会報「商工とやま」平成22年11月号

特集2
今、注目を集める労災保険 新たな補償プランがスタート


 企業環境の変化から増え続ける労働災害に対応するため、商工会議所会員企業向けに、本年10月から「業務災害補償プラン」がスタートしました。そこで、今回は、労災保険を取り巻く現状や課題、さらに労災による企業リスクやその対処方法などについてご紹介します。


労災保険とは


 労働者災害補償保険は、昭和22年の労働基準法制定に合わせてつくられた制度です。同法では、労働者が業務に起因して負傷し疾病にかかった場合に、企業側に「故意や過失」がなくても一定の責任を負わせる災害補償の条文を定めています。企業が利益を上げる過程での労働者の事故に、無過失責任を負わせているのです。

 しかし、死亡など補償額が大きい事故が起きると、企業はその補償によって倒産しかねません。そこで、強制的に業務災害に対処する保険制度をつくったのが労災保険です。

 その後、通勤災害や、過労死防止のための健康診断費用の負担などにも給付が拡大され、今日に至っています。


給付と保険料

図
 労災保険は、労災と認定された場合に、本人または遺族(以下、「被災労働者など」)に対して一定の給付を行うものです。その種類は、治療や休業、障害、遺族、介護、健康診断費用と多岐にわたります。

 業務外の事由を支給対象としている健康保険と比較して補償が厚く、補償期間も長いのが特徴です。例えば、負傷して会社を休業した場合、健康保険では治療代の3割を払うことになりますが、労災保険では自己負担が一切掛からず、はるかに手厚い補償を受けることができます(図表1)。

 保険料については、全額企業負担。その率は事業の種類ごとに異なり、最高は1000分の103(水力発電施設やずい道など新設事業)から、最低は1000分の3(その他の各種事業など)までとなっています。なお、この率の中には、非業務災害率(通勤災害などの分)として、一律1000分の0・6が含まれています。


企業経営の新労務管理リスク

図
 近年、企業を取り巻く環境は、終身雇用制の崩壊、技術革新の急激な進歩、経済不調などにより激しく変化しており、労務管理にも大きな影響を与えています。

 こうした中、労災において顕著なのは、疾病型の増加です。労災事故全般(負傷型労災)は減少基調であるにもかかわらず、うつ病などの精神疾患による死亡者数は10年で6倍に、過重労働による脳・心臓疾患による死亡者数は同3倍に増えています(図表2)。そこで、本年5月には労働基準法が改正され、当該2疾病が新たに労災として施行規則に追加されました。

 ここで見過ごしてはならないのは、これら労災をめぐる変化が、企業に新しいタイプの労務管理リスクをもたらしている、ということです。自殺者が年間3万人を超える現状や、労働基準法の改正などから、今後、こうした状況がさらに悪化することも十分想定されます。

 また、平成20年3月に施行された労働契約法は、企業に対し、業務に従事する労働者の生命・健康などを危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を定義付けています。職場環境に起因して発生する疾病型労災の場合、被災労働者などの企業に対する不信感が強く、安全配慮義務を怠ったとする企業への損害賠償請求を誘因しやすくなりました。これが新労務管理リスクです。以下、リスクが生じた判例を紹介します。


■K事件(平成22年2月16日鹿児島地裁)

 長時間勤務の結果、過労で脳に障害を負い、意識不明の寝たきり状態になったとして企業を訴えた。
 裁判所は、過労と症状の因果関係を認め、「過酷な労働環境を漫然と放置した」と、会社側の安全配慮義務違反を認定。将来の介護費用や未払い賃金など、総額約1億9400万円の支払いを命じた。



損害賠償には不十分な給付額


 労災保険では、この新労務管理リスクへの対応が十分ではありません。これは、労災保険が被災労働者などの保護を主目的として制定されているため、企業が被災労働者などから民事の損害賠償請求を受ける場合を想定していないからです。

 すなわち、労災事故が発生し、企業が被災労働者などに対し損害賠償義務を負った場合、民法上の精神的損害(慰謝料)を含む完全な損害賠償額と労災保険給付額には、大きな開きが生じているのです。これには、民事損害賠償が一般的に一時金で解決するのに対し、労災保険給付は重症・死亡の場合、年金給付であることも差額の拡大に拍車を掛けています。

 概算ではありますが、1億円の損害賠償請求額に対し、労災保険給付で企業側の損害賠償額が減免できるのは1500万円程度。つまり、新労務管理リスクの顕在化は、労災保険ではカバーされない損害賠償責任による企業負担が発生することを意味するのです。


民間損害保険でリスクをカバー


 多くの企業が、被災労働者などに対して、労災保険給付のほかに相当の上積み支給を行っています。これは、「法定外補償制度」と称され、大企業で約9割、中小企業で約5割の企業が採用していると推測されています。

 しかしながら、新労務管理リスクを想定して、就業規則上に法定外補償制度のための災害補償規定を定め、民間損害保険を有効活用している企業は非常に少ないと思われます。言い換えれば、多くの企業が十分に検討しないまま災害補償規定を設け、新労務管理リスクに対応できない民間損害保険に加入していると想定されます。中には、従前の規定が残ったまま、保険会社の用意した災害補償規定を採用し、規定が重複していることもあります。

