会報「商工とやま」平成31年2・3月号

≪誌上講演会≫
愛知・円頓寺商店街のまちづくり 〜魅力ある個店の創出について〜

円頓寺商店街振興組合 理事長 田尾 大介氏



円頓寺商店街について


 円頓寺商店街は名古屋城と名古屋駅を直線で結んだちょうど真ん中辺りに位置します。隣の円頓寺本町商店街と合わせると長さは約500m、店舗数は約70店。昭和初期は所狭しと店が並んでいましたが、名古屋鉄道瀬戸線の駅や路面電車がなくなり交通の要所ではなくなったことから、戦後から少しずつお店が減少していきました。

 まちづくりのために有志で結成された那古野下町衆が立ち上がったのが2007年。その中に空き店舗対策チーム「ナゴノダナバンク」ができたのは2009年のことです。外部の人を巻き込んで、閉まって住人もいなくなっていたお店を少しずつ開けていきました。お店が増え、お客さんも来るようになり、中小企業庁の表彰もいただき、円頓寺商店街が注目されるようになってきました。

 ナゴノダナバンクを立ち上げたのは建築家の市原正人さんです。商店街の組合員とチームのリーダーという二つの立場から、この10年で少しずつお店を増やしていった方です。飲食店も経営されており、経営のノウハウも持っておられます。私がチームに加わったのは4年前。いつか地域の方や外国人旅行者が集う場所を作りたいと思っていたところにチームから空き店舗を紹介していただき、お店を引き継ぐことになりました。そして今年の5月には商店街の理事長にも就任しました。私は山口県出身で、名古屋に来てまだ10年くらいです。いわばよそ者である私を受け入れてくれて、夢を叶えさせてくれたこの街に少しでも恩返しができればと思い、活動を続けています。

 この商店街の特徴は、履物屋や着物屋、小道具屋など100年近く続く老舗のお店と、私のように新しく開いたお店が半々ぐらいであるというところです。9人いる理事のメンバーも、約半分はここ10年以内にお店を開いた30代の人間です。


喫茶、食堂、民宿。「なごのや」


 私が引き継ぐことになった「西アサヒ(現なごのや)」は、タマゴサンドが名物のお店で、昭和7年にオープンした歴史ある喫茶店です。2013年に先代マスターが病気になり一度閉店してしまいましたが、商店街の集いの場であったこの場所を何とか復活させたいという声が多くありました。チームから紹介されてこの場所に実際に訪れてみて、ぜひやりたいと強く感じました。

 1階は少し手を入れて喫茶店のまま残し、もともと住居だった2階は宿に変えました。1泊3240円のゲストハウスという形態です。宿泊費を安く抑えながらいろんな人と交流を楽しみたいという、長期滞在の外国人旅行者向けの施設になっています。定員は15名ですが、月間200〜250名の宿泊客があり、半数が外国人の方です。1階の喫茶店は40席で、月間2000〜2500名の方に利用していただいています。

 この宿のみならず名古屋市内の他の宿に泊まっている客もすべて対象に、名古屋市内をガイドと巡るツアーを組んでいます。ツアーでは「なごのや」の施設内で名古屋飯のクッキング体験ができるようになっており、日本の文化体験を目的とする方々にこの商店街を訪れてもらう流れができています。

 宿のおかげで、新しい層のお客さんが来るようになりました。外国人旅行者の方々は海外のホテル予約サイトでたまたま見つけて来てくださった方が大半です。単に泊まることが目的で特に「商店街」を目当てに来たわけではなかったが、いざ来てみると日本の下町情緒あふれる風情ある場所であったとたいへん喜んでいただいています。

 海外の方が泊まる宿ということには、やはり最初は近所の方から難色を示されました。しかしこのゲストハウスという宿の形態は長旅に慣れた方が好むもので、お酒を飲んで騒ぐようなタイプではなく、一人もしくは少人数で街を見てその土地の文化や風情を楽しむスタイルの旅行者がほとんどであり問題はないと皆さんを説得しました。事実、ふたを開けて3年経ちますが、近所の方が心配していたようなことは起きていません。むしろ皆さんやはり商売人だけあって、言葉が通じなくても身振り手振りでうまく接客してくれています。もっといろいろな人が来てくれると面白いとまで言っていただけるようになりました。


「なごのや」誕生までのプロセス


 2014年2月に、家主と私と「ナゴノダナバンク」の市原さんで初めて顔合わせをしました。最初は「どこの馬の骨とも分からない人では困る」と言われましたが、市原さんが間を取り持って、「ここが閉まっていると商店街全体がどんよりした雰囲気になる。ここを開いて、またみんなが集える場所をつくろう」と説得してくださり、数カ月かけて了承を頂きました。

 問題はお金です。やりたい熱意もプランもあるのに、改装費がない。そこで中部経済産業局の補助金制度を利用しました。地域商業自立促進事業といって、商店街で新しい取り組みをするときに3分の2の補助金が出るというものです。この補助金制度は「なごのや」以外でもこれから着工する伝統工芸館などで利用し、初期投資を抑えて新しい施設を作っています。

