会報「商工とやま」平成29年2・3月号

誌上講演会「まちづくりセミナー」
国内最大級の商店街組織 〜自由が丘商店街の魅力づくり〜
自由が丘商店街振興組合 理事長 岡田 一弥氏





自由が丘の歴史


 自由が丘は、JR渋谷駅から私鉄で10分ほどの所にあります。東海道でいえば、品川宿とその次の川崎宿の中間辺りの、とても田舎だった場所です。ですから、大した産業はなく、昭和初期ごろまで農家が点在する地域でした。
 関東大震災以後、東京は再構築され、周辺で新しい都市計画が進められました。その都市計画に用いられたのが、渋沢栄一がヨーロッパの都市づくりから学んできた田園都市構想でした。東急電鉄(以下、「東急」という)では、創始者である五島慶太が現在の自由が丘がある城南地区のいろいろな電鉄を網羅する形で開発を進めました。東急は沿線開発に非常にたけており、東急なしに自由が丘の歴史は語れません。
 昭和2年、東急東横線(渋谷駅−神奈川駅)が開通したことによって東京が南西に拡大し、経済的発展に伴って人口も増え、沿線では新しい住宅地が開発されました。地価が安く、田園都市構想に基づいて道路整備や区画整理がきっちり行われたので、住宅地としてはなかなか良い環境です。当時、都心で勤務していた人や文化人、芸術家などが城南地区に次々と引っ越してきました。「大正モダン」を会得したような人たちが多く移り住んできたのです。
 同時に、東急は非常に面白いことをしました。当時、省線(現在のJR)が都心部にあって、そこから枝のように私鉄が郊外へ延びていたのですが、他の私鉄との差別化を図って、沿線の文化や価値を高めながら鉄道を延伸していく戦略に出たのです。「学芸大学」「都立大学」という駅名からも分かるように、大学などを誘致しながら鉄道を敷設していきました。
 昭和4年には、この地域を通る東急東横線に東急大井町線が乗り入れ、それまでの駅名「九品仏前駅」が当時周辺で設立された自由ヶ丘学園の名前を取って「自由ヶ丘駅」(現・自由が丘駅)になりました。また、昭和7年に地名も「自由ヶ丘」(現・自由が丘)になりました。
 つまり、もともと愛称として使われていた校名が駅名となり、駅名が地名になったという通常とは全く逆の流れだったのです。もともと自由が丘は民間がいろいろな創意工夫を行い、行政が後から追い掛けてくるようなことをずっとやってきた街です。「自由が丘」の名前がぴったりきたのも、そのような点が理由かもしれません。


商店街振興組合の運営


 自由が丘は通りに面して6〜7の商店街が昭和初期にでき、それが協同組合を作ったと言われています。戦争が始まって一度解体されましたが、戦後に再び連合会を形成し、これが商店街振興組合になりました。
 現在は12の商店街組織があり、法人格を持っているところもあれば、任意団体のままのところもあります。最小の組織で会員10軒、最大で380軒です。12の商店会の合計で会員数1320軒という日本最大の商店街振興組合になっています。12の商店会は支部として運営され、それぞれ独自の商店街活動もしています。振興組合は、その連合会として1法人格です。


「女性の街」自由が丘


 高度経済成長期、自由が丘周辺では高級住宅街が広がっていきました。昭和の日本の典型的な構造として、平日はご主人が都心へ仕事に行くため、街は女性や子どもが中心になるわけです。そうなると、身の回り品の次に必要になるのは、女性ファッション(衣料)となり、必然的に婦人衣料を扱う店が集積します。そして、自由が丘は「女性の街」といわれるようになりました。
 すると、女性ファッション(衣料)だけでは物足りなくなり、靴や鞄、小物やアクセサリーも必要になります。「女性の街」をベースにして、小物や雑貨を扱う店が多く誕生し、「雑貨の街」と呼ばれるようになりました。
 さらに、お子さんやお孫さんが幼稚園や習い事に行っている間、女性たちは自由が丘でランチをしたり、お茶を飲んだりするようになりました。お茶をする上で欠かせないのが甘い物です。そこで、自由が丘は「スイーツの街」と呼ばれるようになりました。
 その後、現在の自由が丘は「サロンの街」になっています。ヘアサロンやネイルサロン、マッサージやヒーリングなどの街です。現在、自由が丘美容師会には100軒の会員がいてどんどん増えていますが、どの店も決して潰れません。それだけ自分を磨くことにきっちりとお金を使える恵まれたお客様が多いのだと思います。さらにこの後、もう少し文化が薫るような方向に向かっていくだろうと思っています。


