富山産業の歴史

日本海側屈指の工業都市へ

神通川には、支流を含めると約70基ほどの発電所が存在している
神通川には、支流を含めると約70基ほどの発電所が存在している
薬種商を営んでいた金岡家の邸宅「金岡邸」。明治初期建築の母屋は典型的な町屋造り
薬種商を営んでいた金岡家の邸宅「金岡邸」。明治初期建築の母屋は典型的な町屋造り

金融、電力事業にも売薬資本

 資本を蓄えた売薬業者たちは、明治に入ると、近代産業の旗手として活躍する。県内最初の銀行として明治11年に設立された富山第百二十三国立銀行(後の北陸銀行)。その副頭取に就いた密田林蔵、取締役の中田清兵衛は、いずれも売薬商人である。全国で相次ぎ設立された銀行の役員はほとんどが士族だったのに対して、富山では資本提供者が売薬商人というまれなケースであった。
 北陸電力の前身である富山電燈会社が設立されたのは明治30年。北陸初の電気事業会社にも、社長に初代金岡又左衛門が就任したのをはじめ、多くの売薬商人がかかわった。同社は、大久保用水路の落差と水量を利用して、現在の富山市塩(旧大沢野町)に県内初の発電所を建設した。発電所は明治32年に開業、富山市の主要な場所に約1,000個の屋外アーク灯が点灯された。
 県内ではその後、地元資本、県外大手資本、県営の三者によって、急流河川を利用した電源開発が進められ、昭和初期には全国最大の電力供給県となる。富山県も安い電力を生かして、農業県から工業県へと大きく飛躍するのである。

「電気王国」で日満産業大博覧会を開催

 大正13年に「都市計画法」の適用を受けた県都富山市は昭和3年、神通川の大治水事業で生まれた廃川区域の区画整理と、富岩運河の建設を核とする都市計画事業を決定。事業が完了した同10年頃には、廃川埋立地は新都心として生まれ変わり、県庁や富山電気ビルが建ち並ぶなど、市中心部の様相が一変した。
 富岩鉄道(現富山ライトレール)と富岩運河沿線の岩瀬地区では電力多消費型の工場が次々と進出し、富山北部工業地帯が形成されていく。昭和11年、神通川廃川埋立地で開催された「日満産業大博覧会」は、「電気王国」として工業立県の地歩を固めた富山県と県都富山市の勢いを内外に誇示するものであった。
 沿線町村の富山市編入が進み、15年に岩瀬地区が富山市と合併して「大富山市」がここに誕生した。
県内初の水力発電所、大久保発電所
県内初の水力発電所、大久保発電所
新庄赤門。常願寺川の土砂流入を防ぐために造られた排砂水門。赤レンガで造られている。
新庄赤門。常願寺川の土砂流入を防ぐために造られた排砂水門。赤レンガで造られている。
中島閘門。富山港を起点とする富岩運河のほぼ中間に造られた水閘施設。国重要文化財(近代化遺産)
中島閘門。富山港を起点とする富岩運河のほぼ中間に造られた水閘施設。国重要文化財(近代化遺産)