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写真:城下町の遺産群メインイメージ

城下町の遺産群/高岡400年の歴史は 利長の夢からはじまった

写真:日本100名城

1高岡城跡(高岡古城公園)【国指定史跡】

 慶長14年(1609)に前田利長公が築城した城で、設計は高山右近と伝えられます。利長公の死去後、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城となりました。 三代藩主利常公は城内の施設は撤去したものの、藩の米蔵や火薬庫を置いて曲輪や水堀など城の基本機能を残しました。明治維新直後の民間払い下げの危機も、服部嘉十郎ら高岡町民たちの運動によって都市公園(古城公園)となることで切り抜けました。 築城当時の縄張りが良好に残されており、近世初頭の城郭を知る上で貴重な遺構です。

写真:甦る水100選、日本の歴史公園100選 写真:桜名所100選、加賀藩二代藩主前田利長公像、築城の名手・キリシタン大名高山右近像 写真:日本の都市公園100選

【高岡市立博物館】 地図
[¥]無料 [TEL]0766-20-1572 [休]月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 
[交]JR高岡駅から徒歩15分 [車]能越自動車道高岡ICから10分
イラスト:利長くん

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2守山城跡

 二上山に築かれた中世の山城で、この地域の拠点城郭でした。
 利長公は天正13年(1585)から慶長2年(1597)まで在城し、利常公も幼少時をこの城で過ごしました。高岡城が築かれると木舟町にならって守山城下から移住し、守山町をつくりました。

■二上山の山頂からは、射水平野一帯を見渡すことができます。利長公はこの時から高岡城の場所を定めていたのかもしれません。

【守山城跡】 地図
[車]能越自動車道高岡北ICから20分

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3木舟城跡【県指定史跡】

 寿永3年(1184)、石黒太郎光弘築城と伝えられる平城です。天正13年(1585)に利家公末弟の前田秀継の居城となりましたが、同年の天正大地震により城主夫妻は落命し、翌年には廃城となりました。木舟町は木舟城下の人々が移り住んだ町といわれています。

【木舟城跡】 地図
[車]能越自動車道福岡ICから1分

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4武田家住宅【重要文化財】

 武田信玄の弟の子孫と伝えられる旧家で、江戸初期から肝煎(村役人)を代々務めた豪農。勝興寺本堂の再建の際の余材で建てられたといわれ、豪壮な梁組など江戸時代後期の民家建築の特色がよく残されています。



【武田家住宅】 地図
[¥]大人210円、中学生以下無料 [時]9:00〜16:30 
[休]火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始  [TEL]0766-44-0724 
[交]JR雨晴駅から徒歩20分  [車]能越自動車道高岡北ICから20分

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5有礒正八幡宮【登録有形文化財

 高岡の町立て(慶長年間)の際、有磯宮と横田正八幡宮の二社が合祀された神社で、本殿は明治16年(1883)に建てられました。境内を囲む石垣は前田家から奉納されたと伝えられ、高岡城のものと同じ刻印があります。

【有礒正八幡宮】 地図
[交]こみち「有礒神社前」下車1分  [車]能越自動車道高岡ICから10分

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6高岡関野神社

 高岡の開祖、利長公を神霊として祀る唯一の神社で、高ノ宮と呼ばれ親しまれています。社殿の一部には江戸時代の建造物が保存継承されています。

【高岡関野神社】 地図
[交]JR高岡駅から徒歩7分 [車]能越自動車道高岡ICから10分

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7氣多神社本殿【重要文化財】

 天平年間の創建とされる県内でも来歴の古い神社です。永禄年間(16世紀中頃)に再建された本殿は、雄大で荘厳な風格の建物で、室町時代の特色を色濃く残しています。その後、利常公によって諸殿舎が再興されています。

ポイント:義経伝説ゆかりの地

【氣多神社】 地図
[交]JR伏木駅から徒歩25分 [車]能越自動車道高岡北ICから15分
家持くん:神社境内には、大伴神社や
万葉歌碑があるよ!

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年表〈城下町の遺産群〉

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