「商工とやま」平成18年11月号

特別寄稿/当所北イタリア産業経済視察団報告

古来から受け継がれる伝統や文化を活かし、個性を重視した街づくり

〜「良いものは残し、受け継がれるべきものは受け継ぐ」確固とした信念〜
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 当所が派遣した北イタリア産業経済視察団(団長八嶋健三会頭)は、平成18年9月9日〜17日(9日間)の日程で、伝統産業が育ち、個性的な街づくりがされているベネチア、フィレンツェ、ジェノヴァ、ミラノなどの北イタリアの主要都市を訪れ、街づくりや産業、経済情勢等を視察し、9月17日に無事帰国しました。この度、団員として参加しましたので、その概要を報告します。
富山商工会議所 中小企業支援部 経営支援課 係長 大 井 秀 樹


■ベネチア(9/10〜9/11)
◎観光都市としての魅力に絶対的な自信

 ミラノから東方約300qに位置する水の都ベネチア(人口約27万人)は英語名でベニスとも呼ばれ、古くから水運業の街として発展してきた。かつては、その地理的な条件から地中海貿易は言うに及ばず遠くアジアの国々との交易を行い、その繁栄により「地中海の真珠」という異名を手に入れた。その後、都市間競争により衰退したものの、現在では観光の街として再び繁栄を取り戻している。

 海に連なる大小118の島々からなるラグーナ(潟)地帯に出来た都市は、約400の橋と約150を超える大小の運河が街全体に網の目のように張り巡らされている。

 市民の足であるゴンドラを観光客の遊覧船として利用することで、見る人にとって、さながら街全体が湖上に浮かぶ「水上都市」を彷彿させ、歴史と伝統の重みを感じる様々な文化遺産と相まって、他の都市とは全く違う独特な雰囲気を醸し出している。

 イタリアの観光都市では通行税を徴収しており、「観光都市ベネチア」でも、市内(※街の交通事情も関係してはいるが)へ入るためには、チェックポイント(観光バス対象)にて通行税(約180ユーロ/日本円で約27,000円程度)が必要で、これが市の大きな収入にもなっており、イタリアの各都市においても実施されているとのことであった。

 仮に、日本で同じ事を実施したら…と考えるとゾッとする面があるが、それでも多くの観光客が訪れていることを考えると、それだけベネチアという都市が古来より受け継いでいる観光資源(水や運河、寺院など)をベースとして確立した都市観光に絶対的な自信を持ち、それを守り続けている一つの表れではないかと感じた。


■ボローニャ(9/11)
◎若者の自由闊達な雰囲気と落ち着いた歴史的遺産が並存する街

 エミリア・ロマーニャ州の州都であるボローニャ市(人口約37万人)は、古くからイタリアの北部と中部を結ぶ交通の要衝として発達してきた。

 伝統的手工業や中小企業を中心とした商工業都市である反面、歴史的な遺産を数多く有する歴史的文化都市でもある。

 特にヨーロッパ最古と言われるボローニャ大学は、「世界初の人体解剖が行われた」ことで有名で、人口の約4分の1(10万人)が学生と言われるだけあって、街は学生達の活気に溢れ、革新的で自由闊達な雰囲気が街全体を包んでいる。

 ボローニャの街で印象的なのは旧市街の約80%の建物にあるポルティコ(総延長は約38q)と呼ばれる独特のアーケード(柱廊)である。

 本来、家主が学生のために2階の部屋を通りに張り出し、その部屋を柱で支えたのが、ポルティコの始まりと言われるが、貴族などの特権階級が自分たちの屋敷に豪華なポルティコを設置することで、富の象徴やステイタスとして利用した一面もある。

 現在、木造をはじめ石造り、レンガなど様々なポルティコが連なり、その「落ち着いた美しさ」と「学生の活気」が奇妙な空間を創出し、独特な街並みを形成している。

 現在、市街地の歴史的な建築遺産の保存と老朽化した遺産を活かした市街地の再生化を検討しており、今後、更なる魅力的な街づくりへ向けて、飛躍の息吹が感じられた。


■フィレンツェ(9/11〜9/13)
◎中世から脈々と続く歴史的な重みと街全体としての重厚な品格を体感
歴史的な重みを感じさせるフィレンツェの街並み
 ミラノから南方約300qに位置するイタリア中部、トスカーナ州の州都であるフィレンツェ(人口約50万人)は、ルネッサンス発祥の地として、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチらが造り上げた数々の文化遺産が街のいたる所に残っている。

