会報「商工とやま」平成27年4月号

シリーズ/おじゃましま〜す
 当所副会頭 翠田 章男 氏 (株式会社トンボ飲料代表取締役社長)


 富山商工会議所の活動を支えていただいている副会頭の皆さんを訪ね、時には仕事を離れて、ご自身のこれまでの歩みや明日への期待などについてお話を伺った。


養蚕から一転ラムネへ


 会社は来年創業120年を迎えます。初代の辰次郎は、八尾で養蚕業を営み、全国に種紙を売り歩いており、東京でたまたま出会ったラムネを生涯の仕事にしようと富山市総曲輪で「翠生舎(すいせいしゃ)」を創業。以来、私で5代目になります。

小学2年生で日活映画館に出入り


 私が生まれた当時は、現在のJR富山駅前に工場と自宅があったので、8歳頃までは駅前地区が遊び場でした。ラムネの瓶に入っているビー玉欲しさに、使い古した瓶が山と積まれた瓶くず置き場に忍び込んでケガをしたり、近所の悪がきと一緒に入り込んで、会社の人に酷く怒られました。
 また、工場の近くにあった日活の映画館へ会社の人がラムネを配達する際に一緒についていくうち、映画館のおばさんと顔見知りになったので、石原裕次郎や小林旭の主演映画をほとんど顔パスで見てました。小学校2年生で、結構おませでしたね。

瓶に囲まれた環境の中で


 昭和38年に、現在地に工場と自宅を移しました。工場には最新の機械が入り、ラムネはもちろんのこと、シャンメリーも本格的な生産体制が整いました。
 冬場は、ラムネの空き瓶の回収量が多くなる時期で、自宅の周りにうず高く積まれた空き瓶に溜まった雨水や雪解け水が夜中に凍りついて、夜寝ていると、ぴしっ、ぴしっとガラス瓶の割れる音がするんです。その音がすごく記憶に残ってます。
 このように、瓶や工場が住まいのすぐ近くにあったせいか、自分ではこの仕事をやっていくんだと早くから思い込んでました。

付加価値商品への転換


 大学を卒業した当時は父親の会社の経営が厳しくて、跡を継ぐかどうかの確信もなく飲料メーカーのポッカへ就職。それから4年ほどした頃、結構大きな受託生産の仕事をやるようになったので、富山の会社に戻ってきたのが26歳ぐらいでしょうか。私の父が持っていた「このままではやっていけないし、付加価値の高い商品に切り替えていかなければならない」という危機感を共有してました。
 今の付加価値のベクトルは、主に3つあって、1つはヘルス&ビューティーケアといって、健康であり美容にも役立つというベクトルです。2つ目は高齢者のシルバーケアというベクトル。3つ目がシャンメリーとかラムネなど、楽しさや驚き、懐かしさなどの心の潤いを提供するハートケアです。これら3つの付加価値を求めた飲料を作る会社に徐々に変わってきたんです。

ゼリーとパウチ容器との出会い


 少子高齢化のなかで我々のビジネスは先細りだと思ってました。高齢者向けの飲料として、ゼリーが我々のテーマとしてありました。そして物流費や材料代もそんなに高くなく、軽くて高齢者向けのゼリー飲料の容器を探していたところ、パウチがあると容器メーカーから情報をもらったんです。
 これにかけてみようと思ったのが16年前、ちょうど私が社長になる頃でした。結果、現在では売上の6割がパウチ飲料になってますから、これをやったかどうかはものすごく大きなファクターだったと思います。

自分の中心原則を明確にする


 若い人たちに、自分も実践していることをご紹介するので参考にして欲しい。
 友達や自分が意識している相手と比べて、自分を小さく感じること、つまり自己嫌悪に陥ることが誰にでもあるけど、これは自分で自分を傷つけるという、人間にとって一番怖いことです。
 でも、人と比較したとしても、自分の進む方向がちゃんとわかっていて、そこに近づいていると認識できていていれば何も辛いことはないのです。
 そのためにも、「自分はこんな場面では、こんなふうにありたい」ということを紙に書いて、自分がなりたい姿を明確にすることです。年齢によって、時と場合によってそれは変わっていきますが、自分なりに見直していけばいいのです。自分の中心原則を明確にしておくのが良いと思いますね。(談)


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