会報「商工とやま」平成22年1月号

新春特別企画長寿企業の家訓に学ぶ


 企業にとって最も重要なことは、お客様の信頼と支持に応え、自ら存在し続けることではないでしょうか。
 日本で老舗と呼ばれる企業、主に建設会社について研究されている、日本学術振興会の特別研究員 曽根秀一氏よりご寄稿いただきましたのでご紹介します。


なぜ老舗企業に注目するのか?


 企業の平均寿命は30年と言われ、百年に一度とも言われる大不況を迎える昨今、ますますその寿命は短くなっていると指摘されています。

 こうした背景のもと、再び注目され出したのが、連綿と事業を革新しながら継続し、幾度もの危機を乗り越え、時代が変わっても経営哲学や本質は変えないという「不易流行」を実践してきた日本の老舗企業です。

 さて、突然ですが、ここで質問です。日本には、100年以上の業歴を持つ会社がいくつあるでしょうか。2009年の帝国データバンクの調査によると、約2万社にのぼります。

 それでは、世界最古の会社はどこにあるかご存じでしょうか。じつは、大阪にあるのです。株式会社金剛組という建設会社で、英国の代表的な経済誌の「エコノミスト」(The Economist)にも紹介されました。ここからも日本の老舗企業への注目の高さがうかがえます。

 この小論は、いわゆる「老舗企業」、「長寿企業」などと呼ばれる企業の活動に注目し、そこから現代の企業経営に活かしうる「知恵」を抽出していこうとするものです。とくに注目する大阪・四天王寺のお抱え大工の金剛家に伝承された家訓と経営上の慣行を紹介し、みなさまのご参考になればと考えています。


老舗建設会社の共通点


 金剛組の創業は、西暦578年、聖徳太子の命を受けて、初代金剛重光が百済国から渡来し四天王寺の創建に携わった年と伝えられています。これ以後、金剛家は四天王寺お抱えとなります。現在も同寺との顧客関係を保ち続ける中堅の建設会社です。100名以上の宮大工を擁し、寺社建築の設計・施工・復元・修理を中心に、ごく最近まで初代重光の流れをくむ金剛一族が経営に当たってきました。

 同じ宮大工を源流にもつ松井建設や竹中工務店、大彦組も古くに創業しています。松井建設は、初代松井角右衛門が、加賀藩の前田利長の命により、1586年に越中守山城(富山県高岡市)の普請に従事したのを創業年としています。本社を井波から東京に移しましたが、寺社建築で培った経験と技術をもとに近代建築も手掛け、社是を「信用日本一」とし、「質素」「堅実」「地道」を基本的経営姿勢として守り続けています。

 竹中工務店は織田信長の普請奉行であった竹中藤兵衛正高が、信長没後、工匠としての道を歩み、尾張国で城造りや寺社建築に携わり、1610年を創業年としています。その後も名古屋を本拠地にして、「大隅流」を伝えてきました。1899年に14代藤右衛門のもと神戸に進出し、西洋建築を手がけ、戦前には、建設業界第3位にまで成長します。この14代が示した経営方針が現在の竹中の根幹にあり、代表的なものが、宮大工の特徴でもある「設計施工一貫請負」です。さらには、大企業にもかかわらず、株主から経営に介入され、本業に集中出来なくなることを嫌い、株式上場していません。

 また、大彦組は、高野山の御用達として創業以来活躍し、発見された棟札が300年前の宝永期のものだったため、この年(1704年)を創業年としています。大彦組では、「手が荒れる」の言葉を大事にしています。これは、家の建築は、寺社に比べ工期が早く、単価的にも制約がかかるため、仕事に手を抜き、短期の利益に走ることを指します。同社ではこれを嫌い、宮大工の本業を大事にしてきました。

 これら4社の共通点は、「家訓」や「理念」を保ち、本業を大事に守り、多角化していないということです。竹中工務店や松井建設は近代建築に移行したものの建設業からは外れず、本来の伝統建築にも力を入れ続けています。金剛組や大彦組も伝統建築をもとに技術を進化させています。