 企業が抱える新労務管理リスクに最も有効なヘッジ方法は、まず、民間損害保険の活用です。企業の損害賠償責任をリスクと捉え、使用者賠償責任保険を採用することが望まれます。次に災害補償規定を含めた就業規則の整備です。法定外補償額と民事損害賠償額との相殺規定を策定した上で、就業規則本則においても、このリスクを想定した休職や復職、解雇などを定めることが望ましいでしょう。

 疾病型労災は、旧来の負傷型と異なり、企業の業種や労働者の職種に偏らずに発生します。もはや、すべての企業が被災労働者などに対し、労災保険でカバーできない損害賠償義務を負う新労務管理リスクを抱える時代になってきたのです。

(北村庄吾ブレインコンサルティングオフィス代表取締役・社会保険労務士/後藤宏オーキッズ社労士事務所・社会保険労務士)



◆商工会議所の業務災害補償プランが誕生

 日本商工会議所では、各地商工会議所の会員サービス事業のさらなる充実を図るため、平成10年3月にスタートした休業補償プラン(所得補償保険)を拡充させ、本年10月を保険始期とする「業務災害補償プラン」を4月に導入しました。

 現在、前述の判例のような安全配慮義務違反を問われて高額な賠償金の支払いを求められる事故が増えています。しかし、こうした事例に、政府労災保険のみの加入では十分な補償が受けられない状況にあります。そのため、政府労災保険への上乗せ補償の必要性が極めて高くなっています。

 こうした状況を踏まえ、商工会議所の会員事業者が、労災事故への十分な備えを確保した上で経営の安定化を図れるよう同プランを創設したのです。


◆パート・アルバイトも補償の対象


 同プランは、日本商工会議所が契約者となり、(プラン導入)商工会議所の会員事業者で、政府労災保険の加入事業者を対象にした保険です。被保険者は、事業者の役員・従業員(パート・アルバイトなどの非正規社員も含む)となります。

 保険料は、補償内容が同じ一般保険の半額程度に設定され、業種を問わず多くの事業者が加入しやすくなっています。

 さらに、売上高を基に保険料を算出する仕組みであることから、加入に当たっては、従業員数を保険会社に通知する手間が掛かりません。また、役員を含め全従業員が自動的に補償の対象となるため、中小・中堅企業や下請企業を抱える企業などにとっても活用しやすい保険となっています。


◆法律上の損害賠償も担保

図
 本プランの補償の範囲は、大きく分けて2つあります。1つは、業務中のケガ(従来型の負傷型労災)と、最近増加傾向にある職場環境に起因する疾病型労災(精神疾患など)による死亡事故などです。もう1つは、高額な賠償金や弁護士費用など、事業者の法律上の損害賠償責任の補償です(図表4)。

 事業者は、補償金額があらかじめ設定された3パターンの商品を選択できるほか、希望により自由に設定できるフリープランを選ぶこともできます。現在、東京海上日動社と損保ジャパン社の2社の代理店で取り扱っています。なお、保険期間は10月1日から1年間で、途中加入もできます。


図  商工会議所では、同プランのほか、会員事業者の経営安定のために、企業が抱えるさまざまな経営リスクをカバーする保険商品を用意しています(図表5)。該当するリスクを抱える企業は、ぜひ、加入をおすすめします。


■お問い合わせ先  当所会員サービス課  TEL:076-423-1112



Q&Aコーナー

Q1/労災保険を使うと保険料がアップするのでは?
A1/前提として、労災保険給付の請求権は被災労働者などにあり、労災などが発生している以上、企業の裁量で労災保険の利用可否は決められない。この理解が無いと、思わぬ労使トラブルに成りかねない。
 また、労災保険料がアップするのは、業務上の事由による労災保険給付が発生した場合のみであり、通勤災害は対象とならない。保険料がアップする仕組みを「メリット制」といい、これは企業の過去3ヵ年の労災保険の収支に基づき40%の範囲内で保険料を増減させる制度のこと。次の条件を満たす場合は、この制度の対象となる。
 @100人以上の労働者を使用する事業
 A20人以上100人未満の労働者を使用する事業で、その使用労働者数に事業の種類ごとに定められている労災保険率から、非業務災害率を減じた率を乗じた数が、0・4以上である事業(図表3)。
 対象外であるにもかかわらず、保険料がアップすると勘違いをしている企業が意外と多いので注意が必要。

■図表3 メリット制(2)の対象企業(使用労働者数20人以上100人未満)
事業種類 その他の建設事業 その他の製造業 卸売・小売業、飲食店、宿泊業 その他の各種事業
対象企業 使用労働者数22人以上 使用労働者数58人以上 存在しない※ 存在しない※
※使用労働者数が上限値99人であっても数値が0.4以上にならない事業種類

Q2/労災隠しは罪になるのか?
A2/労災保険給付の請求権は、被災労働者などにある。このため、労災保険給付を申請しないことで国が事業主を処罰することはできない。
 ただし、労働安全衛生法第100条は、企業に労働者死傷病報告など労災事故の報告義務を定めているため、労災隠しを行った(報告義務を怠った)企業は、50万円以下の罰金に処され得る。
 また、労働基準監督官は、労基法や安衛法の違反事案については、特別司法警察員の地位にあり、悪質な違反は刑事事件として書類送検できる。労災隠しは犯罪行為に該当することもある。

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