会報「商工とやま」平成30年11月号

特集2
シリーズ 老舗企業に学ぶ42
富山の人々の幸福と発展を願い、次の100年へ
品川グループ


 品川グループは富山県で初めて自動車輸送事業をスタートさせ、以来、約1世紀にわたり県内での自動車関連事業を牽引し、地域社会の発展に貢献してきました。同グループの歴史や未来への取り組みについて、平成29年(2017)に創業100周年を迎えた、株式会社品川グループ本社代表取締役社長の品川祐一郎さんにお話を伺いました。


富山初のタクシー事業を開始


 品川グループは、創業者の品川忠蔵さんが、大正6年(1917)に赤いT型フォードを3台購入して品川自動車商会を設立し、貸切自動車運輸事業(タクシー事業)をスタートさせたことに始まります。

 「日本で初めて自動車が商業利用されたのが大正元年(1912)。その5年後に、当時、19歳の忠蔵が貸切自動車の免許を受けてタクシー事業を始めました。それまで品川家では、農業の傍ら馬車で物資の輸送などをしていたようです。忠蔵は富山市開の田畑を売却したお金を元手に事業を始めたと聞いています」と品川社長は語ります。


私財を投じて学校を整備


 その後、バス事業もスタート。運転手もいない、自動車整備の技術もない中、忠蔵さんは技術を習得し、私財を投じて、県内初の自動車学校や整備士養成所などをつくりました。大正12年(1923)の関東大震災の際には県の要請で自動車救護班を編成し、忠蔵さん自身が現地に駆けつけました。また、当時の砂利道ではタイヤの消耗が激しかったため、昭和2年(1927)にはミシュランタイヤと輸入販売代理店契約を締結。自社のためだけでなく、県内で増えていた自動車輸送業者の便をはかるためでもありました。その後、バス事業は富山電気鉄道株式会社(現・富山地方鉄道株式会社)からの懇請もあって同社に譲渡。その資金を元に自動車販売へと進出し、昭和7年(1932)には品川自動車株式会社を設立しました。


世のため、人のために


 初代の忠蔵さんが礎を築いた創業からの50年間は、日本の自動車普及の黎明期であり、経営は順風満帆ではありませんでした。昭和20年(1945)の富山大空襲では本社も車も全焼。その大空襲のさなか、忠蔵さんは地元の消防団の分団長として、富山赤十字病院の消火や、同病院の患者らの救助にあたったと言います。つねに地域貢献に努め、人々の幸せのために尽力した人でした。

戦後、昭和21年(1946)に、忠蔵さんはトヨタ自動車販売組合の理事に就任します。忠蔵さんはトヨタ自動車創業者の豊田喜一郎さんの4歳年下。車にかける情熱は、取り組んだ内容は違っても、大いに共鳴する部分があったのではないかと品川社長は語ります。

 「忠蔵が経営にあたった創業期の財務状況を調べてみると、ほとんど利益が出ておらず、むしろ、借金だらけでした。しかし、自動車を普及させ、富山の人々の暮らしを豊かにしたいという志や夢、また、自分たちさえ儲かればいいということではなく、『世のため、人のために』働く忠蔵の姿勢を見て、それならば、と応援してくれたり、お金を貸してくれる人がいたのだと思います。忠蔵が築いた信頼の50年があったからこそ、その後の50年の発展があったのだと思っています」


忠蔵さん亡き後、社是を制定


 社員にとって大きな存在だった忠蔵さんが昭和39年(1964)に66歳で亡くなり、忠蔵さんの弟の忠三郎さんが事業を継承。慶應大学を卒業したばかりの忠三郎さんの長男、洋一郎さん(現会長)も忠三郎さんを支えました。子どもがいなかった忠蔵さんに後継者として育てられた洋一郎さんは、社内が忠蔵さんを亡くして動揺する中、全社員の心を再び一つにしようと、忠蔵さんの遺訓として社是を発案しました。

 「社員全員で忠蔵の志を受け継ぐため、『われわれは和をもって 誠実なサービスで信用を築き 愛社精神に徹しよう』という社是が作られました。『誠実』とは、辞書には私利私欲のない、真摯な、真心があること、とあります。世のため、人のためにという創業以来の精神が凝縮されています。忠蔵の思いを、社員がDNAとして代々受け継いでくれたお陰で、今日があるのだと思います」


