会報「商工とやま」平成29年12月号

シリーズ 老舗企業に学ぶ39
若き社長の決意は「ものづくり」と「人づくり」 津根精機株式会社


 今年、創業100年を迎えた津根精機株式会社は、金属などの材料を切り出す切断機と工具の製造・メンテナンスで国内外の製造業を支え、同社の丸鋸切断機は、世界トップクラスのシェアを誇ります。100周年を契機に就任した若き社長・津根良彦さん(社長就任時33歳)と、婦中工場長の星野昇さんに1世紀の歩みと同社の将来像を伺いました。

創業時は乳母車を製造


 初代社長の津根良さんが大正6年、平吹町に「津根良商店」を創業したのが、津根精機の始まりです。当初は、乳母車やスキー金具などを製造していました。五代目社長の良彦さんは、先祖について次のように紹介してくださいました。
 「初代社長で曽祖父の良は、私が2歳の時に他界したので、ほとんど記憶にありませんが、二代目社長の祖父・良一とはたくさんの思い出があります。私が初孫だったこともあり、厳しくも、とてもかわいがってくれました。良一は戦時中、満州へ行き、4年ほどシベリアで抑留されていました。戦時中は、軍事指定工場となって軍需物資を、戦後は精密機械部品を製造していました」



海外に目を向けて切断機で躍進


 高度経済成長期、良一さんは海外に関心を持ち、会社の将来のために、長男の良孝さんをイギリス、次男の良史さんをアメリカへ「英語を勉強してこい」と送り出しました。「欧米の生産技術を学ぶためには語学が不可欠」との思いがあったようです。
 「父と叔父の留学は、祖父が、津根精機の当時の担当銀行員、木繁雄さん(現富山商工会議所会頭)に『これからの時代、海外だよ』と言われたことが決め手になったと聞いています。私も父の勧めにより、大学を卒業した後2年間、アメリカで語学を学びました」
 良一さんは、海外へ目を向けるとともに、大量生産時代の到来を見据えた「ものづくり」の視点を持っていました。素材を「切る」という作業に絞って自社製品を開発するという道を定め、初めに手掛けたのが弓鋸切断機でした。
 昭和46年には、国産初の丸鋸切断機「プロマックス」、同49年には、西ドイツ(当時)のワグナー社と技術提携して、より高速に刃が回転する「K2シリーズ」を発売しました。同54年に入社した婦中工場長の星野さんは、K2シリーズが飛ぶように売れたことを覚えています。「10年間で売上1000台を超えるヒット商品でした」と、当時を振り返ります。
 昭和56年からは、帯鋸切断機の開発も進めました。後にアメリカやスイスのメーカーとも連携して技術開発を進め、平成17年にアメリカ、同18年はタイ、同26年はドイツに現地法人を設立しました。



多様な要望に応える喜び


 時代を経て製造業界のニーズは多様化しています。自動化、無人化が進む製造現場では、正確さ・速さ・きれいさ・摩擦熱の解消・耐久性・メンテナンス・品質管理など、切断機にいろいろな役割が求められています。
 高度経済成長期は、大量生産一辺倒で、スタンダード・マシンを作っていればよかったのですが、平成に入ると、ほとんどが特別仕様になりました。星野さんは、顧客の要望に応える難しさと喜びを次のように話します。
 「切り出す材料は、時代とともに新素材になりました。特に、自動車業界では、軽くて耐久性の高い新素材が生み出され、金属や樹脂だけでなく、さまざまな複合素材が開発されてきました。丈夫な材料は、裏を返すと加工しにくいということになるのですが、私たちは、『切りにくい』と言い訳はできません。当社の企業理念は、『誠実・努力・創造』です。お客様の多様な要望にお応えすることが、私たちの責務であり、喜びなのです」



北陸新幹線のレールを切る技


 津根精機がこれまで販売した切断機は8000台を超え、国内シェアの4割を担っています。技術は、県内のアルミ製造などの企業で認められ、平成27年に開業した北陸新幹線にも活かされています。新幹線のレールは、大手製鋼メーカーが製造しており、50メートルずつに切られたものを現地で溶接します。丈夫で硬いレールを誤差なく切るため、津根精機の切断機が使われたのです。
 「新幹線の車輪用スチールホイールも当社の切断機で加工されています。直径460ミリのビレット素材を切ることができる刃の直径は1430ミリ。このような大きな刃を使うので、切断機も巨大です。この大型丸鋸切断機を手掛けることができるのは、国内では当社だけです。クレーンなど工場内の設備も大型化しました」と良彦さん。大きな刃が回転し、金属の塊はまるで羊羹やかまぼこでも切るように、きれいにスライスされます。上手に切ることができれば、切断する音も静かだそうです。100年間かけて築き上げた圧倒的な技術力が、美しい切断面に凝縮されています。



同一法人で三役こなす


 津根精機が100年続いた理由について、良彦さんは、技術革新やスピードアップへのあくなき挑戦とともに、先祖からの教訓「売りっぱなしにしない」を実践してきたからだと言います。
 「切断機だけでなく工具(刃)を作り、メンテナンスも同一法人で手掛けている会社は少なく、多くは、切断機と刃の製作、メンテナンスをそれぞれ別々の会社で行っています。しかし、それではミスが出ると、責任を押し付け合ってしまいます。顧客の声を共有できないデメリットもあります」
 現在、国内4工場、8カ所の営業拠点のほか、海外の3拠点の現地法人を核としてグローバルに展開している津根精機。良彦さんは、経営について「海外こそ販売への飛躍の道」と考えていますが、ものづくりの拠点は「あくまでも富山に」と定めています。同時に「人材育成に力を入れたい」と考え、100周年を記念して富山県内の工業高校・高専に、自社の弓鋸切断機を寄贈しました。また、中学生の体験実習を受け入れるなど、地域貢献にも心を砕いています。ものづくりとともに人づくりへ。新社長は、津根精機を次の100年へと引き継ぐための会社のあり方を考えます。




津根精機株式会社
富山市婦中町高日附852
TEL076−469−3330

●主な歴史
大正6年(1917年) 津根良が平吹町で「津根良商店」を創業。
昭和18年(1943年) 寺町に工場を移転し、法人組織に。社名を「津根鉄工業株式会社」とする。
昭和38年(1963年) 弓鋸切断機の生産を開始。社名を「津根精機株式会社」とする。
昭和48年(1973年) 婦中町に本社工場を新設。津根良一が二代目社長に就任。
昭和56年(1981年) 帯鋸切断機の生産を開始。
平成10年(1998年) 津根良孝が三代目社長に就任。
平成21年(2009年) 津根良史が四代目社長に就任。
平成29年(2017年) 創業百年で、津根良彦が五代目社長に就任。