富山市中心部で、たばこや化粧品・雑貨などの小売業を営み113年の歴史を誇る朝内商店。同店三代目で代表の朝内一郎さんと、妻の敏子さん、娘の浦部久美子さんにお話を伺いました。
明治31年創業
朝内商店は、現代表の一郎さんの祖父、朝内捨次郎さんが、明治31年に現在の場所で燃料用の割木や炭、たばこなどの販売を手掛ける店を開いたのが始まりです。
その後、捨次郎さんの長男で一郎さんの父の清一さんが二代目となります。しかし、清一さんは県庁に勤める公務員だったため、実際に店を切り盛りしていたのは清一さんの妻で、一郎さんの母の春枝さんでした。
春枝さんが店を手掛ける頃には、たばこに加えて化粧品の販売を始めるようになりました。春枝さんはとても小柄な女性だったこともあり、割木や炭などの燃料を扱う力仕事に比べて、化粧品は扱い易く、女性としてもぴったりの仕事でした。お店が大好きだったという春枝さんは、毎朝6時半頃から店を開けていたそうです。
一郎さんが後を継いで
清一さん、春枝さん夫婦には4人の子供が生まれ、一郎さんは昭和17年に長男として誕生しました。
成長した一郎さんは、高校卒業後は法政大学へと進学。しかし、ちょうど大学卒業の年に父の清一さんが67歳で亡くなります。帰ってきてほしいという家族の要望もあり、富山へ帰郷。富山信用金庫に就職し、その後10年間勤務しました。また、24歳の時には、同じく富山信用金庫に勤めていた敏子さんと結婚します。
一郎さんの信用金庫時代は順調に成績を伸ばし、10年目には岩瀬支店長代理を務めるなど、人一倍頑張ったそうです。しかし、この頃、店の中心だった母の春枝さんが体調を崩してしまいます。昭和50年頃のことでした。
当時お店は、春枝さんと妻の敏子さん、そして一郎さんの姉の泰子さんが切り盛りしていました。日本経済も発展途上で、たばこや化粧品の販売もすこぶる順調で、とても忙しい毎日を送っていました。そこで、一郎さんは信用金庫を退職して、体調を崩した春枝さんにかわって、本格的に店を継ぐことになったのです。
桜木町のスナックへたばこの配達を開始
信用金庫時代には、さまざまな業種の経営のエッセンスに触れた一郎さん。実家の商売を継いでからも、信用金庫で培った経営的センスや経理のノウハウなどを基本に、顧客のニーズや心理を的確に捉えたサービスで、その手腕を発揮していくことになります。
お店のある場所は桜木町のすぐそばという土地柄から、一郎さんはやがて、スナックなど飲食店へのたばこの配達を始めます。最盛期で800軒から1000軒ほどの飲食店があったという桜木町。店から桜木町までの近さを活かし、桜木町の約半数のお店へ、たばこを毎晩配達するようになりました。
「多いときで、アルバイトを10人ほど雇って、スナックが開店する夕方6時頃から、遅いときは夜中までかかってたばこを配達していたものです。
これは便利だと皆さんに喜んでいただき、売上が伸びていきました」と振り返る一郎さん。
当初は、電話回線が1本だけだったため、電話がいつも不通になってしまうほど、多くの注文が入ったそうです。
たばこの配達と同時に、たばこの自動販売機も飲食店のそばや近隣のお店、ビル、ホテルなどに次々と設置していきます。
また、たばこだけでなく、スナックなどで釣り銭にできる両替用の小銭を、いつも持って行ったと言います。きめ細かな気配りと、フットワークの良さで店の売上を徐々に伸ばしていきました。
街なかの雑貨店として
たばこや化粧品のほかにも、スナックなどの要望に応じて、トイレットペーパーやタオル、ティッシュ、洗剤、贈り物用のブランドものの衣類など、次々と品揃えを増やしていきました。
「当時はまだコンビニがなかった時代ですから、街なかの雑貨店として大変重宝がられたんです」と語るご夫妻。いまでも店内には、主力商品のたばこや化粧品のほかに、雑誌、下着、ストッキング、洋服、お菓子、ジュース、文房具など、日常生活に必要な、様々な商品が並んでいます。
化粧品も豊富な品揃え