金剛組の略史


 上記のように金剛組の始まりは、578年で、元号もない時代です。

 指摘するまでもありませんが、現代の「株式会社」がある時代ではありません。しかし、創業以来、宮大工という一種の建設「業」を営み続けてきたのです。現在では、木造建築だけでなく、鉄筋コンクリートでの建設も手掛けています。また、徒弟の形で職人を雇い入れてきました。

 こうした初期の歴史を裏付ける史料が現存しています。金剛一族が、百済より招かれたこと、四天王寺のお抱えになったきっかけなどが記されています。また重光以降の歴代当主の働き等についても記述があり、金剛一族がいかに存続してきたのかを見ることができます。以下では、金剛家の出自及び歴史が記されている「金剛氏系図」(左)を見ていきます。

史料1「金剛氏系図」より
「夫人皇三十二代用明天皇之御宇皇太子伽藍御建立之節、自異国堂塔作金剛早水永路三人大工被召寄、四天王寺御建立時、金剛重光当山被残置、是当家始祖也」

 ここには、「聖徳太子が伽藍を建設する際に異国から堂塔作りの金剛、早水、永路を招き、四天王寺建立時に金剛重光が当山に残った。この人が金剛家の始祖である」、このように記されています。

 初代以降の当主の活躍も記されています。平安中期の安居神社建立に8代重則が御用を勤めています。それ以降も、伽藍再興時は、代々の当主が勤め、元和年間の大規模な伽藍再興には、25代是則が御用を勤めました。27代是若は、寛文・元禄年間に活躍し、伽藍の修復を行っています。32代喜定は、中興の祖ともいわれ、喜定が記した文書も多く残っています。その1つがとくに取り上げる、家訓が書かれた「遺言書」です。この喜定は技術を伝えに江戸まで足を運び、四天王寺の伽藍焼失の際には再建に尽力しています。

 1868年に明治を迎え、四天王寺は寺領を失い、衰退していきます。金剛家も同様に四天王寺からこれまでの扶持はなくなり、仕事も減り、主な工事は1903年の四天王寺大鐘楼の建立があった程度といいます。昭和に入ってもその状況は変わらず、37代治一は、1932年に業績不振の責任を負って、自決をしています。そこで、妻よしえが38代となり、全国を営業で回り、五重塔倒壊による仕事の受注もあり危機を乗り越えたのでした。ようやく昭和30年代に、安定した受注も得ることができ、法人化し、金剛組を設立するに至りました。

 現在も、四天王寺に隣接し、関係する伝統行事を続けて行っています。


家訓の機能 ―家訓とは―


 企業にとっての至上命題は、その存続にあります。元南山大学学長のヒルシュマイヤー教授は、「最も重要なリスクマネジメントは、リスクに陥らない経営体質づくりに他ならない」と述べています。そのリスク回避の1つとして家訓があげられます。

 なぜなら家訓は、神戸大学大学院の加護野忠男教授が指摘するように「先人の知恵の集積」なる性格を持っているからです。そこで1400年超の歴史を有する同社の家訓がいかなるもので、何が述べられていたのか。金剛家に伝えられてきた文書を繙いていきたいと思います。

 加護野教授は、バブル期について、「『浮利は追わず』という先人の残したルールにしたがって行動していれば、大きな損失は防げたはずである」と指摘しています。この「先人が残したルール」の代表的なものとして、「家訓」や「店則」があげられます。

 中堅・中小企業のみならず、現代の会社の多くには「企業理念」や「経営理念」なるものが存在します。創業者や「中興の祖」などと称される人物が社内の訓辞として残したものが非公式に伝承され、社の伝統や社風といった形で形成される場合とともに、「社是」「社訓」などの形で明文化されることが多いのです。