 赤褐色の屋根とレンガ造りの建物、「屋根のない美術館」とも称される石畳の市街地を眺めると、中世から脈々と続く歴史的な重みと街全体から重厚な品格を感じさせる美しい古都である。

 街を訪れ感じることは、機能だけを捉えて考えれば日本の都市の方が格段に利便性が高いことは言うまでもない。

 しかしながら、それでもその不便さも敢えて街の特徴の一つと受け止め、中世ルネッサンス期から脈々と受け継がれる歴史的な重みを大切に、「良いものは残し、受け継がれるべきものは受け継ぐ」といった考えが、街全体の重厚な雰囲気を作り上げている。

 いま、私たちの住む富山市をはじめ日本各地で市街地の再開発が行われている。

 しかし、各都市が受け継いできた「長く培われた伝統や観光資源」をスクラップ・アンド・ビルドするケースが多く、これが各都市独自の個性を失わせる一つの要因となっているのでは、と思ってしまう。
マリア・ガブリエック・グレッリ女史
 今回、フィレンツェの街並みを間近にし、我々も大いに見習うべき点があるように感じた。

 9月12日(火)、フィレンツェの商工会議所を表敬訪問し、ロレンツォ・テルリーニ氏(通商局局長)、マリア・ガブリエック・グリッリ女史(情報通信局局長)、モリッツィオ・チェッコーニ氏(統計局局長)らから、フィレンツェにおける産業都市の発展、商工業の発展、歴史などについて説明を受け、意見交換を行った。


■ジェノヴァ(9/14)
◎長い歴史と現代性や機能性を融合させ更なる魅力を創生

 ミラノから約2時間、コロンブスが青年時代を過ごしたジェノヴァ(人口約65万人)は、ジェノヴァ湾の海岸沿いに東西34q、二つの主要な峡谷に向かって18q入り込んでおり、市街地は港の両端から丘に向かって、海抜300mまで傾斜した場所に位置する。

 ローマ帝国時代以前から海運を利用した交易活動で、ピサやベネチアなどと並ぶイタリアの四大海運共和国の一つとして権勢を誇っていた。最強と言われた船団を擁し、地中海での通商の独占によって得た富で、ジェノヴァは「誇り高き都 la Superba」とも呼ばれていた。

 現在は、ハイテク関連をはじめ機械、電気機械、バイオメディカル、造船などの製造業と各種手工業、輸送や観光などのサービス産業に支えられており、海岸沿い16qに広がる港は、地中海第一のコンテナ交易港として、イタリアの港の中でも最大の取引量を誇っており、イタリア産業において重要な役割を担っている。

 観光面で印象深いのは、ジェノヴァの古い港を中心にウォーターフロントを再開発した人気ゾーン「ポルト・アンティーコ」である。ゾーン内にはジェノヴァの町や港の500年の歴史に触れることができる海の博物館や年間120万人が訪れる欧州最大級の水族館などがある。

 ジェノヴァは、この地が持つ自然や歴史、文化という価値資源を、自らの都市の特性や独自性として活用し、船舶や商人の行き交う場としてだけではなく、観光の振興や、文化施設としての整備にも注力している。港湾地区では、商業開発を含めた海浜都市公園をはじめ、新たな飛行場の建設など様々なプロジェクトが計画されており、ジェノヴァは更に大きく生まれ変わろうとしている。

 このほかユニークな例では、世界から訪れる来賓用迎賓館として、富裕貴族層が建てた豪華な館や大邸宅を厳選し、“ロッリ”とよばれるリストに登録し、それらを国家の来賓宿泊先として指定するシステムをとっており、都市整備計画の観点からも面白い試みである。

マルコポーロが東方見聞録を執筆したといわれているジェノヴァ商工会議所の迎賓館
 9月14日(木)、ジェノヴァ商工会議所を表敬訪問し、ロマーノ・メルロ氏(事務総長)、アンナ・ガレアーノ女史(広報局局長)らから、「港湾施設を含む海岸周辺の活性化と商工業の発展過程」「歴史ある港湾都市の中での商工会議所の役割と今後の展望」などについて意見交換を行い、懇談終了後、ミラノへ向った。

 ミラノでは、東博史氏(在ミラノ日本国総領事館総領事)、平井昌博氏(ジェトロ・ミラノセンター所長)、高木茂氏(ジェトロ・ミラノセンター次長)を招いて懇談会を開催し、「北イタリアの概況」と「イタリアの政治・経済動向」についてレクチャーを受けた後、活発な意見交換を行った。