高度経済成長期での経営近代化


 昭和40年代の高度経済成長とモータリゼーションの時代、富山トヨタ自動車は大いに発展。忠三郎さんは洋一郎さんとともに、会社の近代化や品川グループの組織化をすすめます。コンピュータシステムの導入、社内報の発行、運動会などの開催、トヨタ自動車にならったQC活動もスタートさせました。

 平成4年、品川グループの創業75周年に、洋一郎さんは品川グループの代表取締役社長に就任。バブル崩壊後の失われた20年と言われる大変な時期を、時代の変化に合わせて改革を進めて乗り越えました。

 洋一郎さんの長男の祐一郎さんは、東京大学を卒業し、日本興業銀行を経て平成11年(1999)に富山トヨタ自動車に入社。平成20年(2008)に同社社長に就任しました。以来、会長の洋一郎さんとともに経営にあたってきました。祐一郎さんは物心ついた頃から、「富山トヨタの日本一の社長になる」という決意を持って学業に励み、中学・高校では生徒会長、高校のコーラス部では指揮者も務めたそうです。


100年に一度の大変革期


 現在、祐一郎さんは株式会社品川グループ本社代表取締役社長として、グループ7社、約900人の社員を統括する会社の経営トップを務め、次の時代に向けた経営について、次のように語ります。

 「私たちは、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックといった危機を乗り越えてきましたが、自動車業界はいま、100年に一度の大変革期を迎えて います。第4次産業革命とも言われ、次世代を支える4つの技術のキーワードはCASE、

 『Connected=つながる』
 『Autonomous=自動運転』
 『Sharing=共同所有』
 『Electricity=電動化』

です。新型クラウンでは車とインターネットが常時つながり、車から離れていても、スマートフォンを通じて車と対話ができます。また、人工知能(AI)を使った自動運転、カーシェア、電気自動車への流れがあります。これらに加えて、日本では人口減少時代となり、今後、車のユーザーや販売台数は大きく減少することが予想されています。

 その大きな変革の流れの中で、品川グループではグループ統括会社である株式会社品川グループ本社を設立し、グループ全体での経営資源の有効活用を進めています。そして、これまで以上に、個々のお客さまの立場に立った、付加価値の高いご提案ができる人材育成に努めているところです」

 座右の銘は「不易流行」と語る品川社長。「継承者は挑戦者」というトヨタ自動車の豊田章男社長の言葉も引用しながら、「創業以来の精神を忘れず、歴史と伝統を守るためにも、生まれ変わる時代。次の100年に向かって、厳しいけれども、やりがいのあるスタートと考えています」と語ります。

 最近では、女性の営業スタッフの志望者が増える中、若い人たちにも働きやすい環境をと、社内託児所も設けるなど、働き方改革にも取り組んでいます。また、長年にわたり、地域貢献に尽力してきた品川グループでは、創業100周年を記念して、福祉車両3台、車椅子100台などを富山県に寄付。これによって、紺授褒章が授与されました。

 品川グループを客船に例えて、社員はお客さまを迎えるクルー、自身は船長としてそれぞれが役割を担っているとも話す品川社長。「これからも、事業を通じて地域経済の発展、人々の幸せと豊かな暮らしに貢献したい。そして、量ではなく、質の高い、日本のモデルとなるディーラーを目指していきたい」と次代への思いを熱く語ってくださいました。


株式会社品川グループ本社
富山トヨタ自動車株式会社
富山ダイハツ販売株式会社
株式会社トヨタレンタリース富山
山室重機株式会社
ネッツトヨタノヴェルとやま株式会社
トヨタL&F富山株式会社
富山交通株式会社}
富山トヨペット株式会社
株式会社品川グループ本社
富山市千歳町2丁目5番26号
TEL:076-432-4141
http://www.shinagawa-group.co.jp/

●主な歴史
大正6年 初代、品川忠蔵さんが品川自動車商会を設立。タクシー事業を開始
昭和39年 忠蔵さんの弟、忠三郎さんが二代目として事業を継承
平成4年 三代目、洋一郎さんが品川グループ代表取締役社長に就任
平成20年 四代目、祐一郎さんが富山トヨタ自動車の代表取締役社長に就任
平成27年 品川グループ創業100周年



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