会報「商工とやま」平成24年7月号  【 特 集 】

伝統の匠の技を伝える左官に注目!

調湿・防火性能に優れた塗り壁で、健康的で自然な暮らしを。

富山県左官事業協同組合の取り組み


 伝統の技術を受け継ぎ、住宅の内外装の塗り壁や大型建築物など、様々な場面で重要となる左官技術。建築業を取り巻く環境が大きく変わるなかでも、健康志向が高まり、自然素材を利用した左官技術は注目されています。左官技術の継承とPRに努める富山県左官事業協同組合の皆さんにお話を伺いました。

富山の優れた左官技術


 富山県内ではいまも土蔵や伝統的な町家、砺波平野のアズマダチの住居、そして一般住宅の和室などの内外装に、塗り壁などの左官技術が数多く使われています。

 最近ではその美しさとともに、体に優しい自然素材であり、防火、調湿性能に優れた漆喰の白壁などの伝統工法が見直されています。

 有名なところでは、小杉左官の竹内源造(1886〜1942)が手掛けた美しいナマコ壁や鏝絵などが知られています。富山には高い左官技術を持った名人を輩出してきた歴史があり、地域の伝統文化や技術の高さをいまに伝える建物が県内各地に残っています。

 「公共施設では富山県庁(1935年完成)や、近年では富山能楽堂や富山県水墨美術館などでも、優れた左官の技術を見ることができます」と語る富山県左官事業協同組合の田口徹忠理事長。

 2011年に修復工事が完了した富山県民会館分館内山邸(国登録有形文化財)では、職藝学院の上野教授らの要請に応えて、同組合が協力し、もみ蔵や鶏小屋の壁の修復を手掛けました。ここでは「小舞掻き」と言われ、竹とすすきで土台を整え下地を作り、その上に泥を何度も塗り重ねる伝統工法が用いられました。 その一方で、伝統工法に必要な竹やすすきなどの材料が手に入りくいという苦労もありました。

 「竹も本来は青竹ではなく、何年か置いて乾燥させた固いものが必要ですし、すすきもまっすぐ伸びたものが必要なのですが、まっすぐなものは毎年刈り取りされている場所にしかありません。最近はそれらの入手が非常に難しくなっています」と、同組合常任理事で社団法人富山市左官組合理事長の堀伸一さんは話します。


県内には約1400の左官職人が


 事務局長の村井和雄さんは組合のいまを次のように語ります。

 「富山県左官事業協同組合は昭和32年に設立され、現在の組合員数は360人。組合に加盟しているのは県内で左官業を営む経営者です。また、県全体で左官業に携わる人は約1400人と推計されていて、残念ながら職人の数は年々減少しています」

 その主な理由には建築物の施工方法が変化したことが挙げられます。最近の住宅建設では、壁にはサイディングやクロスを貼る乾式工法が主流で、時間やコストのかかる塗り壁による湿式の在来工法を選ばれることが減り、左官技術を発揮する場が少なくなっているのです。また、大型建築物でも下地づくりなどが主で、かつてのように建物の内装全体が塗り壁ということが無くなってきているそうです。

 「しかしながら、クロス貼りなどの乾式工法よりも耐久性や防火・調湿作用に優れ、塗り替えなどの修復が比較的容易な塗り壁の良さが見直されてきており、左官の技術が今後も必要とされることは確かではないでしょうか」と、理事長をはじめ皆さんは話しています。


次世代の左官職人を育成


 同組合では左官の基礎技術や高度な技が求められる伝統工法を次世代に伝えていこうと、富山県左官高等職業訓練校を運営しています。若手職人が働きながら2年間の訓練をするもので、費用は親方が負担します。

 「最近は別の職業から転職する方も多く、そういう人はとても意欲的に学んでいますよ」と語る田口理事長。

 高度経済成長期には仕事も多く、10数人の職人を雇う親方も多かったとか。中学を卒業後に親方のもとで5〜6年修行し、その後は自分の目標とする仕事ができる親方のもとへと巣立っていくのが一般的でした。

 最近では、最初から独立を目指して働くというよりは、会社組織で安定して働くことを求める若者が多くなっているそうです。


左官組合青年部を発足


 組合を活性化させ、次世代に技を継承していくために地域へ積極的に働きかけていこうと、平成20年に青年部が再発足しました。

 これまで、様々なイベントに参加して鏝絵の技術を披露したり、泥だんごをつくる教室などを開催。地域の方とふれあいながら、左官業のPRに努めています。

 最近では壁やタイルの補修などの仕事が多いそうで、そういった技術をもつ職人が身近にいることを地域の皆さんにもっと知ってもらい、気軽に声をかけてもらえるように、今後も県内各地で様々な活動を予定しています。


公共施設に、左官技術を生かせる場を


 伝統技術を伝承するには、単に左官の技術を次世代に伝えるだけでなく、その仕事や仕上がりを求めるお客様の需要を掘り起こすことや、それらをとりまく環境を整えることも重要です。

