会報「商工とやま」平成30年12月号

シリーズ 老舗企業に学ぶ≪43≫

富山のまちで信頼を積み重ねて100周年
≪石坂建設株式会社≫


 富山市神通町にある石坂建設株式会社は、今年で創業100年を迎えました。地域に根ざした同社の歩みや未来への思いについて、代表取締 役社長の石坂兼人さんにお話を伺いました。


大正7年に石坂組として創業


 石坂建設株式会社は、大正7年(1918)に現社長の兼人さんの祖父、健太郎さんが、富山市神通町で土木建築請負業の「石坂組」を個人創業したことに始まります。昭和10年(1935)には当時の済生会富山病院の新築工事を手がけました。

 現在、本社の応接室には「石坂組」の法被が飾られています。

 「昭和の初め頃まで、丸太をみんなで引き上げ、基礎になる石を打ちつける『石かち』や、『棟上げ』など、工事の大事な儀式の際に、石坂組の者が着ていたと聞いています」と、兼人さんは語ります。

 兼人さんの父で二代目の兼光さんは、大正14年(1925)生まれ。富山工業高校で建築を学びました。昭和20年(1945)の終戦は岐阜で迎え、すぐに復員して石坂組へ。父の健太郎さんとともに、富山大空襲で焼け野原になったまちの復興に尽力しました。昭和29年に開かれた富山産業大博覧会で、石坂組は、「自然の宝庫館」を建設しています。

 兼光さんも健太郎さん同様、誠実な経営を大切にし、真面目で温厚な人柄だったそうです。

 「昔からよく言われたのは、評判が悪くなることをしてはいけない、人を裏切ってはいけないということですね」と話す兼人さん。石坂組は、兼光さんの言葉通り、お客さまや職人さんたちとの信頼関係を大切に、官公庁の仕事など、次々と大きな建設事業に携わってきました。


学校建設や公共事業を手がける


 創業者の健太郎さんは昭和38年(1963)に亡くなり、二代目の兼光さんが代表に就任。同年、石坂建設株式会社を設立しました。高度経済成長期の昭和40年代(1965〜)は、富山市内の小学校の木造校舎が、次々と鉄筋コンクリートの建物に作り変えられた時代。石坂建設では、当時の富山市立愛宕小学校、富山県立富山ろう学校、富山市立清水町小学校(現・中央小学校)などの学校建設や官公庁関連の建設事業に数多く携わります。そして、昭和40年には現社長の兼人さんが誕生しました。

 昭和50年代(1975〜)も同様に、富山市内外の学校建設や射水消防組合新庁舎の建設など、官民の事業を多数、受注。平成に入ってからも、オーバード・ホールや富山県陸上競技場など、公共事業を広く手がけてきました。バブル崩壊後も、富山では2000年のとやま国体などがあり、建設業は比較的順調でした。しかし、国体が終わると、急激に建設投資が減る苦しい時代に。そして、平成20年(2008)のリーマンショックは、一番大きな影響を受けた辛い出来事でした。

 兼人さんは、大学卒業後は大手ゼネコンに就職し、大規模なリゾートマンションやオフィスビルの建設業務に約4年間従事。1級建築施工管理技士の資格を取得し、現場監督として業務に携わりました。その後、富山に帰郷し、石坂建設に入社。父の兼光さんとともに自社の経営にあたってきました。


どんなときにも誠実な対応を


 兼光さんは平成27年(2015)に89歳で亡くなりましたが、80歳を過ぎても出社し、現場でトラブルがあった際にも、兼人さんの相談に乗っていたと言います。

「何があっても、最終的には、『お客さんのいいがにしてあげんなん』と、よく言っていました。『いいがに』というのは、お客さまの立場に立って、より良く対処するという意味。温厚でいつもニコニコしていた父らしいコメントです。誠実に対応するという信念は、現在の社内にも浸透していると思いますね」

 兼人さんは平成23年(2011)に四代目社長に就任。景気が底を打った時期に比べて、現在の売り上げは、1・5倍にまで伸びています。また、持続的に成長する企業経営を目指し、若手社員の積極的な採用に努め、新しい人事考課制度も導入しました。

 「社員それぞれが目標を設定し、その達成度に応じて評価するもので、自ら考え、行動する、意欲と活気ある社内環境づくりを進めています。また、新築だけでなく、これまで当社が関わってきた建物の管理にも力を入れています」


オーケストラの指揮者のように


 石坂建設では工事に携わる左官、大工、電気、配管など30社以上を取りまとめる現場監督が主な業務となります。最近では北陸新幹線の開業に合わせた耐震化改修工事への参画、北陸新幹線黒部保守基地ほか、10カ所の新築工事、また、富山県立大学看護学部校舎の建設にも携わっています。

 「オーケストラの指揮者のように、いい現場監督であれば、同じ職人さんでも、仕上りが違ってきます。私たちの仕事は納期に合わせ、いかにスムーズに作業を進められるか。そして、お客さまに満足していただけるより良い仕上がりにするため、あらゆることに細心の注意を払うことです。綿密なスケジュールを立てますが、変更にも柔軟に対応しなければなりません。現場監督は苦労も多いのですが、完成した際には大きなやりがいを感じる仕事なのです」

 今年、100周年を記念して、記念式典が盛大に行われたほか、多くの人材を採用してきた富山工業高校に製図の授業で使用するディスプレイや投影機を寄付。さらに、富山市にも福祉奨学基金を寄付しました。


県内トップクラスの評価で、これからも選ばれる企業へ


 石坂建設は、約40社の協力業者で構成する石栄会とともに、長年の実績や豊富な経験をもとに、お客様が安心して業務を任せられる環境を整えています。その結果、県内の官公庁の工事成績評定ではトップクラスの評価を得ています。

 「当社は基本理念として『いい仕事をして、お客様の信頼を得る』という言葉を掲げています。建設の仕事は機械化が進んでも、まだまだ、現場での人の力、手仕事が重要です。人材不足の中、新工法に積極的に取り組み省力化を進めるとともに、現場で働く人の快適な環境づくりにも力を入れていきたいと考えます。今年の夏は作業服に空気を送り込む空調服を社員全員に支給しました。

 そして、付加価値の高い提案と技術力でお客さまに満足していただき、これからも信頼される会社、選ばれる会社でありたいと考えています」。


石坂建設株式会社
富山市神通町2丁目3−10