会報「商工とやま」平成28年1月号

特集2
シリーズ 老舗企業に学ぶ22
リサイクル事業を通じて、人の幸せを循環させる 株式会社大澤商店


 富山市向新庄で一世紀以上にわたり、リサイクル業を営む株式会社大澤商店。同社の歩みと特長について、会長の魚住幸男さんと、代表取締役社長の堀田孝博さんにお話を伺いました。


大正3年に創業


 株式会社大澤商店は初代の大澤直和さんが明治43年に富山商業学校を卒業後、大正3年に富山市曙町で個人商店を創業したのが始まりです。
 その後、企業整備で、昭和17年に北陸金属回収株式会社が設立されると、直和さんは社長に就任。昭和19年には日本金属回収統制株式会社に吸収合併。戦時下の仕事はすべて国の統制下にありました。終戦後は再び、個人営業を始め、昭和27年に株式会社大澤商会を設立しています。
 直和さんは6人の息子さんと3人の娘さんに恵まれ、息子さんたちは終戦後、無事復員すると、家業やグループ会社の経営を担っていきました。


50周年に向新庄へ移転


 昭和42年の50周年の年には、新社屋と工場を現在の富山市向新庄に建設移転。
 大型機械が登場する前は、人力に頼る部分が多かったため、大勢の人が働いていました。堀田社長は、初代について次のように振り返ります。
 「昭和47年に私が入社したとき、初代はまだ現役でおられ、とても温厚な方でした。当時まだ出始めで、とても大きな最新のコンピュータを導入するために、部屋を作るなど、新しい設備、機械をいつも積極的に取り入れていました」
 その後、二代目社長には直和さんの次男、正義さんが就任。平成に入るまで経営を担いました。
 「二代目もとても穏やかな人柄で、怒ったところは見た事がなかったですね」と、魚住会長も振り返ります。また、堀田社長はこんなエピソードを覚えているそうです。
 「若き日には、所有していた新潟の鉱山で、ふんどし一丁で坑道に入り、自らマンガンを掘っていたそうです。死ぬ前にもう一度、あの鉱山がどうなっているか見に行きたいと、話しておられました」


鉄など金属のリサイクル事業


 大澤商店では、おもに三つの事業を経営の柱としています。一つ目は、金属スクラップのリサイクル事業で、事業全体の約5割を占めています。鉄を主体に、銅、アルミなど、県内外の企業などで発生するさまざまな金属を回収し、工場内で選別。再び原料として使用しやすい大きさに、大型ギロチンなどで切断・加工していきます。
 販売先は県内外の製鋼メーカーなど。用途によって使う鉄のランクも異なり、必要とされる素材ごとに販売されます。但し、鉄スクラップは安定して販売可能な商品である一方、価格変動が大きい商品でもあります。
 「鉄スクラップの価格は、海外相場などで統一されていて、自分たちで値段を決めることができません。例えば、平成20年のピーク時には、1トン7万7700円だったものが、その後、わずか1ヵ月ほどで3万円台に値下がりしました。需要と供給のバランスで大きく変わっていくものですから、苦労もあります」と語る魚住会長。経営安定のためには、相場を見て判断するというよりは、リスクを避けて、迅速に販売していくことを大切にしているそうです。


油を拭き取るウエスを製造・販売


 2つ目の事業が、ウエスの製造・販売です。富山市で回収された古着などは、すべて大澤商店に運ばれ、ウエスとして使えるもの、中古衣料として国内外に販売するものに分けられます。再利用できないものは、富山市のエコタウンに運ばれ、固形燃料となります。
 「ウエスは機械の油やインクなどを拭き取るための布。適しているのは綿で、毛羽立たない洗いざらしのものが良い。綿の白いウエスが上級で、次に浴衣など2色のもの、そして、黒などの順になっています。
 入荷する古着は年間で約170〜180トン。それをすべて手作業で選別し、ボタンやファスナーを外し、一定の大きさにして製品化します」と話す堀田社長。地道な手作業から生まれるウエスが、富山のものづくりの現場を支えています。


日本海側唯一の押湯保温材製造店


 そして、3つ目の事業が、日本海側で唯一、製造販売する押湯保温材です。これは、鋼塊や鋳物の上の部分に取り付けるもので、金属を溶かす際に、金属のなかの不純物を上の方に浮上させるために、上部(押湯)を保温する素材です。
 「金属が冷えて固まると体積は小さくなり、その不足する分を補うため、さらに上から湯(溶けた金属)を供給していきますが、上部が最後に固まるように、温度を高く保つ必要があります。製鋼メーカーや高岡銅器などの鋳物をつくる工場では、なくてはならないもの」とお2人は語ります。
 工場内では、大きな押湯保温材が製造されていて、重さは1800キロもあるとのこと。
 「いろいろなタイプがありますが、これは、40〜50トンの鋼をつくる鋼塊の上部に使用されるものです。発電機のタービンの軸や、タンカーのスクリューの軸など、大きな鋼をつくる鋼塊で使用されています」
 押湯保温材の素材は、珪砂が8割のほか、アルミの削りくず、新聞の古紙を溶かしたものなどです。原料の多くはリサイクルしたものですが、鉄は1550度から1600度で溶かすため、高温に耐えられる商品として品質管理が徹底されています。いまや、全国でも数少ないメーカーの一つとして、ものづくりの基盤を支えています。


グループでは観覧車や遊具も製造


 大澤商店では、このほかに、新潟県青海市に出張所を設置し、新潟でのスクラップの回収や、デンカ株式会社の作業工程の一部を請け負う業務も行っています。
 また、グループ会社の株式会社大澤鉄工所では、観覧車やジェットコースターなどの遊具も製造。魚津のミラージュランドの観覧車や、最近では三井アウトレットパーク北陸小矢部の観覧車も同社の製造によるもの。大阪の万博記念公園では、つい先日から日本最大級の123メートルの観覧車を設置中で、夢のある仕事を手がけています。


若い人材を呼び込みたい


 どの業種においても、若い人材の確保が難しくなっている現在ですが、大澤商店では、新卒者の採用に積極的に取り組んでいます。魚住会長は次のように語ります。
 「これまで100年企業を目指して頑張ってきた中で、昨年お陰さまで、100周年を迎えることができました。これからはさらに意識を変革しながら、若い世代にバトンタッチしていきたい。若い人材の登用を進めながら、魅力的な企業になれるよう、活性化を図っていきたいですね」
 堀田社長も、「環境への付加を低減するエコなリサイクル産業として、次の世代や子孫のためにも、さらに、次の100年を目指していきたい」と抱負を語ってくださいました。
 社会の基盤を支える鉄などの金属のリサイクル、そして、ものづくりを支えるウエスや押湯保温材事業。これからも富山になくてはならない企業として、次世代へと、その歴史と創意工夫が受け継がれていきます。



株式会社大澤商店
富山市向新庄6−8−14
TEL076−451−0157
●主な歴史
大正3年に初代、大澤直和さんが富山市曙町で個人商店を創業 
戦時中は国の統制下で製鋼原料や製紙原料の指定商となる
昭和20年、統制撤廃により再び個人経営に
昭和27年、法人に改組
昭和42年、富山市向新庄に移転
平成18年、ISO14001認証取得