商店街振興組合の使命


 そのような形で自由が丘は、自由ヶ丘学園に発する文化人たちの息吹を受け、周辺の高級住宅街の方々に鍛えられ、女性の街としてのイメージを大切にしながら、ここまでやってきたわけです。すると、自由が丘商店街振興組合にはいろいろなことが求められるようになりました。
 まず、周辺住民は知識レベルがとても高い方々です。我々は、その御用達となることが使命ですから、個店として、組合としても、そのような方々のニーズに応えることが最も重要です。
 また、自由が丘の商店街は、憧れの高級住宅街の中にあるので、現在はかなり遠方からもお客様が来られるようになりました。横浜、渋谷の他、新宿、池袋といった巨大都市の駅から直通で行けるようになって、超広域型商店街になっています。自由が丘に来られる方々が望んでいるのは、憧れの高級住宅街に住んでいる方々が普段どのような服装をしていて、どのような品物を買い、どのようなものを食べているのかなど、その生活を見ることです。
 この様な方々のため、コストパフォーマンスを高めなければならないというつらい面があるのですが、周りの住宅街の方々のニーズを常に考えていれば何とかなるともいえます。
 住宅地の街ですので、都心の大規模な商店街とは違います。一歩先の品ぞろえにしてしまうと、奇抜で駄目です。新しい情報は入っていなければなりませんが、安心感も必要です。一歩先まで行かないながらも、少し新しい情報を含めた品ぞろえ・サービス、そして品格・品性・品位を頭の片隅に置きながら仕事をすることが大切だと考えています。


一年中イベントを積極的に開催


 自由が丘では多彩なイベントを行っています。
 まず、ゴールデンウィークには4日間にわたり、「自由が丘スイーツフェスタ」を開催しています。お菓子の家を造ったりして、数十万人の集客があります。
 また、5月最終の週末には、一つの商店会が単独で「マリクレールフェスティバル」を実施しています。この街自体が「マリクレール」というフランスの雑誌と提携していて、「ルー・ド・マリクレール(マリクレール通り)」という名前の使用許可を受けており、毎年10万人以上が来場します。
 さらに、秋の祭礼には大人神輿4基、子ども神輿10基以上を出して、連合渡御の形で駅前に3000人ほどの担ぎ手を集めて行います。
 最大のイベントは、体育の日に行う「女神まつり」です。彫刻家・画家の澤田政廣氏が制作した「あおぞら」(通称女神像)という像が駅前にあり、それをシンボルにした祭りです。街中に10以上の舞台を各支部が作り、回遊してもらうイベントで、今年も2日間で50万人を集客しました。
 その他、「自由が丘ハロウィン」やクリスマス・カウントダウンイベント、節分祭や春のお花見などもあります。
 このように、お客様に普段のお礼を兼ねて、ほとんど一年中イベントを積極的に行っています。


さまざまな情報発信


 ウェブ・新聞・情報誌などさまざまなメディアを駆使して街の情報発信を行っています。情報誌は2年に1度、半世紀以上出し続けています。最近は紙離れで5万部を切っていると思いますが、最盛期は8万部発行していました。中には400店以上のお店が載っていて、記事の大きさによって掲載料が違います。掲載料を各店から集めて印刷代にしているので、最初から赤字になりません。
 さらに、昭文社を通じて全国に販売するので、売れた分は振興組合の利益になります。掲載店には完成品を差し上げて、売れれば掲載料を補填できますし、売らなくてもお客様に販促品として渡すことができます。つまり、この本を作った段階で誰も損をしないのです。また、この本は、ほとんど街の人みんなで作っています。写真家やデザイナーなどがボランティアで加わって、本来は有料のノウハウを無料でつぎ込んでくれています。そのような形で自由が丘のお店を組織的に網羅しています。
 われわれは巨大資本ではありませんが、お客様に対するサービスとして絶えず新しい形で情報発信しています。


環境への配慮「自由が丘森林化計画」


 周辺住民の方々は環境にとても敏感で、我々は、自由が丘の環境にも配慮しています。その一つが「本を森へ返す運動」です。イベント時に一般市民から持ち込まれた古本の売却金でプランターを買い、緑を植える取り組みです。さらに、それをもう少し循環型にしようと、銀座のミツバチプロジェクトを参考に、「丘バチプロジェクト」を始めました。ミツバチを飼い、運動で設置したプランターや周りの住宅街で丹精されている四季折々の花々からミツバチが蜜を集めます。採れた蜜を直接売ることは抵抗があるので、プロジェクトに賛同するサポーターに会費をもらって蜂蜜を配布することにしました。会費でさらにプランターなどを設置し、街の中に緑を増やしていく計画です。これを、われわれは「自由が丘森林化計画」と命名してアピールしています。
 そもそもこの計画を進めるようになったのは、ごみ問題が大変だったからです。平成21年当時、1600の事業所がひしめく自由が丘は、毎朝ごみの山が出現するという惨憺たる状況でした。これを改善しようと夜間にごみを収集したいと考えましたが、行政は夜間には収集してくれません。そこで、ごみ収集が有料化されるタイミングで、業者に夜12時から朝4時までの間に全軒のごみを個別収集してもらうことにしました。
 夜間収集によるコストの増大は覚悟していたのですが、結果は違いました。人件費は高いのですが、夜中には渋滞がなく、違法駐車も歩行者も少ないので、周りの交通に気を払うドライバーの作業負担が軽減できるなど作業が効率的になり、全体としては、行政による収集とほとんど同じ経費で毎日夜間に全てのごみを収集してもらえています。
 この森林化計画は、自社のCSV(共有価値の創造)に合致する非常に面白い取り組みだとして、東京コカ・コーラボトリング(株)(現・コカ・コーライーストジャパン(株))が応援してくれたことで、大きな発展を遂げました。現在、「スイーツの街」自由が丘のキャラクターである「ホイップるん」の柄をあしらった自由が丘専用のルーフ緑化型の最新鋭省エネ自販機が、約30台設置されています。また、コカ・コーラ社とは、大災害が起きた時にはコカ・コーラの配送所の飲料を自由が丘のある目黒区に渡すという防災協定を目黒区と結んでいます。
 これが発端となってNTTとも提携することになり、駅前に「ホイップるん」とコラボして緑化をPRする電話ボックスが設置され、その後もキリンビール(株)をはじめ、いろいろな企業の協力を得ています。
 このような環境への取り組みに対して周りの方々は非常に敏感で、またそれを求めています。これは商店街の仕事ではないかもしれませんが、いかに街が環境問題に注力し、それがある水準以上で成し遂げられているか、永続的にやろうとしているかが大変重要で、環境に配慮しているということをいやらしくない程度に外にアピールすることも重要だと思っています。


