助、四代目・宇五郎と受け継がれ、孝さんの代に至っています。孝さんは鈴木家の次女と結婚し、食品流通業界から転職して五代目となりました。
 また、息子である(六代目)真さんは都内の大学を卒業してUターン。現在は孝さんのもとで修業に励みながら、新しい商品のアイデアを出すなど、鈴木亭を支えています。
 「私は32歳で鈴木亭に入り、義父にずいぶん厳しく教えられました。修業時代は朝一番に出てきて、夜は最後に帰る毎日で、休みは年間15日程しかありませんでした。当時は、なぜこうしなければならないのだろう、と疑問を抱くこともありましたが、今思い返せば無駄な教えは一つもありませんでした。
 息子や若い世代の方は効率ばかりを求める傾向がありますが、時には遠回りも必要だと感じています」と孝さんは語ります。


ベテラン職人からたくさん学べ


 親子間だけでなく、職人間の技の継承も重要です。鈴木亭には現在、ベテランから専門学校を卒業したばかりの若者まで、幅広い年代の職人が働いておられます。中でも、80代の女性職人は、男性中心の徒(と)弟(てい)制度の中で必死に頑張ってこられました。苦労して身につけた技術は素晴らしく、熟達の度合いがひと目で分かる生菓子の仕上がりは絶妙です。
 「ベテランの職人さんには体調の良し悪しもありますから、無理しないように働いてもらっています。彼女は若い職人に教えるのが本当に上手です。もともとセンスがあり、そのうえで工夫を怠らず、いつも前向きなアイデアを提供してくれます」
 製造業の世界では、技を盗めと言われた時代が過ぎ去り、マニュアルに基づいて作ることが一般化しました。鈴木亭でも、この菓子は1人だけしか作ることができない、などの経験主義に基づいた役割分担を排除し、複数の職人がノウハウを共有して、ローテーションを組んで菓子を作っています。
 「マニュアルがあるとはいえ、他の職人の手元を見て技を盗むことは今も大切です。私はいつも若い職人にはベテラン職人が元気なうちにたくさん学べと指導しています」


最高級の素材で、手間暇かけて


 杢目羊羹、栗羊羹、丸くてカラフルな五色ケ原羊羹は土産物・贈答品の定番として県内外に幅広く知られています。一方、冠婚葬祭で用いられる薯(じょう)蕷(よ)饅頭や赤飯、煉り切りあんでさまざまなものを形作った和菓子、生菓子などは地元で何代にもわたり愛されています。
 「薯蕷饅頭は1個約500円するので、何でそんなに値段が高いの? と言われることもあります。ソフトボール大の薯蕷芋を銅製のおろし金を使い、手作業ですりおろして混ぜ込み饅頭の皮をつくり、中に栗あんを包みます。芋をすりおろすのは時間がかかり、ツルツル滑ってとても大変です。職人がみんなで協力して作業に当たります」
 鈴木亭の商品は最高級の素材を使用し、手間暇かけて作るという思いが込められています。絶対的な付加価値があるので高価である理由もちゃんと説明できます。
 「今の時代、素晴らしいものと安いものしか売れないと言えるかもしれません」と孝さん。
 自信を持って作ったものしか店頭には並べないという自負が、老舗の看板を支えています。
 「先日も結婚式会場まで2往復しました。式の2時間前にお届けするのが鉄則。一番良い状態でお渡しするようにしています」
 生菓子や赤飯はその日のうちに食べるもの。孝さんはお届け時間に合わせて早朝出勤したり、2度、3度に分けて蒸したりして、お客様においしく食べていただけるよう努めています。
 「手間を省いて、いい加減なものを出すわけにはいきません」


地産地消で芋きんつば


 どの業界も消費者のニーズが多岐にわたり、それに応えることが求められています。鈴木亭も、杢目羊羹という定番商品を大切にしつつも、あの手この手を考えています。
 「杢目羊羹が定番であることは変わりませんが、小ぶりの商品なども出しています。8年程前から地産地消を目的に、富山市池多地区で作られる紅あずまというさつまいもを使って芋きんつばを作っています」
 素材にこだわり、高い技術を継承し、その次に大切なのは、商品を受け取ったお客様が確実に喜んでいただけるよう心配りができるかどうかであると孝さんは語ります。
 「大切な方にお渡しするように、という気持ちが大切だと考えています。細心の注意を払いながら、和菓子を作り、届けているのです。
 和菓子業界は全体的に売り上げが減り、廃業する店も少なくありません。そんな中、平成27年3月の北陸新幹線開業を契機に、JR富山駅内にある店舗は売り上げが倍増しました」
 孝さんは新幹線効果を喜びながらも、気を抜きません。老舗の看板はそれほど重く、守るには責任が伴うのです。


杢目羊羹本舗 鈴木亭
富山市西町6-3
TEL:076−421−4972

●主な歴史
慶応2年(1866年)江戸の御用菓子司鈴木越後で修業してきた初代茂助が富山に「鈴木亭」を開業
昭和44年(1969年)天皇皇后両陛下が全国植樹祭で来県された際、杢目羊羹を献上
昭和52年(1977年)第19回全国菓子博覧会 名誉総裁賞 静岡 
昭和64年(1989年)第21回全国菓子博覧会 名誉総裁賞 松江
平成6年(1999年)皇太子雅子様ご夫妻がインターハイで来県された際、杢目羊羹を召し上がる
平成22年(2010年)店舗を改装し、リニューアルオープン
平成27年(2015年)北陸新幹線開業に合わせて、「きときと市場とやマルシェ」に出店