会報「商工とやま」平成27年12月号

シリーズ/おじゃましま〜す
 当所雇用・福祉委員会委員長 黒田  昭 氏
(当所常議員・株式会社三田商会代表取締役)


 富山商工会議所の活動を支えていただいている委員長の皆さんを訪ね、時には仕事を離れて、ご自身のこれまでの歩みや明日への期待などについてお話を伺った。


ルーツは富山藩に合羽を御用達


 三田商会を遡っていくと、江戸時代に雨除けの蓑を作る「合羽屋」が始まりです。蓑は藁やスゲを編んだ雨具ですが、それだけでは雨が浸透するので、和紙を柿渋で揉んで乾燥し、さらに油を塗った紙を内側にあててあります。これらの合羽は藩主の参勤交代に際して富山藩に納めていました。いわば藩の御用達だったのです。
 合羽屋は昭和の戦後まで続けてきましたが、ビニールの台頭もありやめてしまいました。代わって、私と15歳離れた兄の善平が勤務していた不二越を退職し、ベアリング専門店を始めたのが昭和24年でした。
 私は兄と歳が離れていたこともあり、商売を手伝うこともなく小・中・高校と野球に熱中していました。大学を卒業し、3年あまり他の会社に勤務した後、富山へ帰り三田商会に入りました。
 ちなみに、三田商会の「三田」の由来は、兄が工具を専門に扱う三尾さんという方と二人で創業したことで、三尾さんの「三」と「黒田」の「田」をとって「三田商会」としました。その後、三尾さんは病気で亡くなられましたが、兄の強い想いがあって、今でも三田商会の社名は変えずにいるのです。

積極的な仕入先開拓で急成長


 昭和39年に法人化し、この頃から急速に会社の規模が大きくなり、従業員も8人から3年で25人を超えるほど一気に増えました。
 当時、仕入メーカーは3社しかなく、取扱商品も限られていましたが、積極的な仕入先開拓により商品の幅が広がったことと、メーカーから直接仕入れる割合が大きかったのでお客様の多様なニーズに柔軟に応えられることが当社の強みとなりました。

厳しい時こそ新しい時代への準備が大切


 昭和40年代に国産部品の品質が向上したことが我社にとって追い風となり、順調に業績を伸ばしてきました。しかし、良いことばかりでなく、平成4年に兄から社長を引き継いだころはバブル崩壊で先行き不安などもあり苦しい経営状態が続きましたが、それを何とか乗り越えてきたことが今でも忘れられません。
 また、平成20年に起きたリーマンショックで業績が落ち込んだ時には「厳しい時こそ、新しい時代に向けた準備が大切だ」と社員に説きました。そして電子部品内臓の機械製品をはじめ新たな取引分野を開拓して業績回復に結びつけることができたのです。


学習なくして知恵は出ない


 今後、社会が高度化していくと従来型の考え方は通用しなくなります。知恵を絞って新しい商品を提案していかなければなりません。そのためには学習が大切で、学習なくして知恵は出ません。
 また、社内では更なる効率化、省力化が必要です。例えば、eビジネス、バーコードシステムなどは我社が取り組まねばならない重要なテーマです。こうしたテーマに対して社員が前向きな提案が闊達にできる、風通しの良い組織になることを目指しているのです。

三つの基本で次の時代に立ち向かう


 今、社内では「日本型経営の三つの基本」として、
一.事業・商いを通して社会に貢献する(社会第一)
二.より良い商品の提供・お客様の役に立つ(お客様第一)
三.お客様との永続繁栄・永続互恵関係(関係者第一)
を揚げています。この三つの基本を肝に銘じ、社員全員で協力し、お互いに影響し合い切磋琢磨して、これからの時代に立ち向かっていきたいと気持ちを引き締めております。(談)




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