産業能率大学とのコラボレーション


 もう一つ力を入れているのは、自由が丘コンシェルジュ(セザンジュ)という活動です。6年前に行われた東京都の体感治安改善事業の一環として、怖くない街をアピールするために、近くにある産業能率大学に協力をお願いしています。学生が専用の制服を着て、街案内や、高齢者の手助けなど様々なボランティア活動を行っています。学生は、セザンジュの活動を1年間継続すると単位を取得できます。また、自由が丘のイベントを企画から実施まですべてやり遂げると大学から単位が与えられる「イベントコラボレーション」という授業もあります。産業能率大学は実学を大変重んじる学校で、それまでもイベントのボランティアに積極的に参加してくれていました。私もまちづくりに関するエリアマネジメントの授業を持っていますし、自由が丘に店を持つパティシエの辻口博啓さんも自由が丘ブランドの研究をする客員教授になっています。
 産業能率大学の学生は、経営学専攻が多いので、いろいろな形で分析もしてくれますし、ゼミの先生もそれに対してレポートを出してくれるので、私たちにとって良いことばかりです。柔らかくてフレッシュなアイデアや行動力も提供してくれる上、その後の実証もきちんと行ってくれるので、これほど良いことはありません。


今後の課題


 近年、自由が丘では、本業を手じまいして不動産賃貸業になる人が増えています。すると、シャッター街にはならない反面、跡を継ぐ住民が街からいなくなり、街の活力を維持できません。
 求められるサービスは山のようにあり、どんどん高次元化していく中で、我々は時代とともにどんどん変化しています。しかし、昔ながらのことをやめるわけにもいきません。両立させるためには人・物・金やアイデアが必要なので、産業能率大学や企業の方々といろいろ連携しながら取り組むようにしています。
 自由が丘には「Jスピリット」というまちづくり会社があります。当振興組合が51%出資し、区も出資しているTMOで、今年、都市再生推進法人の資格を取りました。振興組合も、昨年11月、道路法の弾力運用を受ける特区の事業主体になり、改めてまちづくりの活動を積極的に行っていく予定にしています。
 現在、自由が丘では4カ所で、業種規制やセットバック(敷地の後退)などの地区計画を策定しています。当振興組合でも街の特徴を生かして、自由が丘にふさわしくない業種が出てこられないように敷地の分割制限をするなど、行政と絶えず協力しながら進めています。
 商店街運営は1人ではできません。「信頼できる仲間がいれば、何でもできるし絶対に負けない」という先輩の言葉を胸に、まさに仲間とスクラムを組んで、とにかく諦めず、少しずつ改善していこうという思いで活動しています。


※本稿は平成28年10月17日に富山県商店街振興組合連合会が主催したまちづくりセミナー(於/富山国際会議場)の講演内容を要約したものです。
●講師プロフィール
 岡 田 一 弥 氏
 慶應義塾大学経済学部卒業後、東洋信託銀行(株)に勤務。昭和60年に岡田不動産(株)代表取締役に就任。
 平成12年に自由が丘商店街振興組合の副理事長に就任。同22年に同振興組合の理事長に就任。
 現在は、産業能率大学の客員教授、目黒区商店街連合会の会長なども務める。
●自由が丘商店街振興組合
 自由が丘には12の商店街があり、その商店街が団結して、単一組織の商店街振興組合として昭和38年にスタート。
 現在は会員約1300軒、国内最大級の商店街組織として、自由が丘の魅力づくり、会員店舗の繁栄のために活動。
 数多くのイベントを開催し、中でも毎年10月に開催する自由が丘女神まつりは毎年数十万人の人々が集まる。
 環境問題への取り組みにも注力し、平成21年に自由が丘森林化計画をスタート。街の緑化を推進している。

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