会報「商工とやま」平成26年5月号

特集2 シリーズ/老舗企業に学ぶ11
変わらぬ菓子の味を、がんこに守り続けたい
 大塚金泉堂


 季節ごとに暮らしに美味しい彩りを添えてくれる和菓子。富山市中心街の千石町通り商店街で菓子店を営み、123年の歴史を刻む大塚金泉堂。

 今回は、同店の大塚さんご一家に、一世紀以上にわたるお店の歴史と、お菓子作りにかける思いについて伺いました。


明治24年に創業


 大塚金泉堂は、明治24年に初代の大塚金次郎さんが創業したのが始まりです。金次郎さんは東京で菓子作りの修行を積んで富山に帰郷。鈴木亭に勤めた後に独立し、現在の千石町通りでお店を始めました。

 金次郎さんが亡くなった昭和5年に息子の正次さんが店を継ぎ、二代目金次郎として家督を相続しました。

 昭和56年には二代目の金次郎さんが亡くなり、三代目の正太郎さんが継承して現在に至ります。

 正太郎さんは昭和3年生まれで、現在86歳。今も現役でお菓子作りに精を出しておられます。そして、正太郎さんの娘で四代目の久子さん、久子さんの息子で五代目の友幸さんとともに創業以来の味を守っています。正太郎さんの妻で、久子さんの母のマサ子さんも、嫁いで以来、店を明るく切り盛りし、現在では店の裏方として家族の暮らしを支えています。


千石蔵があった場所に因む


 大塚家は、元々富山藩に仕えた士族と言う元禄時代の記録があり、友幸さんは大塚家の15代目だとか。ただ、残念ながらそれ以前については、大火や戦災で資料が焼失するなどして、詳細は分らないそうです。友幸さんは千石町やお店の歴史を次のように語ります。

 「千石町通りは元々、富山城の千石御蔵があった場所で、それに因んだ地名だと聞いています。お店の場所も古い地図などを見ると、明治の創業の頃からほぼ変わっていないことが分るんですよ」


戦後賑わいを見せた商店街


 三代目の正太郎さんが菓子づくりを始めたのは戦後から。戦況が激しくなった昭和18年頃からは物資も配給となり、父の金次郎さんも菓子業は営めなくなり、正太郎さんは数年間、不二越で働いていました。そして、昭和20年8月の富山大空襲で店は全焼しました。

 その後、昭和22年頃に金次郎さんが店を再建し、昭和24年頃からは正太郎さんも菓子作りを始めます。そして、正太郎さんとマサ子さんが結婚したのが昭和29年。富山産業大博覧会が開かれた年で、商店街も大変な賑わいを見せました。また、同年の旧富山市役所の竣工記念の落雁作りに、お店で育った若衆3人を呼び寄せて朝から晩まで忙しい日を送ったこともあったそうです。

 昭和30年には久子さんが誕生。この頃が、一番忙しかったと正太郎さん、マサ子さん夫妻は振り返ります。そして、娘の久子さんは子ども時代の思い出について次のように語ります。

 「私が子どもの頃は、父と母はいつ寝ているんだろうと思ったほど、早朝から夜遅くまで働いていました。自分は大人になってもお菓子屋だけはしないと思っていましたね(笑)。

 店を継ぐことになりましたが、私は器用な方ではなく、自分のできる範囲でしてきました。でも、和菓子職人として必要な父の器用さを、息子の友幸につなげられたことは、本当によかったと思っています」


創業以来の味と製法


 初代の頃から作り続けているのが、店の看板商品である「千代萬喜」です。

 「これは全国でも当店だけが作っているお菓子で、中は柔らかな求肥で、それを焼き皮で巻いて、まわりは砂糖水でコーティングしています」と、友幸さん。

 砂糖水でコーティングする前に、炭火で5、6時間乾燥させるのが特徴です。皮はぱりっと、中は白玉のやわらかな美味しさ、外側のコーティングされた砂糖など、変化に富んだ味わいと食感を楽しめる銘菓です。

