平成14年12月号

佐々成政隊がゆく(6)

安養坊道心塚・佐々成政剃髪阯


 富山市民俗民芸村の一角に佐々成政の剃髪地を示す石碑が立つ。

 天正十三年(1585)、羽柴秀吉の大軍に包囲された富山城の成政。「籠城して秀吉と戦うべきだ」と進言する家臣もいたが、民衆を再び悲惨な戦さに巻き込みたくなかった成政は、恭順の意を示す。呉羽山のふもと(安養坊)で髪を剃り、墨染めの衣に着替え、白鳥城の秀吉に降伏を申し出、許された。

 成政は新川郡を与えられたが、この地に留まることは許されず、一族ともども越中から引き揚げさせられ、お伽衆として大坂城に出仕する身となった(残りの婦負、射水、砺波の3郡は前田利家の嫡子・利長に与えられた)。

 この後、成政は肥後の国主に任命されるが、国人一揆が勃発し、1年後、その責により、尼崎の法園寺で切腹させられた。

 成政の死を知った越中の民衆らはひどく悲しみ、剃髪を埋め道心(仏門に入る意)塚をつくり、その菩提を弔ったと言われている。

 成政の剃髪の碑が立つ民俗民芸村には「売薬資料館」や「篁牛人記念美術館」のほか、土人形づくりが体験できる「とやま土人形工房」があり、富山の歴史と文化に触れることができる。また、近くには長慶寺の五百羅漢もあり、散策コースとして多くの家族連れで賑わう。

〔場所〕富山市安養坊(富山市民俗民芸村内)
〔交通〕JR富山駅から新桜谷行きバス10分、安養坊下車徒歩5分


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