 他にも、今年オープンしたボルダリングジムではクラウドファンディングも利用しました。ここは電気屋さんだった空き店舗を改装した施設で、奥には「なごのや」の宿の別館があります。本体には経産省の補助金を使い、補助金の対象にはならない内装費のところにクラウドファンディングで集めた1000万円をあてました。

 最初、「なごのや」の店舗は廃墟のような状態で、改装前にまずゴミ掃除から始めなければなりませんでした。商店街で行われていたお祭りやイベントに協力するという意味も含めて、店の前に骨董市を開いていらないものを売ったりしました。結局、交渉を始めてから約1年後に着工、何とか年度内にオープンすることができました。


「なごのや」が創りだす場


 もともと地域の方やお客さんが集う場所を作ることが目的で開いた店ですが、実際にオープンしてみると、本当にいろいろな方々にさまざまな用途の場として活用していただいています。

 まず一つ目は、喫茶店ですからもちろん食べる場です。名物のタマゴサンドなどもあり、東海圏のテレビ局で何度も紹介してもらい、多くのお客さんが訪れてくれています。

 二つ目は、泊まる場です。海外からの旅行者の方々の姿も商店街の新しい景色の一つになりました。

 三つ目は、飲む場です。喫茶店は飲み会やパーティーの場としても使っていただいています。それがお店を支える収入源の一つになっています。

 四つ目は、憩いの場です。平日の昼間など、客の少ない時間などに皆で集まり、のんびりと商店街の今後の展開を話し合います。

 五つ目は、出会いの場です。研究調査のために来た大学生や、ボランティアでもいいからここで働いて経験を積みたいという方など、国や年齢を超えた出会いに興味のある若者が大勢訪れてくれています。

 六つ目は、文化交流の場です。商店街は日本の昭和の生活文化の一つとして海外の方には好評です。面白い例では、毎朝ラジオ体操の音声が流れるのですが、朝、商店街のおじいさんたちがおもむろに外に出てきて同じ動きを始めるので、海外の方は最初はびっくりされます。ですが、「日本では小学生のときに皆やるんですよ」と話すと、見よう見まねで一緒に体操をして楽しんでくれます。

 七つ目は、お祭りの場です。商店街でもう63年続いている七夕祭など、日本人にとっては昔ながらの光景でも海外の方から見れば初めて見る物珍しいもので、とても喜んでもらえます。また、新しい祭りも始めました。「パリ祭」という、パリにちなんだお店や料理を並べてみんなでパリを楽しもうというお祭りです。今年で6年目ですが、最近では七夕祭以上の集客となり、商店街の新しい顔になりつつあります。

 八つ目は、ライブの場です。若手ミュージシャンなどを呼んでライブを開催しています。他にも落語や日本舞踊の家元を呼んで長唄喫茶などのイベントも行いました。これらを目的に商店街に来てくれた人たちが、それをきっかけにしてまた商店街を訪れてくれるという流れができています。

 九つ目は、式典の場です。パッサージュ・デ・パノラマという、パリで最も古い商店街と2015年4月に姉妹商店街連携を結んだのですが、その調印式の会場として「なごのや」を使いました。

 十番目には、企む場です。理事会を開いたり、新しい出店希望者や空いた店舗の調査、マッチングなどの相談をしています。

 そして最後は、働く場です。「なごのや」は本来常時3人くらいのスタッフで十分なのですが、今は総勢23人のメンバーがいます。月1回だけ来たい人、平日は会社で働いて週末だけ手伝いたい人、ゲストハウスの経験を積むためにボランティアでいいから働きたいという人、イベントのときだけの助っ人など、さまざまです。この店で働き、お金をもらって生活を成り立たせて、友達をつくり、ここが自分の生活の一部になり、いい思い出を重ねるうち、彼らはお客さん以上に街の大ファンになってくれます。人件費が高すぎるという悩みはもちろんありますが、一人でも多くの若者に関わってもらいたいという思いで、できる限りメンバーを増やしていきたいと頑張っています。


いろいろな業態のお店で相互送客


 ここ数年の商店街の課題は、飲食以外のお店をどう作るかということでした。物販だと人が通らないとなかなか売れませんが、少ないお客さんでも何とか経営が成り立つのが飲食です。従って、新しく開くお店はどうしても飲食が多くなりますが、それでは商店街の中でお客さんの奪い合いになってしまいます。

 「なごのや」はその解決策の一つにもなりました。宿泊所をつくると、宿泊客がその周辺で観光したり、食事をしたり、お土産を買ったりします。

 最近できたナゴヤ座もそうです。ナゴヤ座は全国でも珍しい常設の芝居小屋で、週末ごとに劇場を開いており、いつも一座を見に来る若い女性ファンの方々などがついでに周辺の喫茶店やバルに立ち寄り、そのまま常連になったりしています。他にも、ボルダリングジムも、スポーツを目的とした新たな客層を商店街に呼んでくれるようになりました。