 「家訓」は、もともと公家や武家から始まり、これを手本に江戸初期になって、商家の家訓や家法が定められ、享保年間に形作られたものが比較的多いと言われています。

 創業後、後世に残す財産ができると、家長が家名、家業の永久相続と子孫の繁栄、繁昌を望んで、自己の経験や労苦から得た信念を、子孫に対して具体的に実現する方法として、訓戒及び遺戒したものが家訓です。


武家の家訓―徳川家の三引き付け


 商家が倣った武家の訓えにはどのような文言が記されているのか。先日、徳川宗家18代当主の徳川恒孝氏からお話を伺う機会がありました。

 松平家(徳川家)では、「三引き付け」と呼ばれ、家康の曾祖父、松平信忠が将に求められる必要な資質を3点にまとめ次のように子孫に残しています。1、戦闘に強く、的確な判断状況をもって勝つ、また負け戦を回避する器量。2、将自ら下級武士も含めた部下に対し、優しく言葉をかけること。3、領民、百姓、敵方に至るまで、深い慈悲の心を持つこと。この3つの器量を持って初めて家臣たちがご恩を感じて、身を賭けて奉公するのだとし、1つも欠けてはならないと記しているそうです。

 恒孝氏は、これを現代の会社経営に置き換え、1、優れた経営判断能力。2、社員やその家族への深い情けの心。3、社会貢献。とし、これを会社永続の条件としています。


「合理性の罠」と家訓


 現代の経営理念や近世の家訓は、経営者や組織の行動にどのような影響を及ぼし、ひいては経営成果にどれほどの貢献があるのでしょうか。

 各時代、各産業分野を代表する経営者、会社の事例を分析した研究は数多いのですが、そうした研究では、行動、そして成果に対して相応の影響のあることが示されています。

 相応の影響を及ぼす背景には何があるのか。この点について、前述の加護野教授は、「合理性の罠」に陥らぬようにする機能が家訓には含まれてきたのではないかと主張します。

 現代に限らず近世でも、経営を支える基本的な価値基準は、合理性です。この合理性とは、理にかなった選択を行うことです。そして、理にかなっているか否かを判断する具体的な基準は2つです。1つは、目的にかなった効果が得られるか。もう1つは、同じ効果を得るために払われる犠牲がどれほど少ないかです。

 しかしながら、注意点があります。それは、合理的であろうとすることが、合理的な結果につながるとは限らないということです。さらに、合理的結果の妨げの恐れもあります。こうした逆説が、「合理性の罠」です。

 「商都」、大阪の船場には、「損して得取れ」なる諺があります。家の枠を超え、地域に残された教えです。この諺は、合理性の罠のもう1つの問題にかかわるものと見なせます。

 もう1つの問題は、合理的に行動しようとすることがもたらす社会的影響によるものです。ある種の社会では、合理的に行動することが他人からよく見られず、結果、損をしてしまうことがあります。明らかに合理的と思われる行動を取れば、取引相手に警戒心を芽生えさせてしまうことがあります。取引相手は利益を分かち合う相手なのです。

 こうした可能性を考えれば「損して得取れ」なる諺は、短期的な損得だけを注視するのではなく、ときにはそれを無視することも、より合理的な判断となることを教えるものであることがわかります。

 ここで期待される1つが、家訓であるとされます。われわれが取り得る1つの選択肢は、伝え残されてきた人間の叡智に依ることです。その形成過程を考えれば、「先人の知恵の集積」とされる家訓は、依るべき規範となりうるものとされるのです。


金剛組の家訓


 ここで、金剛組に伝えられてきた家訓を具体的に見ていきたいと思います。江戸中期に活躍した32代喜定が亡くなる間際に残した「遺言書」、とくにその中にある「職家心得之事」です。これらは、後の廃仏毀釈という厳しい時代を乗り越えるのに大きな力となったとされています。