 湿式工法である塗り壁は、長期的に見れば色々な面で優れた技術でありながら、施工には時間、手間、そしてコストがかかるために設計士や施主も敬遠しがちです。

 また、現在建設中の北陸新幹線の線路の土台部分や、ビルなどの建物の下地づくりなどのほか、あらゆるところで左官の技術は生かされていますが、大型工事はコスト面で厳しいのが現実です。

 そこで、田口理事長は「学校など公共施設の一部でもいいですから、ぜひ、左官の技を生かせる場を作ってもらえたら」と考えています。特に左官の腕の一番の見せ所である塗り壁などを、より多くの方々の目に触れるよう、最後の仕上げの部分にも活用してもらえることを期待していて、組合では今後も関係方面へ働きかけることにしています。


自然素材で健康な住まいに


 昨今の健康意識の高まりから、マンションや一般住宅でも、珪藻土、漆喰などの塗り壁が見直され、増加傾向にあると言います。田口理事長や堀常任理事は次のようにメリットを話します。

 「土壁にはシックハウス症候群の原因となるような接着剤などの化学物質は含まれていないため、より健康的な暮らしを意識する方には、自然素材を生かした味わいのある壁が好まれるようになってきました。

 特に女性の方で、非常にこだわりを持った方が増えていますね。皆さん、自分のオリジナルの壁をつくりたいというご要望が多いですね。ただ塗るのではなく、鏝跡を生かしたような味わいのある塗り方など、独自のご希望を聞く機会が増えています」

 色のバリエーションを増やすなど、メーカーの対応も進んでいます。


防火・調湿・省エネ効果あり


 塗り壁のメリットとしては、まず火災に強いこと。熱を遮断するため冷暖房費が安くなるほか、調湿作用に優れているため結露しにくく、カビ・ダニの発生を抑える効果があり建物が長持ちします。これらは省エネ、省資源効果につながります。

 また、化学物質などを使わないため、アトピー・アレルギーの予防にもなります。

 自然素材は使い終わると自然に還っていきますし、古くから続く工法のため、性能がすでに実証されていて安心であること。そしてつなぎ目のない壁をつくることができるなど、多くのメリットがあります。


来年は青年部の全国大会を開催


 新築・補修を問わず、お客様の要望に応え、適材適所の提案ができるように、同組合では今後も一級技能士や登録基幹技能士など、高度な技や知識をもった人材を育成したいと考えています。

 ユーザーである私たちも、使い捨てではなく、長い目でみた建築のあり方、自然や環境に負荷の少ない暮らし方に目を向ける必要があるようです。コストだけではない、何十年と耐久性があり、長い年月をかけて実証されてきた左官技術と工法のすばらしさを知り、生かしていくことを考えてみてはいかがでしょうか。

 来年は日本左官業組合連合会青年部の全国大会が富山を会場にして開催される予定です。一般の方や関係者に向けた左官業の良さをアピールする絶好の機会になりそうです。


 富山県左官事業協同組合では、一般の方からの様々なご要望や施工法に応じて、最適な左官業者を紹介しています。施工をお考えの方は、一度、気軽にお電話をしてみてはいかがでしょうか。

●富山県左官事業協同組合
富山市館出町1-11-4  TEL:076-432-0203

世界で、日本で。文明とともに発展した左官業
 左官の歴史は古く、人類の文明生活とともに始まったと言われています。石膏や石灰を焼いて使用する技術は数千年前から発達し、メソポタミアでは紀元前2500年代に大規模な石灰焼成用の窯があったことが知られています。また、紀元前1500年代中国の黄河流域の新石器時代の住居遺跡に石灰が使われていたそうです。同じく紀元前1500年代のエジプトのツタンカーメン王墓の壁画の下地には石膏が使用されています。
 その後、漆喰、石膏塗りの左官技術は主に寺院や宮殿等の大型の建築物施工によって発展。漆喰塗りが一般的に使用されるようになったのは18世紀以降で、その後セメントの発達でモルタル壁、人造石塗りを加えて現代に至ります。
 現存する日本最古の木造建築の法隆寺(7〜8世紀初めにに建立と推定)には壁画がありますが、用いられている左官技術も現代の技術と大きな違いはないそうです。
 法隆寺金堂や五重塔内部の壁面の下地にも左官の技術が使われています。この法隆寺の建立を始まりとして数多くの寺院が建立されるようになります。
 その後、朝廷や公家の邸宅に漆壁が使用され、土蔵壁などが発達。これが防火性と堅牢性に優れていたため、戦国、安土、桃山時代に武士がこぞって城廓を建築し、左官技術が大いに用いられるようになりました。それが由来かどうか明らかではありませんが、この左官業は聖徳太子が業祖とされ、今日まで続いています。



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