日本の「すし」は、いまや世界のセレブにも人気のヘルシーな料理として、世界各地で食べられるようになりました。国内外で様々なネタや調理法の「すし」が食べられるようになった今、富山県鮨商生活衛生同業組合富山支部では、富山湾の新鮮な魚をネタに、富山ならではの新作ずしを作りPRしています。同組合の常務理事で、富山支部長の石黒幸造氏に富山のすしの魅力を伺いました。
富山だからこそ味わえる豊富で新鮮なネタ
富山の食文化の代表格といえば、やっぱり海の幸。「あいがめ」と呼ばれる富山湾の豊かな漁場では、全国でも屈指の豊富な種類の魚が水揚げされています。3000メートル級の立山連峰から1000メートルの深さの海へと一気に流れ込むいくつもの急流河川が、豊富なミネラルを富山湾に運び、豊かな漁場を育んでいます。その独特の地形に恵まれた富山湾で獲れる季節ごとの旬の魚をネタに、目の前で見事な手さばきで握ってくれる富山のすしは、まさに食の醍醐味といえるでしょう。カウンターでご主人や板前さんとの会話を楽しみながら味わうのもよし、テーブル席で家族や友人とくつろぎながら味わうのも格別です。
富山の食材がたっぷり、昆布が決め手
昨秋、富山県鮨商生活衛生同業組合(以下、県鮨商組合)富山支部から発表された新作のすしは、その名も「きときと巻き」。富山のすし業界と地域の活性化を目指して、組合では一昨年から検討を重ねて仕上げられた商品です。富山ならではのすしとして新ブランド化を目指し、ポスターも作成して県内外でのPRに努めています。
「きとき巻き」は、裏巻きにされた海苔巻きの中に、甘エビやシロエビ、ブリ、カニなどの他、地元産の野菜や卵など新鮮な食材がたっぷりと使われています。昨秋の「越中とやま食の王国フェスタ」でも披露され、現在は組合に加盟している各店舗で味わうことができます。
仕入れ状況や季節によって、店ごとに中の具材は多少変わりますが、共通しているのは、富山ならではの食材を使い、必ず昆布を使うということ。中に魚の昆布〆を入れたり、まわりにとろろ昆布を巻いたり、あるいは、おぼろ昆布をのせることによって、魚やすし飯、その他の具材のうま味が増し、何とも言えない味わいが生まれるように工夫されています。昆布〆の刺身のおいしさは富山県人であれば誰もが知るところですが、それを巻きずしにも生かしたところが「きときと巻き」のおいしさの大きなポイントです。昆布によって、一口食べるごとに、様々な食材のうまみを堪能することができます。
「すし業界と地域の活性化を目指して、組合員共同で商品を開発し、一斉にPRし販売するという今回のような試みはこれまであまりやってこなかったことです。この新しい情報発信を通して、地元富山の皆さんにも、県外の方にも、富山のすしの良さ、おいしさをぜひ再認識いただき、楽しんでいただけたらと思っています」
富山のすし店の変遷
今回ご紹介している県鮨商組合の加盟店のお店で食べられるのは「江戸前ずし」です。富山で江戸前ずしが食べられるようになった年代ははっきりとはわかっていません。関東大震災後、東京にいた職人たちが全国に散らばっていったという説もあります。戦後、富山市街地の復興とともに、現組合員である「寿司栄」さんをはじめ、富山の街なかにすし店がいくつも誕生していきました。県鮨商組合は高度経済成長期の昭和42年に設立され、ピーク時には110店舗が富山支部に加盟していましたが、現在の加盟店は44店舗となっています。
お話を伺った支部長の石黒氏は名古屋や東京で腕を磨き、すし職人のコンテストで全国優勝の経験もある一流の職人。富山に帰郷したのは昭和47年で、東京の有名店「栄寿司」からのれん分けを許され、25歳で独立しました。車社会を見越して、当時は珍しかった郊外に店をオープン。以来約38年にわたって、富山のすし店を取りまく環境の変化を肌で感じてきました。
「私は昭和22年生まれで、団塊の世代です。私が独立した頃は、すし店は若い人でも比較的気軽に始められた商売でした。それほど大きな資本金も必要なく、腕次第、勉強次第で商売を伸ばしていけた時代です。私も先輩方にもいろんな店に連れていってもらい、人生のことも含め教わったことは多いですね。高度経済成長期で、とにかく勢いのある時代でした。努力すればその分、ちゃんと手応えがあり、何をやっても本当に楽しかったものです。昭和の終わり頃までは、右肩上がりで景気が良かったですね」
その後、回転寿司店や大手の外食チェーン店などの進出が相次ぎ、日本人の食生活、ライフスタイルの変化とともに、すし店を取りまく環境は大きく変わっていきました。
戦後富山に次々と誕生したすし店は家族経営の店が多く、最近では後継者不足の問題もあり、店の数自体は減ってきています。そんな中でも、地産地消をはじめ、日本の食文化の良さを見直そうという昨今の動きを追い風にして、新たに富山のすしをPRしていきたいと組合では考えています。
魚本来のおいしさをシンプルに
すしの魅力は、目の前で調理されたものを、その場でいただくという素晴しさ。そして、新鮮な素材を最大限に生かし、シンプルな味付けでいただくという点にあります。そのヘルシーさから海外でも注目を集めてきた日本の食文化の代表でもあるすし。その一方で、私たちの日常の食生活を振り返ってみると、実に多くの加工食品であふれています。
「添加物のたくさん入った味付けの濃いものを食べることが多くなり、食生活はものすごく偏っていますね。いま盛んに地産地消と言われていますが、例えば大手の外食チェーン店などでも、もっと富山の食材を使っていただけたらいいなと思っています。
