会報「商工とやま」平成29年5月号

続・おじゃましま〜す
当所創業・経営革新支援委員会委員長 品 川 祐一郎 氏
(当所常議員・富山トヨタ自動車株式会社代表取締役社長)


 新たに就任された委員長を訪ね、時には仕事を離れて、ご自身のこれまでの歩みや明日への期待などについてお話を伺った。


父の会社の社長になる


 富山トヨタの初代は忠蔵、二代目は忠蔵の弟で私の祖父。父が三代目で、私は四代目になります。小さい頃は会社と家の区別がなかったので、番頭さんがしょっちゅう家に来ていましたし、正月も社員の皆さんが家で宴会をして賑やかでした。
 祖父や父を見てきましたし、物心がついた頃から家業を継ぐことが頭にあったんだと思います。小学校の卒業文集に「将来はパイロットかお父さんの会社の社長」と書いていましたから。
 今思えば、勉強や高校・大学選び、何をするにしても、父の会社の社長になる、富山トヨタに日本一相応しい社長になるという目標が自分のモチベーションの源になっていたのかも知れません。まだ志半ばですけど、今も同じ思いです。


入社後は蓄積期間


 大学卒業後7年間は銀行員だったこともあり、29歳で当社に入ってから10年間は事業の分析ばかりしてました。グループ7社で800人、どんな方がどんな思いで仕事をしているのか、歴史や経緯、ハード・ソフト面など見たり聞いたりです。周囲からは内にこもってるように見えたと思いますが、30歳代はそれが精一杯で、商工会議所の青年部活動等にも参加できず、社会勉強や社会貢献という面では至らなかったことが悔やまれます。


地域貢献への思い


 1917年の創業から今年で100年ですが、創業者の忠蔵は自動車という便利なものをひたすら富山県に普及させようという思いでやっていました。東京の数奇屋橋で、日本で初めてタクシーが走った1912年からわずか5年後、忠蔵がアメリカからT型フォードを買い、富山でも走らせました。
 当然必要になる運転手と整備士を育成するため、私財を投じて自動車学校や整備技術講習所を設立し、また、燃料やタイヤの取り扱いを始めるなど、ひたすら自動車社会の構築に努め、それに共鳴した人たちが集まった草創期であったと思います。
 事業というよりは自動車を普及させ、県内の経済を発展させ、豊かな暮らしに役に立つためにひたすら取り組んできたお陰で今日がある。先人の社会に対する思いを受け継いだDNAが、今日まで支えてくれたのだと思います。


Win×5


 今年の創業100周年に向けて、6年前にグループ各社の幹部と話し合い、「関係する全ての人々の幸せと発展に寄与する」という経営理念を掲げました。
 私は入社以来、売り手よし(ES)、買い手よし(CS)、世間よし(CSR)の「三方よし」を考えてました。これに会社と業界を加えてwin‐win‐win‐win‐winです。
 富山トヨタを客船に例えると、お客様や社員がこの船に乗りたい、この船で働きたいと思ってもらいたいし、乗っている間はそれぞれが持ち場で役割を果たす。私は目的を示し、進む方向を決める船長の役割を担っているんです。
 仮に、嵐に遭えば一致団結して立ち向えるように助け合わなければなりません。全社員の思いを一つにするために、オールクルーミーティングを年3回行っています。


志ある人を応援したい


 自動車整備士を目指す人が10年前に比べて半減しており、競争相手も含めて業界のイメージアップが必要だと思っています。
 先日、自動車整備士の養成も行っている専門学校の卒業式に出席してきました。どの学科の卒業生も「自動車整備の仕事を通じて皆さんに喜んでもらいたい」「病気で苦しんでいる皆さんに少しでも笑顔になってもらいたい」と言っておられ、感動しました。是非、その志を大切にして欲しいですね。
 商工会議所の創業・経営革新支援委員会の委員長に就任しました。創業される方には、社会に通じる志を持っていただきたいし、私たちも、しっかり応援していきたい。
 世のため人のために頑張った結果の通信簿として、お客様や利益を得られるのだと思います。そうした志から新しいアイデアが出てくると思うのです。
 私自身が「継承者は挑戦者」と考えているので、そういった皆さんから学ばせていただこうと思っています。(談)