平成14年6月号

佐々成政隊がゆく (1)

佐々堤(さっさてい)


 NHK大河ドラマ「利家とまつ」で、前田利家や豊臣秀吉らとともに活躍している佐々成政。しかし、この成政も10数年前までは、早百合伝説に象徴されるように悪逆非道の暴君として恐れられ、誤解され続けてきた。しかし、作家の遠藤和子さんの調査・取材によって、成政のあと越中の国を治めた前田氏によって成政像が歪めて伝えられていたことが判明した。実際の成政は治水事業などに取り組み、民衆に慕われていたのだ。

 そこで、成政が私たちの郷土・富山に残した偉業や伝説について、私たち"佐々成政隊"が富山市周辺に残る史跡等を調査し、お伝えしていきます。

 天正8年(1580)9月末(今で言うと11月初旬)、越中の国は秋の長雨で常願寺川や神通川が氾濫し、富山城下は泥海と化し、また、民衆たちは洪水で家屋や田畑を失い悲惨な状況であった。

 そこへやってきたのが佐々成政。越後の上杉景勝に侵攻されていた神保長住を援助するため、織田信長の命を受けやってきたのだ。

 成政はこの苦しんでいる民衆の姿を見て、常願寺川の馬瀬口一帯(大山町)に堤防を築くことを決め、陣頭指揮を執った(この馬瀬口一帯はしばしば決壊し民衆の生活を破壊していたのだ)。

 そうしてできた堤防が「佐々堤」である。この「佐々堤」は霞堤(不連続堤防)で、荒れ狂う常願寺川の流勢を川の中央に押し戻し、川下を守るために、このあたりに幾つも築かれた。

 この「佐々堤」も度重なる洪水で大部分が土砂等で埋まってしまい、今では、大山町を流れる常西合口用水の水底に堤防の上端をのぞかせるのみとなっている。

 なお、この常西合口用水一帯は現在、大山町等によって整備され、「佐々成政橋」など幾つかの橋が架けられているほか、近くには「殿様林緑地公園」もあり、休日に少年野球やサッカーが開催されるなど、憩いの空間となっている。

 民衆を愛した成政の姿を探しに皆さんも是非お出かけになってみてはいかがでしょうか。


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