■ミラノ(9/15〜9/16)
近代的ビルと歴史的な建物が並存するミラノの街並み
◎ファッション都市として輝きを放つミラノの活力に感動

 イタリアの心臓部にあたる街、ミラノ(人口約140万人)はロンバルディア州の州都であり、ローマに次ぐイタリア第二の都市である。

 都市の面積は小さく、ドゥオーモ(※Duomoはイタリアの街を代表する教会堂)を中心に半径8キロの範囲内に、世界を代表するファッション企業をはじめ、主要な民間企業、金融機関の多くが集積するイタリア経済の中心地である。また、オペラの殿堂スカラ座やブレラ美術館などがあり、芸術の街としても有名である。市内は、パークアンドライドを整備しているほか、公共交通機関としての路面電車(一部LRT)が走るなど、歴史的文化財の多い美しい景観と都市環境(大気、騒音)の保全を図るために、特に自動車などの交通量削減への取組みを感じさせた。

 しかし、やはりミラノと言えばパリと並んでファッション都市としての地位を確立している。そのイメージどおり街を歩けばアルマーニやベネトン、ベルサーチなど誰もが知っている有名ブランドのブティックが至るところに軒を連ねている。またショッピングを楽しむ多くの観光客の賑わいが、更に街全体の活力を生み出し、洗練された都会的雰囲気を醸し出している。

 ミラノがこのように世界的なファッション都市として発展した背景には、次の3点が挙げられる。

(1)ミラノが都市の特性を備えている(北イタリアの中心都市として、主要民間企業や金融機関の本社をはじめ、多くの中枢管理機能が集中し、ファッション関連のデザインや広告宣伝のための事務所やオフィスが集積。またミラノ工科大学などのデザイン関係の学校があることで、デザイナーを志望する多くの人材を国内外から集め、繊維・衣服の生産にとどまらず、ファッションの潮流を生み出す人材を常に輩出するベースが確立されている)。

(2)高い技術力を備えた中小企業が産業基盤を支えている(従業員100人未満の中小企業が多数存在しており、機械では実現出来ない巧みで熟練した技術がベースとなり、これがイタリア独自の付加価値を備えた商品作りを支えている)。

(3)ミラノはデザインを生み出してきた都市である(ミラノはヨーロッパの国々や中東地域など様々な文化を持つ国の中間点に位置することが異文化を融合させ新しいものを生み出す原動力になっている)。

マリネック・カッペレッティ女史
 9月15日(金)、シルクや染色技術産業で有名なコモ商工会議所を表敬訪問し、セベリーノ・セピオ氏(経済活動促進局局長)、マリネック・カッペレッティ女史(通商局局長)らから、「コモにおける産業および生産性と市場」「過去および現在における商工業のコモにおける発展」などについて説明を受ける。

 その後バス移動により、洋服、ネクタイ、スカーフなどを生産している現地のマンテーロ社を訪れ、オクサーナ・ボリソバ女史の案内で織物工場において倉庫・紡績・成型・織機、品質管理などの過程を、また染色工場では染色・プリント・仕上加工などをそれぞれ見学する。

 最後に、同社で生産されている商品の展示兼販売所に立ち寄り、全ての視察を終了した。


◎富山古来の歴史や伝統、自然の再発見の必要性

 今回、各都市を訪れて感じることは、古くから脈々と受け継がれてきた歴史的文化や遺産、自然などに対して市民が誇りと自信を持ち、頑くななまでに守り続けていることである。これは、イタリアの諸都市が中世時代、自治都市(コムーネ)を形成し都市国家へと発展する過程で生き残るためには、貴族や市民達がそれぞれの持つ歴史や文化を愛し、更にそれらを深く掘り起こすことで、独自性のある個性的な街づくりを積み重ねる必要があったからであろう。

 振り返って富山市を見てみると、北陸新幹線の開通を控え、今後都市間競争が更に激化することが予想される。

 この競争で生き残るためにも、他都市に負けない富山市独自の価値を掘り起こし、個性を打ち出すことが急務の課題であろう。富山にもまだまだ過去から引き継がれた隠れた文化、歴史が残っていると思われ、これらを活かした「個性的な街づくり」を行うためにも、イタリア各都市の事例は一つの参考になるのではないかと感じた。


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