会報「商工とやま」平成26年6月号

特集1 
 「イタイイタイ病の教訓を、企業活動にも活かしてほしい」
   富山県立イタイイタイ病資料館


 富山県の神通川流域で発生した日本の四大公害病の一つ、イタイイタイ病の被害と克服の歴史を学ぶことができる富山県立イタイイタイ病資料館。副館長の村田信一さんに、人々の苦闘と、美しい故郷が取り戻されるまでの長い取り組み、そして未来への思いについてお話を伺いました。


企業人にこそ見てほしい


 イタイイタイ病は、神通川の流域で起きた日本の四大公害病の一つで、日本で初めて国から公害病として認定された病です。患者が「イタイ、イタイ」と泣き叫ぶことからこの名が付いたと言われています。富山県立イタイイタイ病資料館の村田信一副館長は、「企業が起こした公害によって自然や健康が破壊され、多くの人命が失われた事実とその克服に向けた取り組みを多くの企業の方々にも知ってもらい、その教訓を活かしてほしい」と力を込めます。

 まずは、資料館で紹介されている、イタイイタイ病の被害と克服の歴史について振り返ってみたいと思います。


神通川とともにあった暮らし


 昔から「神が通る川」とも言われ、清らかで豊かな水に恵まれた神通川。昭和30年代以降に水道が普及する前までは、用水によって家のそばまで引き込まれた川の水がそのまま生活に利用されていました。

 また、古くからの穀倉地帯として、米を育てたり、川魚を獲ったりと、人々の暮らしと深く関わっていたのが神通川でした。


明治の中頃にはすでに被害が


 しかし、神通川上流の富山県と岐阜県の県境近くにある神岡鉱山の亜鉛生産などから排出されたカドミウムが原因となり、明治の中頃にはすでに流域で稲の生育不良などの農業被害や、川魚が死ぬなどの漁業被害が見られるようになります。

 明治以降、鉱物から亜鉛を取り出す技術が進歩し、産業振興や日露戦争、太平洋戦争などをきっかけとした軍需に応えるため、鉱石が大量に掘り出され、亜鉛生産が拡大していったことなどが時代背景としてありました。


大正時代頃には病気が発生


 その後、大正時代頃からは、神通川流域の富山市婦中町(旧婦負郡婦中町)と神通川をはさみその対岸を含む地域で、全身が激しく痛む原因不明の病気が現れました。一度かかると治らない奇病として地域住民に恐れられ、地方病や業病(悪業の報いでかかる病)とも考えられ、患者や家族への偏見や差別を生みました。また、米が売れなくなるとか、嫁が来なくなるといった風評被害を恐れ、この病気の患者がいることはほとんど公にされず、昭和30年頃まで多くの県民はその存在さえ知りませんでした。


イタイイタイ病として注目される


 昭和30年に「イタイイタイ病」として新聞で紹介されたことからこの病気が注目されるようになり、多くの研究者によって研究が行われるようになりました。

 初期の研究では、原因を「栄養失調」や「過重労働」とする説などがありましたが、やがて神通川の川水に原因があるとする「鉱毒説」が発表され、昭和36年には神岡鉱山から排出されたカドミウムが原因であるとする学説が、地元の萩野昇医師などにより日本整形外科学会で発表されました。


イタイイタイ病の特徴とは


 イタイイタイ病は、腰や肩、ひざなどの痛みから始まり、症状が重くなると骨折をくり返すようになるのが特徴です。全身を襲う痛みの中、ついに一人では動けなくなり寝こんでしまいます。

 特に恐ろしいのは、寝こんでからも意識は正常なまま「イタイ、イタイ」と苦しみ、食事も取れずに衰弱しきって死を迎えるという点です。圧倒的に女性に多く発症し、年齢は35歳から更年期頃にかけての特に出産経験のある女性に多く発症するのが特徴です。

 イタイイタイ病は、カドミウムの慢性中毒によって、まず腎臓に障害が発生し、次に骨軟化症を引き起こします。これに、妊娠や授乳、内分泌の変調、老化、栄養としてのカルシウム等の不足などが原因となって病気を進行させると考えられています。腎障害と骨障害、なかでも骨粗しょう症を伴う骨軟化症はイタイイタイ病の大きな特徴です。

 体に布団をかけられただけでも痛いため、夏でもコタツに布団や毛布をかけて寝たり、病院の診察へ畳ごと運ばれていく患者もありました。患者本人だけでなく、世話をする家族にとっても非常につらく苦しい暮らしが続きました。同資料館では、次のような患者の悲痛な声が紹介されています。

