会報「商工とやま」平成29年7月号

シリーズ 老舗企業に学ぶ33
中央通りの歴史とともに歩み続けて125年 有限会社 サイト サイト・シャポー&ファッション


 中央通り商店街に店を構えて125年目の有限会社サイト。これまで富山のファッションを牽引してきた店です。帽子専門店から女性ファッション全般を扱う店へ転換するなど、世相とともに変遷してきました。富山市中心商店街の活性化を切に願う社長の斉藤新治さんにお話を伺いました。


富山大空襲で店が全焼


 創業者の松太郎さんは旧婦中町あたりの出身で、若いころに大阪で帽子職人の修業をしました。技術を習得した後、明治25年に故郷へ戻り、富山市中心部に店を構えたのです。
 「中教院前の参道が『中央通り商店街』になり、アーケードもない時代、商店が軒を連ねた一角に『斉藤帽子店』は開業しました。当時の店は現在の場所から3軒ほど東にあり、住み込みの職人もいました」
 社長の斉藤新治さんは四代目か五代目にあたります。曖昧なのは、松太郎さんから家督を継いだ源七さんが、家業まで担っていたか不明だからです。確実なのは、創業者が松太郎さんで、祖父・義一さん、父・晃さん、新治さんが事業を継いできたということです。
 「祖父の義一は硫黄島で戦死したと聞きました。富山市中心部は焼け野原になって、木造のこの店も焼けてしまいました。40代で夫を亡くした祖母は、女手一つで子供を育てながら店を再建しました。厳しい人、強い人でしたね」
 居間には軍服を着た義一さんの遺影が掲げられています。映画「硫黄島の手紙」で渡辺謙さんが演じた栗林忠道陸軍大将率いる小笠原兵団の一人だったそうです。



女性向けファッションの店へ


 帽子専門店は昭和53年に帽子以外に洋服なども扱う女性向けのファッションの店へ趣を変えました。新治さんが都内の大学を卒業し、ハンドバッグメーカーの営業職を2年間経験した後、Uターンしたのがきっかけでした。
 明治時代は外出の際に帽子をかぶるのは当たり前でした。戦中には軍の発注を受けて陸軍の帽子を扱ったこともあったそうです。お得意様の中には吉田実元富山県知事もいました。「帽子をかぶるのが大人のたしなみだった時代がありました。つばが付いたものや、ハンチング、ベレー、お坊さんなら利休帽など、職種や年齢に応じて帽子を選んでいたのです。春・秋は布製、夏はパナマ帽、冬はウールなど、季節感もありました」。
 しかし、その後時代とともにファッションは多様化し、当店も大きな変革期を迎えます。
 「祖母、両親、おばと家族会議を開き、店の今後を話し合いました。祖母は帽子にこだわりがあったようですが、『これからの時代、帽子だけじゃダメだ』という意見で一致。子供服や紳士服などの販売も考えましたが、当時、接客は母が担っていましたので、同年代の女性をターゲットとしたミセス向けのファッションを扱うようになりました。店名も新しく『サイト・シャポー&ファッション』としました」
 戦後に再建された店も築70余年となります。一般的に中央通り商店街の店は鉄骨造りで店の隅以外には柱がありませんが、この店は木造建築のため、中央部分に柱が必要となります。現在まで「抜けない柱」があり、これまで何度も改装や拡張を繰り返してきた経緯を感じることができます。



帽子と服の両方を素敵に


 「女性向けのファッションのお店としてスタートする際、どのような価格帯の商品を揃えるかを考えました。専門店として高級な商品を扱う一方、店頭にはリーズナブルで若者向けの流行商品も並べました」
 店の方向性は転換しましたが、帽子の販売を止めてしまったわけではありません。帽子に加え、帽子に合うファッションを揃えたのです。長く付き合ってきた顧客をターゲットとしたことで、方向性を変えてもお得意様を失うことはありませんでした。
 「帽子と服の両方が素敵に見えるように選んで差し上げるのが当店の信条です。服のテイストを見て帽子を、帽子を見て服を選ぶという感じです」



米国プロ球団のキャップが人気


 平成14年ごろ、アメカジ(アメリカンカジュアル)が流行し、米国のプロスポーツチームのロゴが入ったキャップが若者の間で人気を集めました。その時は、壁一面に100種類以上並べたそうです。
 「キャップは若者にとても人気でしたね。一番人気はニューヨークヤンキースでした。また、ラップ・ミュージシャンがタグをつけたままかぶるなど、若者は独特のセンスでファッションに取り入れていました」若者はあるスタイルが流行ると、人と同じものを嫌がるそうです。だからこそ色違い、柄違いなどいろいろなニーズに応える必要がありました。米国のプロチームは迷彩柄を取り入れたり、女性向けの色使いを考えたりと新たな商品を次々と発売したので、東京の専門店などとのコネクションを使って多彩な商品を仕入れました。



男性は目深にかぶるのがおしゃれ


 「芸能人で帽子が好きな方は多いですが、その一人で、いくつかの流行スタイルを作り出しているのが、とんねるずの木梨憲武さん。どうかぶったら映えるかをいつも研究しているようにお見受けします。男性の山高帽やソフト帽は深くかぶらないと格好よく見えないもの。接客しながらお伝えしています」
 「私は帽子が似合わない」と決めつけてしまっている方は多いと思います。新治さんは、顔の大きさや体型に合った帽子選びを提案しています。「帽子はおしゃれな人がかぶるものと言われることがありますが、決してそんなことはありません」、と帽子ファッションを薦めますが、安物にありがちな品質の良くない物が広まることには異を唱えます。同店ではネット販売もしていますが、対面販売が基本であり、店頭にある「本物」をネットでも紹介するというスタンスです。



長男がUターン


 ファッションや世相に合わせて店が変わってきたことを一通り伺った後、中央通り商店街の変遷について聞いてみると渋い表情になりました。中心市街地の客足が落ちているのは全国的な課題であり、新治さんも中央通りの活性化に取り組んできました。
 「昨年、長男がUターンして店を手伝ってくれています。長男には『店を継いでくれ』と子どものころから言い聞かせてきました」。都内で不動産業界に身を置き、大きな仕事を手掛けてきた息子にUターンを勧めたことが果たしてよかったのかどうか、正直、迷うこともあるそうです。
 「息子は30代を迎えたばかりですが店にも慣れてきたでしょうし、接客しながら何が売れるかを感じ取り、商店街に客足が戻るアイデアを考えてほしいものですね」
 店や中央通りの活性化策には正解がないからこそ、若い世代が考えるアイデアへの期待は膨らみます。
 「お陰さまで、今年125周年を迎えます。これからはさらに意識を変革しながら、若い世代にバトンタッチしていきたい。より魅力的な店になれるよう、中央通りとともにイノベーションを図っていきたいですね」
 お客様へのサービスのあり方や街づくりについて、大きなヒントをいただくことができました。



有限会社サイト(サイト・シャポー&ファッション)
富山市中央通り1丁目2−13
TEL076−421−4810
●主な歴史
明治25年(1892年)帽子職人として大阪で修業していた初代松太郎が帰郷し、現在の中央通りに帽子専門店を構える
昭和30年(1955年)有限会社となり晃が社長に
昭和53年(1978年)女性向けの服・ファッション小物も扱うようになる
平成27年(2015年)新治が社長に就任