 喜定は「遺言書」のなかで「一番大切なことは、家名安泰で相続することである」とし、長期存続を望んで子孫にあて具体的に記しています。

 第一条は、曲尺を使い職学の習得、寺社から民家まで儒仏神三教の考えをよくわきまえることが大事であり、これが職家第一の誇りであるとしています。商家の多くの家訓第一条には、公儀尊重や法令遵守の言葉が掲げられていますが、いかにも宮大工らしい部分です。第十四条では見積入札の注意事項が記され、宮大工家の特色が出ています。


「職家心得之事」


 「職家心得之事」の大意を付したものが次ページ上段です。大意を付すに当たり、原著者の意図を正しく伝えることに主眼をおきました。また、原文には見出しはありませんが、読者の理解を助けるために訳者が付しました。

 金剛家「職家心得之事」

◇儒仏神三教の考えをよく考えよ
一、曲尺を使い職学の稽古と一緒にあらゆるものが備わる五行の定様と神社仏閣から民家に至るまで儒仏神三教の考えをよく考えわきまえなさい。これが職家第一の誇りである。

◇主人の好みに従え
一、御殿と一緒に武家について深く考える必要はない。その主人の好みに従いなさい。

◇修行に励め
一、読書、そろばんを主に稽古しなさい。職家で第一に必要な事であり、他の考えを持たず、一心に修行に励みなさい。教養はその能力にまかせ、身分相応の事は身につけておきなさい。そして身分不相応な事までのめりこんではいけない。

◇出すぎたことをするな
一、世間の人達と交流しても出過ぎたことはしないように心得なさい。

◇大酒は慎め
一、大酒は慎みなさい。もし、大酒などをしては、自分で思っていなくても、身分が保障出来なくなり、さらに増長して無調法になり命を失う。よくよく見聞きして慎みなさい。

◇身分に過ぎたことはするな
一、身分に過ぎた贅沢で華やかな装いをしてはいけない。

◇人を敬い、言葉に気をつけよ
一、人を敬って人を立てて言葉は丁寧にし、失言しないよう心得なさい。

◇憐れみの心をかけろ
一、内人、弟子迄目下の者に憐みの心をかけ、丁寧に話し召使いなさい。

◇争ってはならない
一、どんなことがあっても誰とも争ってはいけない。

◇人を軽んじ威張ってはならない
一、仮にも人を軽んじて威張ったり悪口を言ってはならない。

◇誰にでも丁寧に接しなさい
一、どんな人に対してもあしらうことなく丁寧にしなさい。

◇差別をせず丁寧に対応せよ
一、世間の勤めとして身分の高下を差別せず丁寧に対応せよ。

◇私心なく正直に対応せよ
一、取引していただく皆様(お客様)には、私心なく正直に対しなさい。

◇入札は正直な見積書を提出せよ
一、家業が勤まるようになり見積入札をせよと言ってきたら、仕入先などをよく調べ、差し障りなければ承りなさい。値段を聞き、時の相場も留意して、過大見積りがなく、一番廉価で正直な見積書を出しなさい。

◇家名を大切に相続せよ
一、自分で判断できない時は、親類に相談し万事決めなさい。私は普段から病気がちなため、職家の心得の必要なことを書き置く。つまり忠孝者は言うまでもなく家名を大切に相続し、妻を求め、子孫を残して子供の養育をきちんとし、常に保護しなさい。そして、長寿を保ち仏神に祈る心を持って、早く仏の心を起こして大善知識を持って一つになり、弥陀の本願を授かり、悟りを得て罪業は離れ、勇気の心を思い、今から後世を楽しむことが肝心なことである。