 「息を吸うとき、針千本か、二千本で刺すように痛いがです」「痛くて痛くてかなわんで、はってでも行けりゃ、川へでも入って死ぬんやけれど」「わずかな娑婆だと思っておりますけれども、こんな苦労をせんならんかなと思うと、残念やら悲しいやらわかりません。どれだけ涙を流しても足りません」


そして、裁判へ


 長い間苦しんできた被害者とその家族、遺族は、健康被害の解決と救済を求めるため、住民の小松義久さんらが中心となり「イタイイタイ病対策協議会」を昭和41年に結成。住民たちが団結して、神岡鉱山を操業する三井金属鉱業に対する補償要求や国、県に対する救済陳情などの運動を行いました。

 そして、昭和43年には三井金属鉱業を相手に裁判を起こします。


画期的な厚生省見解


 裁判を起こした昭和43年、厚生省は、イタイイタイ病がカドミウムの慢性中毒によって引き起こされ、 そのカドミウムは神岡鉱山から排出されたもの以外には見当たらないという見解を示しました。政府が公害による健康被害の発生について、はじめて公に発表した、画期的なものとなりました。


住民が勝ち取った裁判


 昭和46年の1審では、全国の公害病関係裁判の中ではじめて住民側勝訴の判決を得ました。さらに、昭和47年の2審でも、住民側が全面勝訴しました。

 この裁判は、被害住民の大半が参加し、原告数が合計506人にも及ぶ、当時の日本裁判史上、例のない大規模なものでした。主義信条や党派を超えた原告団や全国から手弁当で集まった300人の弁護士たちの存在が大きな力となりました。

 しかし何より、小松さんら住民の「裁判に負けたら、ここには住めなくなる」という、「戸籍をかけた闘い」と呼ばれたほどの壮絶な思いと、大企業を相手に、様々な困難を乗り越えた努力があったからこその勝利でした。


3つの誓約書・協定書を交わし故郷を取り戻す


 2審判決の翌日には住民側が三井金属鉱業本社に出向き直接交渉を行った結果、患者救済や環境被害の克服に向けた動きが始まりました。被害者への賠償のほか、公害防止や汚染土壌の復元に関する3つの誓約書・協定書が取り交わされたのです。

 とりわけ公害防止協定は、住民の神岡鉱山への立入調査を企業側が受け入れるなど画期的な内容となり、美しい神通川を取り戻す大きな第一歩となりました。

 富山県では、法律に基づき、患者を認定。患者に認定された場合、原因企業が誓約書に基づき補償しています。また、流域住民の健康実態調査や、健康管理指導がいまも行われています。

 神岡鉱山では、平成13年から鉱石の採掘は休止されていますが、輸入鉱石などから生産が続けられており、住民や研究者などの立入調査が、毎年、実施されています。

 そして、汚染された水田の土壌復元工事などの「汚染農地対策」が昭和55年から実施され、33年間かけて平成24年に完了。総工費407億円を掛けた大事業となりました。

 こうした努力が長年続けられ、神通川とその流域は、かつての美しい姿を取り戻してきました。


県民が1度は訪れたい施設企業研修にも活用を


 これまでイタイイタイ病の患者に認定された方は196人。いまも3人の方がご存命で、この病に苦しんでいます。そして、被害を受けた住民の方々の、この事件を風化させず、教訓として後世に伝えたいという長年の願いから、平成24年に県立イタイイタイ病資料館が開館しました。以来、約7万人の方が訪れ、この公害病への認識を新たにしています。村田信一副館長は、次のように語ります。

 「昨今、企業をとりまく様々な事件があります。時代背景こそ違いますが、重大な被害を出したイタイイタイ病は、私たちに大きな教訓を遺していると思います。

 企業の皆さまには、ぜひ資料館を訪れていただき、この事件を自分のこととして意識していただけたらと思います。人に迷惑をかけたり、人の犠牲の上に成り立つ利潤追及はあり得ない。法令順守は当然ですが、それ以前に、人として何が正しいのかという、企業活動においても大切な『判断基準』について考える貴重な機会になると思います」

 資料館では、各団体のご要望に応じた、さまざまな学習プランが準備されていますので、企業研修などに、ぜひ、同資料館を活用してみませんか。原則10名以上の団体の方で事前予約があれば、展示解説や語り部の貴重な体験談を聴くこともできます。また、常時、館内のタッチパネル端末で映像証言等もご覧いただけます。

 富山県民なら、少なくとも1度は訪れたい、貴重な場です。


富山県立イタイイタイ病資料館
富山市友杉151番地(「とやま健康パーク」内)
TEL:076-428-0830
■開館時間 9時〜17時(展示室への入室は16時30分まで)
■入館料 無料
■休館日 月曜日 (休日の場合は翌日)、元日。
*設備点検その他の理由により、臨時休館とする場合があります。


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