朝内商店では、たばこのほか、敏子さんと娘の久美子さんが担当する化粧品コーナーも充実しています。資生堂を中心に、マックスファクター、コーセー、オパール、資生堂の高級ライン、クレ・ド・ポーなどを取り扱っています。久美子さんはエステティシャンの資格を持ち、フェイシャルを中心に本格的なエステなども行っています。癒しの時間を、過ごしてみませんか。
タスポやコンビニの登場
現在、自動販売機ではtaspo(タスポ)が無ければたばこを買うことはできなくなりました。富山でのtaspo普及率は32%で全国でも低くなっており、この制度が始まって以降、自販機での売上は急速に減ってしまいました。
また一方で、コンビニエンスストアが増え、自販機ではなく、コンビニでたばこを買う人が多くなり、たばこ小売業を取り巻く環境は厳しくなっています。先頃、たばこ全体の売上が上がっているとの報告もありましたが、それは値上がりによるもの。今後は健康志向や国の医療費削減の取組みなどもあり、不透明な状況です。
しかし、そんな中でも、朝内商店はその豊富な品揃えから、ここでしか買えないたばこを求めて来店するお客様が、数多くいらっしゃいます。
たばこ専門店としての店づくり
朝内商店では、この10月に店内を一部改装し、新しいカウンターと喫煙コーナーを設置しました。
店内には常時200〜300種類のたばこが美しくディスプレイされています。また、葉巻や手巻きのたばこなど、珍しいたばこも揃い、「たばこ専門店」としての豊富な品揃えは市内でも随一です。加えて、朝内さん家族は、お客様との会話や心と心のつながりを大切にした店づくりに努めています。
久美子さんは、父・一郎さんについて次のように語ります。
「父のすごいところは、お客様の顔を見ただけで、何も言われなくても、その方の好みのたばこをすっと出すことができること。お客様の好みをしっかり覚えているんですよ」
一郎さんは、「まちのたばこ屋」として、心のこもったサービスを大切にしたいと考えています。
「かつては100メートルとか200メートル間隔で、街なかにたばこ屋がありました。富山市内にも1000軒ほどあったのですが、いまでは450軒ほどに減っています。規制緩和でいろんな場所でたばこが販売できるようになったからですが、そんな今だからこそ、私たちにしかできないような、心と心が通うようなサービス、お客様との会話を大切にしていきたいですね」
3月の東日本大震災では、JTの東北のたばこ工場も直接、間接的な被害を受け、生産がストップ。愛知の工場も電力規制で生産ができなくなるなど、たばこが配給制となり、一時、品薄な状態が続きました。
そんなときにも、一郎さんはいち早く商品を仕入れ、お客様へのサービスに努めたとか。あちこちたばこを探しまわり、遠くから朝内商店に買いに来られたお客様も多かったそうです。
いつでも新鮮な、おいしいたばこを
朝内商店のたばこは、いつでも新鮮で、味も香りも違うと言われています。それは一郎さんが、お客様の好みや在庫をしっかり把握し、常に上手に商品を回転させているから。たばこ専門店としての誇りと経営的センスが光ります。
「これからも、たばこ専門店であることを大切にしたいですね。お客様の好みをしっかり把握して、来店されたらすぐにお出しすることはもちろん、国産たばこ、外国たばこなど、幅広い年齢層の方の多様な好みにお応えして、新鮮で豊富な品揃えを心がけていきたいと考えています」
愛煙家の方は、一郎さんと、たばこ談義に花を咲かせてみるのも楽しいかもしれませんね。
郊外にスーパーや大型店舗が増え、コンビニで買い物をする時代ですが、ここにしかない品物、サービスを求めて来店されるお客様を、これからも大切にしたいと語る朝内さんご家族。
お客様へのサービスのあり方や心構えについて、大きなヒントをいただくことができました。
朝内商店
富山市本町3-1 TEL:076-432-6838
●主な社歴
初 代 朝内捨次郎 明治31年(1898)創業
二代目 朝内 清一
三代目 朝内 一郎 昭和50年(1975)から代表