私は今でも、朝、自分で市場に行くようにしているんです。自分の目で見て、その日のいいものを仕入れますから、朝、出ていくのが楽しいんですね。仕入れの際にもコミュニケーションしながら、今日はどんな風にしようかと、創意工夫していくことに喜びがあるんです。組合の各すし店でも、皆それぞれが様々な工夫をして、魚本来のおいしさを皆さんに味わってもらおうと頑張っています。私の店でもすしはもちろんですが、それ以外の魚料理のメニューも充実させています。毎日来ていただいても飽きないよう、いろんな料理をお出ししている店も多いんですよ」
バランスのとれた食生活や生活習慣の大切さを訴えるため、石黒氏は小学校などでの食育の活動も始めているそうです。子どもたちの食生活や生活習慣の乱れを感じることも多いそうで、暮らしの基本の大切さを教えているとのことです。
県外客に積極的なPRを
今回ご紹介した「きときと巻き」以外にも、今後は、すし懐石などのコースメニューを作り、組合をあげて富山ならではのすしをPRしていきたいと語る石黒氏。
「富山湾にはこれだけおいしい魚がありますから、季節の旬を盛り込んだコースメニューを作って県外から訪れる観光客や団体客に富山のおいしいすしを、もっと召し上がっていただきたいですね。今年開催されるスポレクとやま2010(第23回全国スポーツ・レクリエーション祭)に向けても、PRしていく予定です。
その他にも、富山市内の『すし店マップ』も作成したいと考えています。富山にはコンベンションなどで来られる方も多いのですが、まだまだPR不足な面があります。新しい情報を積極的に提供しながら、富山のすし業界を盛り上げていきたいと考えています」
海外に広がる「すし文化」
「Sushi」は世界で通用する言葉となり、肉料理等と比べて低カロリーでヘルシーなすしの人気は年々海外で高まっています。海外に出店する日本のすし店も増え、ヨーロッパやアメリカでは本格的な日本の高級ずしも食べられるようになりました。富山では、桜木町の「すし健」さんがロサンゼルスに支店を持ち、店主の吉田健作氏は全国すし商生活衛生同業組合連合会の国際渉外部副委員長として、世界各国で指導やデモンストレーションを行っています。日本の若手すし職人が海外で修業を積む機会も増えていて、石黒氏の息子さん夫婦もロンドンのすし店で現在修業中です。
ここ数年、ミシュランガイドで東京のすし店が三ツ星となり話題を集めました。しかし、富山市内にも星はつかなくても、おいしいすしを気軽に味わえるお店がたくさんあります。夜だけではなく、昼のランチメニューも充実しているお店も多く、職場の仲間や友人同志で出掛けてみるのもおすすめです。
いまあらためて見直されている日本の食文化の代表として、富山のおいしいすしを、もっと気軽にたくさんの方に味わっていただきたいものです。今後のさらなるPRとその効果が期待されます。
すしのミニ知識 / ●なれずしがルーツ
そもそも江戸で生まれた江戸前ずし。そのルーツは、富山の名産「ますのすし」と同様、「なれずし」です。中国の古い文献にも登場するという「なれずし」は、最初はごはんを使わずに魚に塩をまぶして発酵させたものでした。大陸から日本にも伝わった「なれずし」は、平安時代の延喜式には「鮒ずし」として登場します。発酵にごはんが使われるようになりますが、長期間発酵させるとごはんはどろどろになるため、当初ごはんは食べられていませんでした。しかし、室町時代になると発酵時間を短くして、ごはんも一緒に食べられるようになります。ごはんがもったいないから、ごはんも食べるようになったとも言われています。その後、江戸時代になると「酢」の醸造技術が発達し、魚を発酵させずに、酢飯とともに魚を箱に詰めて押す「箱ずし(押しずし)」が作られるようになりました。そして、いよいよ江戸前ずしの登場となります。
すしのミニ知識 / ●江戸庶民のファースト・フード
江戸前の「握りずし」の誕生には諸説ありますが、文政年間(1818〜29)、両国にあった「與兵衛鮓」の華屋與兵衛が確立したと言われています。江戸前とは、江戸の前、江戸近海でとれた魚介を使っているという意味です。江戸時代の「握りずし」は、屋台で売られていました。客は立ったまま食べていたそうで、いわば、現代のファースト・フードのような感覚です。当時のすしはいまのおにぎり大くらいの大きさで、庶民に人気の食べ物でした。ちょっとお腹が空いた時に、路地の屋台で1つか2つ食べていたそうです。その屋台の名残りが、現在のお店のカウンターです。なるほど、屋台と考えると、納得できるスタイルです。お店によっては、カウンターの上に、今も屋台の雰囲気をとどめるのれんを掛けているところもあります。
すしのミニ知識 / ●シャリ6割、ネタ4割
すしのおいしさは、ネタの良さはもちろん、そのシャリのおいしさで決まります。シャリ6割、ネタ4割とも言われているそう。コシヒカリも水分が多すぎないように、合わせ酢のしみ込み具合も計算して、新米と古米をブレンドするなど、その割合や炊き加減も各店舗独自のこだわりがあるとか。また、シャリはひと肌くらいの温度が魚との相性が良くなるそうです。さらに、シャリを握る際は、外は米粒が詰まっていて、中はふんわりとしているのがよい状態で、そうすれば、口に入れたときに自然にシャリが崩れ、魚と一体となったおいしさが味わえるそうです。