◇先祖の命日は怠るな
一、先祖の霊年回忌の命日には、怠ることなく焼香を捧げ、仏事を執り行って、今の世の身分に応じたやり方を心得なさい。謹言。


金剛組に見られた牽制メカニズム


 金剛組に伝わってきた家訓も、経営者たる当主の資質に大きな難があると、先人の知恵の集積としての機能を果たしがたいのです。単なる「掛け声」となってしまうのです。

 しかし金剛組の場合には、そうした難のある当主に対しては、厳しい制裁が発動されていたのです。「遺言書」に「不依何事自身ニ不相分候儀者、親類打寄相談之上万事取計可致候事」、つまり、自分で判断できない時は、親類に相談して万事決めなさい、との文言が残されています。親戚筋に一目置いていたことがうかがえますが、この親戚筋や番頭そして現場で作業を取り仕切る各棟梁は、当主に対して強い発言力を持っており、本家当主の暴走や怠慢を防ぐ役割を担ってきたとされています。

 32代喜定は49歳で病死し、その嫡子、33代喜幸が20歳の時に、正大工職を受け継ぎました。しかし、この33代も1814年に26歳の若さで大病し当主の座を降りています。仕方なく、その弟の34代喜盛に正大工職を譲ります。しかし34代は、「職道不熟之為当家無功」との判断が下り、周囲から当主の座を降りることを願われています。現当主の40代正和氏によると、仕事熱心でなかったか、あるいは出来なかったか、遊び好きだったのだろうと指摘され、また、「長子相続に固執せず、婿をとるなど、指導力や健康で家長を選んだと聞く。それで一代あたり平均35年と安定した経営となった」と述べています。長い歴史をもつ金剛家でも、当主の能力いかんではその存続は危ういものであったのです。


商家に見られた牽制メカニズム


 経営者への牽制メカニズムは、江戸期の商家にも見られ、商家では親戚筋や番頭が強い発言力を持ち、当主を牽制する役割を担ってきました。

 たとえば、江戸期の近江商人の事例があります。当時の近江商人には、本家の主人に対して意見することをいとわない経営上の慣行があったとされます。当時の商家では、中心に「本家」、その周りに本家の兄弟と血縁関係の「分家」、暖簾分けされた「別家」が配される形で事業が展開していました。こうした記述は、本家と分家・別家の間に「上−下」「縦」の従属関係が存在したかの如き観を与えます。しかし、現実は違ったものでありました。分家・別家の当然に重要な役割として、本家に対する積極的な諫言があったとされているのです。先祖からの掟を破り、不埒・不法を働いた本家の主人に向かい、分家らが協議の上、家業永続のため隠居させることさえあったのです。


むすびにかえ


 長寿企業の代表として金剛組の事例をあげ、その他の長寿企業も含め、その家訓や経営上の慣行を検討してきました。「先人の知恵の集積」たる家訓の内容を史料に基づき明らかにしてきました。これらの共通点は、事業の存続を至上命題として、長寿企業を取り巻く環境の変化に合わせて、組織や人材、技術の革新を行う一方で、事業の根幹を守っていることがわかります。そして、家訓をもとにリスクの分散を徹底して行っていました。ようするに、「原点」を長寿企業は大事にしてきたのです。

 また、「掛け声」でなく、「知恵の集積」として社訓等を再度、読み返してみますと、社訓などが「掛け声」に成り下がっていることが、経営上の思わぬ「火種」を生み出す原因になっていることに気づくことがあります。これが、中堅・中小企業の経営者に対する小論からのインプリケーション(導き出される考え)です。また「知恵の集積」に明らかに背く行為に対して、現代版の分家・別家、番頭は存在しうるのでしょうか。中堅・中小企業の経営者に種々のアドバイスを与える立場の、たとえば商工会議所や金融機関の関係者が果たすべき役割ではないでしょうか。

 また、自社の原点は何か。強みは何か。何を後世に伝えるか。そして、いかに伝えていくか。などを考える時間も大切なのではないでしょうか。

 今後、さらに先人たちの「知恵」を抽出し、現代の企業経営に資する形に翻訳していくことが求められるのではないでしょうか。


●筆者紹介
日本学術振興会 特別研究員(滋賀大学大学院社会科学系経営学)
曽根 秀一(そね ひでかず)氏



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