平成14年8・9月号

佐々成政隊がゆく(3)

早百合伝説と一本榎


 富山城の西側、神通川のほとりの磯部町(富山県護国神社辺り)にかつて悲しい伝説が語り継がれてきた。「早百合伝説」である。

 富山城主となった佐々成政は、領内を巡視した際に、早百合という絶世の美女を見初め、側室とした。早百合姫は成政の寵愛を一身に集めた。

 天正12年、成政は豊臣秀吉討伐を諮るため、厳冬の北アルプスを越え、浜松の徳川家康のもとを訪れた(いわゆる「さらさら越え」)。その留守中に、早百合姫が成政の近侍と密通したという噂が広がった。早百合姫を妬む妾たちの仕業である。浜松から戻った成政はこの噂を聞き激怒、早百合姫を引きずり回し、神通川のほとりの一本榎に鮟鱇吊りにして惨殺した。

 死ぬ間際に早百合姫は「私の恨みで、立山に黒百合が咲いたとき、佐々家は滅びますぞ」と呪いの言葉を残して息絶えたという。のちに成政は、立山に咲いた黒百合を珍花として秀吉の正室・寧々に献上したが、これがもとで側室・淀との仲がこじれ、成政は切腹に追い込まれたと『絵本太閤記』に記されている。

 しかし、これは実話ではなく、成政のあと、越中を治めた前田氏が、民衆に慕われていた成政に苦慮し、意図的に成政像を歪めて伝えていたことが遠藤和子先生の調査によって判明している。

 この一本榎は昭和20年の富山大空襲で枯死したが、地面に落ちた種が育ち、現在、磯部堤に2代目の榎が葉を繁らせている。また、近くには早百合姫を祀った早百合観音祠堂がある。

〔場所〕富山市磯部町
〔時間〕富山城から徒歩で15分


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