 いろいろな業態のお店ができることで、相互送客やクロスセルの効果が生まれています。


空き店舗活用団体「ナゴノダナバンク」


 「ナゴノダナバンク」の大本には、「那古野下町衆」という商店街組織を超えた地域のまちづくりの任意団体があります。新しい活動をしようという商店街のメンバーと、まちづくりに関わっている外部のコンサル、名古屋鉄道の有志、建築家など、この街が好きで面白いことをしたいというさまざまなメンバーの集まりです。

 そこから「空き店舗対策チーム」として独立した組織が「ナゴノダナバンク」です。地元に顔が利く人や、建築やデザイン、経営の知識や人脈を外から持って来てくれる人などが融合して活動しており、これをチームでは『外部の支援者と地域の地縁者の融合体』と呼んでいます。地元の方が引越しをするという話が出れば店舗を貸してもらえるようにしたり、条件に合う借主に声をかけたり、総合的なマッチング事業を専門家のノウハウや知識を集めながら行います。

 チームはこれまで、ギャラリーやスペイン食堂、パスタのお店など、1年に数軒のペースで手掛けていきました。「なごのや」はその11軒目です。さらに芝居小屋やボルダリングジムなど、約20店舗をオープンさせてきました。

 新しい店を開くのは年に1〜2軒です。たくさん開けばいいというものではありません。古くから商店街にいらっしゃる方は急激な変化を好まないからです。たとえいい変化だとしても、新しい人や客が急に大勢入ってくると戸惑いが生まれて悪影響が出る可能性があります。新しい1店舗が入ったらまずチームが仲立ちをして商店街の皆に紹介し、祭りなどを通して一年間一緒に汗をかき、どんな人間かを互いにわかってきた頃に、また次の人が入ってくる。そのくらいのペースの方が、新しい人と昔からいる人がうまく融合できます。その際に重要なのは、地元側のウエルカムな姿勢、そして間を取り持ち、どちらの立場にも立てる者の存在です。

 「ナゴノダナバンク」は不動産屋でも株式会社でもありません。有志が地元の人間として、そして組合員の一人として集まっている組織です。家主と借主の契約を仲立ちしたり、間に入って自分たちがいったん家主から借りてそこから新しい人に貸すというサブリースをしたり、そのときの状況に合わせて、さまざまな形態で新しい人を受け入れる窓口になっています。


欠点か利点か? 発想の転換をする!


 商店街が抱えているという多くの問題は、本当に全てが問題なのでしょうか。

 店主の高齢化についてですが、年金だけに頼らず、自分で頑張って稼ぎ、お祭りのときには大はしゃぎしている高齢のメンバーを見ていると、生涯現役で働けるというのはとてもいい仕事なのではないかと思います。

 後継者不足については、問題を嘆くよりも、まず大切なのは街を元気にすることです。事業承継するのは必ずしも家族である必要はありません。私もよそ者として今の店を引き継ぎました。そんなよそ者が商店街で楽しそうにしていたら、去年、約80年続く小倉サンド発祥のお店の息子さんがサラリーマンを辞めてお店を継ぎました。賑わいのある面白そうな場所には後継者が生まれます。

 大型店へ客が流れてしまうという問題については、たとえばイオンなどは、どこへ行っても同じ店であると言えます。円頓寺に来てくれるお客さんは商店街のそれぞれの店の個性を見てくれる。もしかしたら荒削りだったり、チェーン店と比べたらサービスもきちんとしていないかもしれない。けれどそこが面白いと言ってくれます。そういう方々を大切にすればファンはつくれるのではないかと思います。

 店舗や家の古さについては、今はむしろその古さを利用してリノベーションすることが若者の間で流行っています。古いものを活かすやり方を模索するべきです。

 商店街はお店と住居が一体化しているという問題もあります。住人がいるうちは店を閉めていても人に貸すことができない。しかしそういう店と住居が同じという形態だからこそ、町内会の役員が商店街の理事もするということができ、商店街活動と地域活動を融合させることが可能になります。商店街と地域が共にあることで、地域づくりから子供たちの見守りまで活動を広げられます。商店街は現代で失われつつあるコミュニティを残せる場所なのです。

 欠点や問題といわれることは、見方を変えれば、有効に生かすことができる長所にもなるのです。

 正直なところ、私にはまちづくりをしたという記憶はありません。私がしたのは、お店をつくり、宣伝し、お客さんにまた来たいと思ってもらえるようにおいしいメニューを開発して、店をきちんと掃除し、イベントの飾り付けを去年より少しでも良くして、お客さんだけでなくお店の皆も楽しめるように、準備や片付けの段取りを上手につける、ということだけです。

 賑わったとか活性化したというのは、外から見た人の表現でしかありません。中で実際にやっている我々は、またお客さんが来たくなるお店や商品、イベントを、一歩一歩つくり続けることしかできないのではないかと思っています。


※ 本稿は平成30年10月16日に富山県商店街振興組合連合会が主催したまちづくりセミナー(於/富山国際会議場)の講演内容を要約したものです。




▼機関紙「商工とやま」TOP