 「ガスで乾燥させると、ガスの匂いがついてしまうため、今も炭火で乾燥させているのがこだわりです。平成元年の全国菓子博覧会では、厚生労働大臣賞をいただきました」

 商品の包装紙の文字は初代金次郎さんの妻ツネさんの手によるもので、家族の歴史も包み込まれている、大切な伝統のお菓子です。


添加物なしの昔ながらの美味


 また、もう一つの名物である金鍔も、平成14年の熊本菓子博で審査総長賞を受賞。さらに白手亡豆という白い豆を使った珍しい京金鍔も、長年の人気商品です。新しい豆が入る11月頃から作り始め、豆が無くなる翌年の夏にはもう作らないそうです。日にちが経つと豆の皮が固くなるためのこだわりです。

 同店のお菓子は、いずれも添加物などを一切使用せず、良質な材料を使い、素材本来の味を生かしながら、昔ながらの製法にこだわって作られています。味わってみると、そのすっきりとした甘さと、素材本来の美味しさが口一杯に広がります。

 ご近所や一般のお客様はもちろん、お茶の先生方からの信頼も厚く、1年を通して数多くの注文が入ります。添加物の一切入らない、和菓子本来の美味しさに感動して、新たにリピーターになる方も多いとか。小学生や親子三代にわたって来店されているご家族など、たくさんの方に愛されている本物の味なのです。


細工菓子や生菓子の美しさ


 和菓子は美しい四季の移ろいを楽しみ、人生の節目を共に祝う日本の大切な文化です。

 大塚金泉堂では、千代萬喜や金鍔などの定番商品のほかに、注文が入ればお雛さまなどには有平糖の細工菓子、初節句には紅白の鯉、そして、結婚式用の鶴亀やおしどりなどの生菓子など、細かな細工が施された手間のかかるお菓子作りも続けています。

 「お茶席用の生菓子も、一週間ごとにお菓子は変わるため、同じアヤメやナデシコなどの花でも何種類も違うものをご用意して、お客様のご要望にお応えしています。

 私たちは何より、お客様に喜んでいただけることが喜び。値段も安く、きれいで美味しいと言っていただくこと。愉しみはそれしかないですね」と、正太郎さんと友幸さん。

 「お菓子づくりには絵心や色彩の感覚、デザインの要素も大切」と話す正太郎さんは、本を見ながら絵を独学で学んだとか。その腕前はすばらしく、店内には様々なタッチの絵が飾られています。


伝統のレシピを受け継いで


 そして、友幸さんも幼い頃から手先が器用でもの作りが大好き。店には折り紙細工が飾られています。小学1年生ですでに、将来の夢はお菓子屋さんになることだったそうです。

 「幼い頃から祖父や母のお菓子作りを見て、何もないところから、様々なお菓子を作っていく凄さを感じていました。東京の専門学校で学び、卒業後すぐに祖父のもとで仕事を始めて14年になります。祖父のお菓子作りにはレシピが無かったため、一つひとつの菓子について、材料や分量などのレシピを細かく記録しながら覚えていきました。ただ、温度や柔らかさなどの調整は感覚が頼りで、苦労しましたね」


がんこに守りたいものがある


 正太郎さんは、組合や町内の会計などを長く務め多くの方から頼られる存在。かつて商店街を彩ったすずらん灯などのデザインも手掛けたそうで、商店街では今や一番の長老です。そして、友幸さんという頼もしい後継者を得て、1年を通して、今もほとんど休みなく菓子作りを続けています。長きにわたり、店を守り続けてこられた秘訣を伺うと、「真面目に、良いものを安く作っているからでしょうね。私たちは職人ですから、お客様にきれいな品物を提供すること、それだけですね」看板商品の千代萬喜は1個92円、金鍔は110円で、消費増税後も値段を変えずに販売しておられます。

 友幸さんも、千石町通り商店街には、専門家や職人が多く、映画のタイトル通り、まさに「がんこもん」がいる職人のまちだと語ります。「変わらない味の継承と、日々の仕事を真面目に続けることが一番ではないでしょうか。そして新しいものを作っていけたらと思います」とまさに、温故知新という言葉がぴったりくる大塚金泉堂。これからも地域で愛されるお店として、この地で味を守り続けています。


大塚金泉堂
富山市一番町4-24(千石町通り商店街) TEL:076-421-4511
定休日・日曜

●主な歴史
明治24年
 初代大塚金次郎さんが創業
昭和5年
 二代目金次郎さんが継承
昭和56年
 三代目正太郎さんが継承
 同年、後に五代目となる友幸さん誕生。平成12年より菓子作りを始める。